瞑想的な日々のなかで、至福の感覚を何度も体験した大川隆法総裁に、ついに大悟の瞬間が訪れます。
1981年3月23日、午後2時過ぎ、「イイシラセ、イイシラセ」と、福音を告げる自動書記が始まりました。大川隆法総裁が、霊界と同通し、悟りを開いた瞬間です。さらに同年7月には、自らがエル・カンターレという存在であり、 全人類を幸福へ導く使命を持っていることを自覚します。24歳のときのことでした。その後、大手総合商社に入社し6年間の社会経験を積むなど、来たるべき日に向け、雌伏(しふく)の時を送ることになったのです。
[匿名さん]
商社では東京本社の外国為替部に配属、翌年にはニューヨーク本社の研修生に抜擢。世界貿易センタービル40階の事務所にてアメリカ人の女性秘書を部下に、国際金融の仕事に従事しました。また、そのかたわらで、ニューヨーク市立大学大学院で国際金融論を学びました。エリートコースを歩む一方で、天上界との霊的交流は続いていました。27歳のとき、社内報に寄稿した「愛の発展段階説」が大反響を呼び、当時の「日刊工業新聞」に転載されます。1984年には、社内の幹部養成コースの通例として、名古屋支社へと異動。このころから霊言刊行の話が進み、1985年8月、初めての書籍『日蓮の霊言』が発刊されました。
[匿名さん]
1986年6月17・18日に、大川隆法総裁のもとに、神々が次々とあらわれ、救世主として世に立つべき時が来たことを知らせます。これまで積み上げてきた地位や名声を捨て、空手にして立つことを決意し、7月15日に商社を退社。30歳にして全人類救済のためにその身を投げ出したのです。その後、8月20日〜9月8日にかけて、当会の根本経典『正心法語』と、当会の基本法となる『太陽の法』を、9月22日〜10月にかけて、『黄金の法』を自動書記にて記述。さらに、初の口述にて『永遠の法』が語り下ろされます。そして、1986年10月6日、幸福の科学が設立され、同年11月23日には初めての法話・講演が行われました。
[匿名さん]
大川隆法総裁
貴方は素晴らしい指導者です
日本を救えるのは貴方しかいない
[匿名さん]
大川総裁は、嫁と別れて、女性信者を食いまくり(笑)
[匿名さん]
訴えられたらいけないので誰も書き込みしません。
スレ終了。
宗教に口出しはご法度。
[匿名さん]
釣りはじめてひがしーに、それからちょっと様子おかしい。
[匿名さん]
我が人生に悔いなし
大川隆法総統 万歳🙌
幸福の科学が日本を救う
[匿名さん]