福島県いわき市にある6世紀中頃の前方後円墳が、古墳時代後期としては東北最大、東日本全域で見ても10本の指に入る巨大な遺跡であることが福島大学の調査で明らかになった。
大和政権とつながりがあった豪族がいたことが推測され、東北や東日本の古代史に対する見方が変わるかもしれない…。
いわき市南部の小名浜にある「塚前古墳」は昨年、市の教育委員会が発掘調査を実施した結果、周囲に掘や埴輪が見つかり、古墳時代後期の6世紀中頃に建てられたものだと判明。
地権者が所有する1907年当時の地図や航空写真によって、前方後円墳だったと推測されているが、現存するのは円形部分の一部のみで、正確な形状や規模は分かっていなかった。
福島大学の菊地芳朗教授が率いる考古学研究チームが今年3月、現地で測量調査を行なった結果、後円部分の直径は53メートル、前方部分の幅45〜65メートル、長さは54〜70メートルで、古墳全体の大きさが95〜最大で120メートルとなることが判明した。
東北地方では、宮城県名取市(雷神山古墳)や福島県郡山市(大安場古墳)などで、3〜4世紀の古墳時代前期の大型古墳は発掘されているが、後期では福島県白河市の下総塚古墳(全長72メートル)を除けば、ほとんど存在しないと考えられていた。
今回の発見は、下総塚古墳を上回るサイズで、後期古墳としては東北最大。
最大全長を120メートルと考えた場合、東日本の後期古墳としては10位、国内でも20本の指に入る規模だという。
一般に古墳の規模は、埋葬された人物の生前の権力の大きさを示していると考えられていることから、東北地方の豪族は、古墳時代前期までは大和政権とのつながりが強かったが、次第に弱まったと従来までは考えられていた。
菊地教授は「今後は古墳時代から奈良時代にかけて、東北や東日本の歴史を再検討する必要がある」と指摘している。
【日時】2017年05月12日(金) 12:57
【提供】ハザードラボ