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NO.9142318

あけおめ本成寺石川雲蝶アナ
ヨロピク
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#732021/01/22 07:27
秋篠寺
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秋篠寺
Akishinodera1.jpg
本堂(国宝)
所在地 奈良県奈良市秋篠町757
位置 北緯34度42分11.38秒
東経135度46分32.32秒座標: 北緯34度42分11.38秒 東経135度46分32.32秒
山号 なし
宗派 単立
本尊 薬師如来
創建年 伝・宝亀7年(776年)
開山 伝・善珠
開基 光仁天皇(勅願)
文化財 本堂(国宝)
伎芸天立像、薬師三尊像ほか(重要文化財)
法人番号 9150005000039 ウィキデータを編集
秋篠寺の位置(奈良市内)秋篠寺
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本堂平面図

秋篠寺南門

秋篠寺東門
秋篠寺(あきしのでら)は、奈良県奈良市秋篠町にある寺院。本尊は薬師如来。宗派は単立である。伎芸天像と国宝の本堂で知られる。


目次
1 歴史
2 境内
3 文化財
3.1 国宝
3.2 重要文化財
4 アクセス
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目

[匿名さん]

#742021/01/22 07:28
歴史

奈良時代の秋篠寺の模型(奈良市役所所蔵平城京1/1000模型の一部)
寺は奈良市街地の北西、西大寺の北方に位置する。奈良時代の法相宗の僧・善珠の創建とされ、地元の豪族秋篠氏の氏寺ともいわれているが、創建の正確な時期や事情はわかっていない。

宝亀7年(776年)、光仁天皇の勅願により善珠が創建したともいうが、これは鎌倉時代の文書に見えるものである。文献上の初見は『続日本紀』に宝亀11年(780年)、光仁天皇が秋篠寺に食封(じきふ)一百戸を施入したとあるもので、この年以前の創建であることがわかる(食封とは、一定地域の戸(世帯)から上がる租庸調を給与や寺院の維持費等として支給するもの)。創建時は法相宗の寺院であった。『日本後紀』によれば、延暦25年(806年)に崩御した桓武天皇の五七忌が秋篠寺で行われたことが見え、天皇家とも関連の深い寺院であったことがわかる。

秋篠寺は平安時代になると真言宗寺院となり、平安後期からは寺領を増大させて南に位置する西大寺との間にたびたび寺領をめぐる争論があったことが、西大寺側に残る史料からわかる。

保延元年(1135年)には火災により講堂以外の主要伽藍を焼失した。現存する本堂(国宝)は、旧講堂の位置に建つが創建当時のものではなく、鎌倉時代の再建である[1]。

文禄4年(1595年)、豊臣秀吉によって寺領100石が安堵される。

明治時代以降は浄土宗に宗旨を変更していたが、現在は単立寺院となっている。

南門の外にはかつての鎮守社・八所御霊神社があり、早良親王など八柱を祀る。

[匿名さん]

#752021/01/22 07:28
境内
現在、主な入口は東門になっているが、本来の正門は南門である。南門と本堂の間には、雑木林や苔庭の中に金堂、東西両塔の跡があり、それぞれ礎石が残っている。

本堂(国宝) - 鎌倉時代の建立で、講堂の跡地に建てられた。当時の和様仏堂の代表作の1つである。桁行(正面)5間、梁間(側面)4間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を意味する用語)。屋根は寄棟造、本瓦葺き。堂の周囲には縁などを設けず、内部は床を張らずに土間とする。正面の柱間5間は中央3間を格子戸、左右両端の間を連子窓とする。全体に保守的で簡素な構成で、鎌倉時代の再建でありながら奈良時代建築を思わせる様式を示す建物である。和様建築では柱上部の頭貫(かしらぬき)以外には貫を用いず長押を使用するのが原則だが、この建物では内法長押(うちのりなげし)の下に内法貫を使用し、内部の繋虹梁(つなぎこうりょう)も身舎(もや)側では柱に差し込むなどの新技法が使われている[2]。なお、建物内部の柱にも風蝕痕が残ることなどから、建立当初は建物前面の左右5間・奥行1間分を、壁や建具を入れない吹き放しとしていたと推定される。堂内には本尊薬師三尊像(重要文化財)を中心に、十二神将像、地蔵菩薩立像(重要文化財)、帝釈天立像(重要文化財)、伎芸天立像(重要文化財)などを安置する。
鐘楼
大元堂 - 本堂西側。秘仏の大元帥明王像を安置する。
開山堂
霊堂
十三重石塔
金堂跡 - 礎石がよく残っている。苔庭となっている。
十三社
香水閣 - 本堂東側、東門近くにある井戸「香水井」である。平安時代の初め、僧常暁が当時の閼伽井の水面に映る大元帥明王像を感得したという故地である。
東門
庫裏
東塔跡 - 三重塔の跡。基壇や礎石がよく残っている。
西塔跡 - 苔庭の中にある。
南門(正門)
善珠の墓 - 境内東の飛び地にある。

[匿名さん]

#762021/01/22 07:29
文化財
国宝
本堂
重要文化財
木造伝・伎芸天立像 - 像高206.0センチメートル。本堂仏壇の向かって左端に立つ。瞑想的な表情と優雅な身のこなしで多くの人を魅了してきた像である。頭部のみが奈良時代の脱活乾漆造、体部は鎌倉時代の木造による補作だが、像全体としては違和感なく調和している。「伎芸天」の彫像の古例は日本では本像以外にほとんどなく、本来の尊名であるかどうかも不明である。秋篠寺には、頭部を奈良時代の脱活乾漆造、体部を鎌倉時代の木造とする像が本像を含め4体ある。
木造薬師如来及両脇侍像 - 本堂の本尊である。中尊の薬師如来が素木仕上げであるのに対し、脇侍の日光菩薩・月光菩薩像は彩色仕上げで作風も異なり、本来の一具ではない。中尊薬師如来像は蓮華座ではなく古風な裳懸座に坐す。制作年代については、室町時代頃の復古作とされている。両脇侍像は平安時代後期の作とみられ、像容から、もとは梵天・帝釈天像として造られた可能性がある。
木造帝釈天立像 - 頭部は奈良時代の脱活乾漆造、体部は鎌倉時代の木造。本堂に安置。
木造梵天立像 - 頭部は奈良時代の脱活乾漆造、体部は鎌倉時代の木造。奈良国立博物館に寄託。
木造伝・救脱菩薩立像 - 頭部は奈良時代の脱活乾漆造、体部は鎌倉時代の木造。奈良国立博物館に寄託。
木造地蔵菩薩立像 - 平安時代。本堂に安置。(1909年(明治42年)重文指定)
木造地蔵菩薩立像 - 平安時代。京都国立博物館に寄託。(1906年(明治39年)重文指定)
木造十一面観音立像 - 平安時代。東京国立博物館に寄託。
脱活乾漆像残欠(乾漆断片8片、心木2躯分) - 奈良時代。奈良国立博物館に寄託。
木造大元帥明王立像 - 鎌倉時代。本堂西側の大元堂に安置。大元帥明王の彫像として稀有の作。6本の手をもち、体じゅうに蛇が巻き付いた忿怒像で、秋篠寺が真言密教寺院であった時代の作である。秘仏で5月5日の護摩法要と6月6日の結縁開扉の時に開扉されるが、一般の拝観が可能なのは6月6日のみである。

[匿名さん]

#772021/01/22 07:30
大元帥明王
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秋篠寺大元帥明王像(工藤利三郎撮影、1929年以前)
大元帥明王(だいげんすいみょうおう、サンスクリット語: Āṭavaka)は、仏教(特に密教)における尊格である明王の一つ。なお、真言密教においては「帥」の字は発音せず「たいげんみょうおう」と読み、また太元明王と記すこともある。


目次
1 概説
2 アータヴァカの説話
3 姿像
4 真言・印相・三昧耶形
5 寺院
6 博物館等
7 脚注
8 関連項目
概説
大元帥明王は、古代インド神話に登場する非アーリアンの鬼神アータヴァカ(Āṭavaka)に由来し、「荒野鬼神大将」と漢訳される。直訳すると「林に住む者」、「林の主」の意味となる。 毘沙門天の眷属である八大夜叉大将の一尊に数えられ、無比力夜叉、阿吒縛迦夜叉大将、阿吒縛迦鬼神元帥とも呼ばれる。

このようなアータヴァカは、インド神話において弱者を襲って喰らう悪鬼神とされたが、密教においては大日如来の功徳により善神へと変じ、その慰撫しがたい大いなる力は国家をも守護する護法の力へと転化させ、明王の総帥となった。 大元帥明王は大元帥の名が示すとおり、明王の最高尊である不動明王に匹敵する霊験を有するとされ、一説には「全ての明王の総帥であることから大元帥の名を冠する」と言われる。

日本への伝来は、小栗栖の常暁によって請来されたという。常暁は栖霊寺・文祭から太元法を受けて、諸尊像や経軌を書写して持ち帰り、840年(承和7年)に法琳寺に安置されて以降、宮中で修法されるようになった。

大元帥明王は国土を護り敵や悪霊の降伏に絶大な功徳を発揮すると言われ、「必勝祈願」や「敵国粉砕」「国土防衛」の祈願として宮中では古くから大元帥明王の秘法(大元帥法)が盛んに厳修されてきた。 なお、軍組織における大元帥や元帥の呼称は、この大元帥明王からきているという説もある。

[匿名さん]

#782021/01/22 07:30
アータヴァカの説話
立川武蔵(国立民族学博物館教授)は、

恨みを抱いたまま不遇の死を遂げたある将軍が、臨終に際して、夜叉となって転生し、都城内の男女をすべて食べるという誓願を起こした。そして、実際、その死後に病死者が続出したため、人々は一人ずつ人身御供を夜叉に捧げるようにした。順番が来てある長者の家で、生まれたばかりの子どもが捧げられることになった。嘆き悲しむ妻を夫は慰め、愛児を夜叉に捧げるために林の中に送り[1]、長者夫妻は髙楼に上って、一心に子どもの無事を祈った。仏眼によってこのことを知った釈尊は、ただちに夜叉のところに赴き、法を説いて浄心を生せしめ、仏教に帰依させた。そして釈尊の手によって長者夫妻のもとに、無事赤ん坊は送り返された。
— 立川武蔵、 「癒しと救い -アジアの宗教的伝統に学ぶ」、2001年、pp.158-159[2]。
と述べている。

姿像
大元帥明王の仏像は奈良市所在の秋篠寺の秘仏として安置されている鎌倉時代作のものが知られる。絵巻や掛軸等は全国に残るがその数は決して多くはなく、描かれた姿も一面六臂から八面十六臂まで様々である。

秋篠寺に残る大元帥明王像は一面六臂の憤怒相であり、東大寺の仁王像を彷彿とさせる筋骨隆々たる逞しい体つきで六本の腕に武器を構え、軍荼利明王 と同様、身体に蛇を巻き付けている。顔はもはや憤怒相を通り越してまさに鬼神そのものとも言うべき恐ろしい相であり、髪は怒りによって天を衝くように逆立つ。

また、京都の東寺にも存在し、国家をあげての調伏に利用されている。

[匿名さん]

#792021/01/22 07:31
真言・印相・三昧耶形
真言 ノウボウ タリツ タボリツ ハラボリツ シャキンメイ シャキンメイ タラサンダン オエンビ ソワカ

寺院
秋篠寺

所在地:奈良市秋篠町757
大元帥明王像は秘仏のため、毎年6月6日の大祭当日のみ公開される。
理性院(りしょういん:醍醐寺塔頭)

所在地:京都市伏見区醍醐東大路町22
大元帥明王は、80年に一回公開される。2007年(平成19年)に公開された。
太元堂(東寺)

所在地:京都市南区九条町1
毎月21日にお堂が開けられるが像自体の公開はしていない。
京善寺

所在地:大阪市東住吉区桑津3丁目21-9
秘仏ではなく、参拝時に願い出れば間近での拝観も可能。
慈光院

所在地:富山県小矢部市西町5-6
毎年10月17日の火渡り法要当日のみお堂が開けられる。
高さ約4メートルで日本最大級の大きさ。
田村神社

所在地:福島県郡山市田村町山中字本郷135
鎮守山泰平寺のご本尊(田村神社本殿内秘蔵)。
大元帥明王像は聖観世音菩薩像と共に毎年1月13日と旧暦6月13日の2度公開。
博物館等
東京国立博物館

脚注
[脚注の使い方]
^ 立川武蔵によると「『アータヴァカ』という名は、広野や林に住む特定の種族を指す名称であった。そのため、この夜叉は『曠野鬼神』と記されている」としている。立川武蔵「癒しと救い -アジアの宗教的伝統に学ぶ」、2001年、p.158より
^ 元引用は「大正蔵第一四四二番、八八三項下」とある。立川武蔵「癒しと救い -アジアの宗教的伝統に学ぶ」、2001年、p.169注11より
関連項目
真言宗
天台宗
入唐八家
仏の一覧

[匿名さん]

#802021/01/22 07:32
概要
十二神将は、薬師如来の十二の大願に応じて、それぞれが昼夜の十二の時、十二の月、または十二の方角を守るという。そのため十二支が配当される。また、十二神将にはそれぞれ本地(化身前の本来の姿)の如来・菩薩・明王がある。

各神将がそれぞれ7千、総計8万4千の眷属夜叉を率い、それは人間の持つ煩悩の数に対応しているという。

一覧
経典によって若干用字や読みが異なるが、ここではもっとも一般的なものを挙げる。なお、十二支の割り当ては下に挙げたもの以外にも諸説ある。

漢名 読み 梵名 片仮名 種子 本地仏/尊 十二支
例1 例2 例3 例4
宮毘羅大将
(金毘羅童子、宮比羅) くびら
こんぴら Kumbhīra クンビーラ ヨー 弥勒菩薩 亥 子 丑 寅
伐折羅大将
(金剛力士) ばさら Vajra ヴァジュラ サク 勢至菩薩 戌 丑 酉 卯
迷企羅大将 めきら Mihira ミヒラ キリク 阿弥陀如来 酉 寅 巳 辰
安底羅大将 あんちら
あんていら Aṇḍīra アンディーラ サ 観音菩薩 申 卯 戌 巳
頞儞羅大将
(風天) あにら Anila アニラ
マジラ キリク 如意輪観音 未 辰 未 午
珊底羅大将 さんちら
さんていら Śaṇḍilya シャンディラ タラク 虚空蔵菩薩 午 巳 申 未
因達羅大将
(帝釈天) いんだら Indra インドラ カ 地蔵菩薩 巳 午 辰 申
波夷羅大将 はいら Pajra パジュラ マン 文殊菩薩 辰 未 亥 酉
摩虎羅大将
(摩睺羅伽) まこら Mahoraga マホーラガ
マクラ キリク 大威徳明王 卯 申 卯 戌
真達羅大将
(緊那羅) しんだら Kiṃnara キンナラ
シンドゥーラ アン 普賢菩薩 寅 酉 寅 亥
招杜羅大将 しょうとら Catura チャトゥラ バン 大日如来 丑 戌 午 子
毘羯羅大将 びから
びぎゃら Vikarāla ヴィカラーラ バク 釈迦如来 子 亥 子 丑
※ 例1は『仏像図彙』に拠る。

参照
新薬師寺 公式サイト:十二神将
龍光山 三高寺 正寶院 公式サイト:薬師十二神将

[匿名さん]

#812021/01/22 07:37
人間界
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人間界(にんげんかい、梵: manuṣya)は、人間がいる世界のこと。


目次
1 仏教における人間界
2 ストーリーにおける人間界
3 脚注
4 関連項目
仏教における人間界
仏教における人間界とは、迷界・欲界・六道、また十界の中の1つの世界にして、地獄から数えて第5番目に位置する。また三善道[1]の1つ。過去世において、五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)、また中品の十善の善因を修した者が生れる場所とされる。

ストーリーにおける人間界
小説・漫画・アニメ・映画などのストーリーにおいて、人間のいる世界(現世、この世)とは別の世界(異世界、パラレルワールド)を取り扱った作品の場合、その世界に対して人間のいる世界を「人間界」と表現することがある。

脚注
[脚注の使い方]
^ 三善趣とも言う。修羅道、人間道、天界道のことを指す。詳しくは、六道一覧を参照。
関連項目
人界
霊界
魔界
天界

[匿名さん]

#822021/01/22 07:38
畜生
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曖昧さ回避 この項目では、仏教用語について説明しています。悪口としての畜生については「侮蔑」をご覧ください。
畜生(ちくしょう、梵: tiryañc[1] ティリヤンチュ[注釈 1]、巴: tiracchāna[2] )とは、仏教において、鳥・獣・虫・魚などの全ての人間以外の動物のこと[3][4]。傍生(ぼうしょう)[3][注釈 2]、横生(おうしょう)とも訳される[1]。衆生の生存の状態を五道や六道とするうちで、畜生の世界を指す畜生道は三悪道(三悪趣)の1つ[3]。


目次
1 概説
1.1 畜生道
2 脚注
2.1 注釈
2.2 出典
3 関連項目
4 外部リンク
概説
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この節の加筆が望まれています。
畜生道
畜生道は六道の1つであり、悪業の報いとして死後に生まれ変わる世界である[5]。畜生趣ともいう[5]。

仏教用語でない用法としては、人間として許し難い行為・生き方や、肉親間の色情を意味する[5]。

脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ 子音rと半母音yが連続した場合の発音についてはचत्वारि आर्यसत्यानि [sa 1 の発音]を参考にした。
^ 梵: tiryañcは底栗車と音写する[3]。
出典
^ a b デジタル大辞泉 ちく‐しょう〔‐シヤウ〕【畜生】- デジタル大辞泉
^ "tiracchāna m. [Sk. tiraścīnā] 畜生, 傍行. cf. tiriyaṁ, tiro." (水野弘元『増補改訂 パーリ語辞典』、春秋社、2013年、p.144)
^ a b c d 総合仏教大辞典編集委員会(編)『総合仏教大辞典』下巻、法蔵館、1988年1月、985頁。
^ “畜生(ちくしょう)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年10月15日閲覧。
^ a b c “畜生道(ちくしょうどう)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年10月15日閲覧。
関連項目
餓鬼
地獄
輪廻
十界

[匿名さん]

#832021/01/22 07:40
十界
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この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2011年6月)
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この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
出典検索?: "十界" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年10月)
十界(じっかい)とは、天台宗の教義において、人間の心の全ての境地を十種に分類したもので、六道に声聞・縁覚・菩薩・仏の四を付加したものである。十界論、十方界あるいは十法界(じっぽうかい)とも言われる。天台教学の伝統を表した『仏祖統紀』巻50に出る。

地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界に分類され、これらの総称が十界である。


目次
1 六道(ろくどう)
2 四聖(ししょう)
3 十界図
4 脚注
4.1 注釈
4.2 出典
5 参考文献
6 関連項目

[匿名さん]

#842021/01/22 07:41
六道(ろくどう)
詳細は「六道」を参照
六道とは、主に人間の内面において繰り返される(輪廻)世界を指す。

地獄界
あらゆる恐怖に苛まれた状態。地獄も参照。
餓鬼界
眼前の事象に固執する餓鬼の状態。
畜生界
動物的本能のままに行動する状態。食欲、睡眠欲、性欲、物欲、支配欲など、欲望のままに行動する状態を指す。
修羅界
会話を持たず「武力」をもって解決を目指す状態。日常的な喧嘩から国家間の戦争に至るまでの全般を指す。
人界
平常心である状態。だが、人間的な疑心暗鬼を指すともされる。
天界
諸々の「喜び」を感じる状態。主に瞬間的な喜びを指す。
また、

人間の忌むべき部分、地獄界・餓鬼界・畜生界の三種をもって三悪趣(三悪道とも)と括られる場合がある。
三悪趣に「修羅界」を加え四悪趣(しあくしゅ)とされる場合もある。
三悪道に対し、修羅界・人間界・天上界の三種を三善道ともいわれる。
四聖(後述)を悟界というのに対し、六道を迷界ともいう。

[匿名さん]

#852021/01/22 07:42
四聖(ししょう)
四聖とは、天台宗において六道輪廻に付加された4つの世界を指す。六道輪廻の教えが、インドの文化や宗教の伝統的な寓話的世界から成立し、仏教に取り入れられたのに対して、むしろ仏教的解釈の中から生まれた人間の精神状態や、仏教における覚りに関する教えといった意味合いが強い。この四聖を悟界(ごかい)という。最初の二つは「声聞」(しょうもん)と「縁覚」(えんがく)と呼ばれる小乗の「阿羅漢」による世界、次は大乗の「菩薩」による世界、そして最後はそれらを越える存在として、仏陀や諸仏を指す「如来」の世界を表している。

声聞界
仏法を学んでいる状態。仏法に限らず、哲学・文学・物理学、さらには大衆娯楽や子供の戯言に至るまで「学ぶ」状態を指す。
縁覚界
仏道に縁することで、自己の内面において自意識的な悟りに至った状態。仏界における「悟り」とは根本的に異なる。
菩薩界
仏の使いとして行動する状態。自己の意思はともかく「行動」そのものを指すとされる。
仏界
悟りを開いた状態。

[匿名さん]

#862021/01/22 07:42
十界図
十界における各界の相を描き、因果応報の理を示した図を「十界図」または「十法界図」と呼ぶ。例としては、インドの「五趣生死輪図」のほか「六道絵」などがある。

脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
有輪(英語版)
天台宗
日蓮宗
大乗仏教
六道
輪廻
十界大曼荼羅

[匿名さん]

#872021/01/22 07:43
法華曼荼羅
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(十界大曼荼羅から転送)
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法華曼荼羅(ほっけまんだら)とは、法華経の世界を図、梵字、漢字などで表した曼荼羅の一種。


目次
1 密教の法華曼荼羅
2 日蓮宗の「大曼荼羅」
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
密教の法華曼荼羅

法華曼荼羅 (恵什・永厳 著 『図像抄』より)
天台宗、真言宗に於ける法華曼荼羅は、法華経前半十四品(迹門)に登場する菩薩などを表したものである。 構成は、中央に八葉蓮華(8枚の花弁を持つ蓮の花)を描き、その上に多宝塔を描く。多宝塔中の右に釈迦牟尼佛左に多宝如来が並んでいる。その周囲、八葉蓮華の花弁に弥勒菩薩・文殊菩薩・薬王菩薩・妙音菩薩・常精進菩薩・無尽意菩薩・観音菩薩・普賢菩薩の8尊の菩薩が配置されている。さらにその八葉蓮華の周囲に迦葉、須菩提、舎利弗、目連の4人の声聞を描く。さらにその外に外四供養菩薩、四摂菩薩、諸天、四大明王などを描く。


日蓮宗の「大曼荼羅」
日蓮宗の本尊については、記事「大曼荼羅」を参照。

脚注
関連項目
法華堂根本曼荼羅 東大寺法華堂(三月堂)旧蔵、現在はボストン美術館所蔵。
一塔両尊
三宝尊
大日本国衛護の大曼荼羅
木柾、団扇太鼓
名号(名号本尊)

[匿名さん]

#882021/01/22 22:19
★緊那羅の女性格に似ているのか?

九天玄女
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九天玄女を祀る道観
九天玄女(きゅうてんげんにょ、または単に玄女、俗称:九天玄女娘娘)は、中国神話の女神であり、道教における女仙である。

「玄」の字は黒色を表すこともあり、玄女という名は「黒い女」の意味である。


目次
1 概要
2 登場した作品
3 脚注
4 関連項目
概要
戦術と兵法を司る女神で、「天書」を掌るようになった。瑤池金母の副官役として英雄たちの守護神[1]。「九重天上九天瓊台」を居所とした。道教では旧暦2月15日を九天玄女の誕生日として祝っている。

元々の玄女は、人首鳥身の姿をした女神で、黄帝に兵法を教えたと伝えられている。中国において古くは「玄素の道」で、玄女と素女の二人を指す。黄帝は、玄女と素女から房中術(性技)をさずかったとされている[2]。メソポタミア神話の性愛と戦争を司る女神イナンナ、イシュタルなどと共通点が指摘される。また『雲笈七籤』にその名が記され、唐の名称・李靖は、九天玄女の戦法を駆使したとある[3]。

また、1047年の中国の小説『三遂平妖伝』の改作において、聖姑姑から九天玄女へ変更されたという説がある[4]。

登場した作品
小説・漫画
『水滸伝』 - 第41回において宋江の夢の中に登場。詳しくは宋江#九天玄女の加護を参照。
『蕩寇志』
『東遊記』
『平妖伝』

[匿名さん]

#892021/01/22 22:19
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第三十八号哨戒艇

織姫

河伯
関帝

九天応元雷声普化天尊
九天玄女
玉皇大帝

元始天尊
顕聖二郎真君
玄武

広成子
黄帝
后土
五瘟使者
五毒将軍

三清
三聖母

時遷
四海竜王
四御
七仙女
七天女
寿老人
鍾馗
嫦娥
城隍神
鍾離嘉
人皇
神農

杉浦茂峰

西王母
赤精子

素娥
素女
孫悟空

太歳星君
太上道君
太上老君

地皇 (三皇)
趙公明

天皇 (三皇)
天帝
天之四霊
天白神
電母

東王父
東岳大帝
歳徳神
土地神
斗母元君

[匿名さん]

#902021/01/22 22:20

哪吒
南極老人
南斗星君

二十八天
二十四諸天

白龍
盤古

飛天大聖
百花仙子

福禄寿

碧霞元君

北斗星君
保生大帝
北極紫微大帝

麻姑
媽祖

無極五母
無生老母

森川清治郎
門神

瑤姫

洛嬪
欒布

六毒大神
竜王
劉猛将軍
呂尚

驪山老母
カテゴリ: 道教宗教別の神中国神話の神

[匿名さん]

#912021/01/22 22:21
斗母元君
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斗母元君(岡山寿天宮、高雄市)
斗母元君(とぼげんくん)は、中国神話に登場する道教の女神で、仏教の神・摩利支天(まりしてん)が道教に取り入れている女神でもある。創造主・プラジャーパティの一人であり、「陽炎」・「日の光」を意味することばである。衆生の運命を左右し、寿命を司る女神である。「斗姆元君」、「斗母娘娘」、「斗母洪恩天后円明道姥天尊」、「中天梵气斗母元君」などともいう。

昔、龍漢に周御王の妃の「紫光夫人」であり、天皇大帝、北極紫微大帝と北斗七星(貪狼星、巨門、禄存、文曲、廉貞、武曲、破軍)を生んだとされる。

その姿は4つの顔を持ち、6本から8本の臂を持つ異形であり、衆生に困難が起こった時は西天摩利支天大聖に変化して戦うといわれ、あらゆる災難を除き、利益を賦与する存在である。

関連項目
摩利支天
プラジャーパティ
参考文献
ウィキメディア・コモンズには、斗母元君に関連するカテゴリがあります。
『道教の本』ブックスエソテリカシリーズ4(学研新書)

[匿名さん]

#922021/01/22 22:22
岡山神社 (高雄州)
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岡山神社
岡山神社鳥居.jpg
所在地 台湾高雄州岡山郡岡山街前峯
位置 北緯22度47分53.2秒
東経120度17分28秒座標: 北緯22度47分53.2秒 東経120度17分28秒
主祭神 能久親王
大国魂命
大己貴命
少彦名命
天照大神
明治天皇
社格等 旧郷社
創建 1935年(昭和10年)
地図
岡山神社の位置(台湾内)岡山神社岡山神社
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岡山神社(おかやまじんじゃ)は、日本統治時代の台湾高雄州岡山郡(現在の高雄市岡山区)にあった神社。

1935年昭和10年(昭和10年)12月9日創建。祭神は能久親王・開拓三神(大国魂命・大己貴命・少彦名命)・天照大神・明治天皇。社格は郷社だった(1942年(昭和17年)1月24日列格)。

日本の敗戦後、他の台湾内の全神社同様廃社となり、現在は岡山寿天宮となっているが、正殿前に今も残る狛犬がかつて神社だったことを示している。

関連項目
台湾の神社

[匿名さん]

#932021/01/23 21:45
御馳走(ごちそう)

来客に食事などをふるまって心からもてなすこと。また、そのための食べ物。「ある目的を達成するために方々を走り回る者」を意味する「馳走」の丁寧語・尊敬語が語源。
上記の「ふるまい」の意味が転じて、豪勢な食事、山海の珍味、酒の肴、特別な料理。
上記の「もてなし」の意味が転じて、歓待をうけること、酒宴に招かれること、食事をおごられること。
江戸時代、幕府が江戸に、京都からの勅使・院使・女院使や、朝鮮からの通信使を迎え入れる際に、その滞在中の一切の世話を担当した役職の通称 →「饗応役」を参照。
歌舞伎で、ある演目の主役をつとめる役者よりも格上の看板役者・ベテラン役者・幹部役者などが、意表を突くような端役で特別に出演して観客を喜ばせること。
関連項目
御馳走役
いただきます
ごちそうさま(御馳走様)
ごちそうさん(曖昧さ回避)
韋駄天

[匿名さん]

#942021/01/23 21:46
韋駄天(いだてん、梵: Skanda[1]音写:塞建陀、私建陀、別表記:違駄天)は、仏教において天部に属する神である。韋陀、韋天将軍とも言われる。

増長天の八将の一神で、四天王下の三十二将中の首位を占める天部の仏神。特に伽藍を守る護法神とされ、中国の禅寺では四天王、布袋尊とともに山門や本堂前によく祀られる[2]。日本の禅宗では厨房や僧坊を守る護法神として祀られる。また小児の病魔を除く神ともいわれる。密教の曼荼羅では護世二十天の一尊として西方位に配される。


目次
1 由来
2 像容
3 俗信
4 真言
5 寺院
6 脚注
7 関連項目
8 外部リンク
由来
ヒンドゥー教の神スカンダ(Skanda)が仏教に入って仏法の護法神となったもの。義浄訳の『金光明最勝王経』「大弁才天女品」第十五に塞建陀天として、また『金光明経』「鬼神品」第十三に違駄天として記述がある。シヴァ神の子とされる[1]。

元来は Skanda を音写して塞建陀天または私建陀天と漢訳されたが、建駄天とも略記され、『金光明経』「鬼神品」第十三中の誤写によって建駄天が違駄天となり、さらには道教の韋将軍信仰と習合して韋駄天と称されるようになった[3]。

[匿名さん]

#952021/01/23 21:48
像容
一般的には道教の韋将軍信仰と習合した影響で、唐風の甲冑をまとって剣を持つ若い武将の姿で描かれることが多い。元来はスカンダに由来するため、六面十二臂の少年神で孔雀に乗る[4]。六面の由来は、大自在天(シヴァ)の次男だが六人の乳母に育てられたためといわれる。

俗信
捷疾鬼が仏舎利を奪って逃げ去った時、これを追って取り戻したという俗伝から、よく走る神、盗難除けの神として知られる。転じて、足の速い人の例えにされ、「韋駄天走り」などといわれる。しかしこれはあくまでも俗説である。おそらくは『涅槃経』後分に帝釈天が、仏の荼毘処に至って二牙を拾得したが、二捷疾羅刹のために一牙を奪われたという記述に起因するものであるといわれる。

韋駄天が釈尊のために方々を駆け巡って食物を集めたとの俗信に由来して、「御馳走(ごちそう)」という言葉が出来た。

真言
オンイダテイタモコテイタソワカ

寺院
萬福寺(京都府宇治市)
乙津寺(岐阜県岐阜市) - 重要文化財
泉涌寺舎利殿(京都市東山区) - 重要文化財
宝林寺(群馬県邑楽郡)
脚注
^ a b 「韋駄天」 - 大辞林 第三版、三省堂。
^ 日本では明朝形式が今でも伝わる黄檗宗大本山萬福寺でみられる。
^ 一説に慧琳は、私建陀Skanda天の誤りで、これは意訳であり、正しくは陰天と訳すとも言われる。
^ スカンダの別名であるクマーラに由来する鳩摩羅天は孔雀に乗った六面の少年神の姿で描かれ、本来のスカンダの姿により近い。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、韋駄天に関連するカテゴリがあります。
仏の一覧
ヘルメース - ギリシア神話の足の速い神

[匿名さん]

#962021/01/23 21:49
マハーカーラ
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曖昧さ回避 恐竜については「ジャドフタ層#竜盤類」を、ドロマエオサウルス科マハカラについては「英語版の記事」をご覧ください。
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出典検索?: "マハーカーラ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年10月)
マハーカーラ(バイラヴァ)
時間、マーヤー、創造と破壊、力
Mahakala and Companions LACMA M.77.19.11.jpg
マハーカーラと眷属 (けんぞく)
デーヴァナーガリー महाकाल
サンスクリット語 Mahākāla
位置づけ シヴァ
住処 火葬場 (解釈により異なる)
武器 長刀カーンダ (en)
トリシューラ (三又鑓)
槌 (日本の解釈)
配偶神 カーリー、マハーカーリー(en)
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シヴァ神像
マハーカーラ(Mahākāla梵 : महाकाल; IAST)は、ヒンドゥー、仏教とシーク教に共通の神である。ヒンドゥー教で、シヴァの別名のひとつとされる。配偶者はヒンドゥー教の女神マハーカーリ(en)とされシャクティ派で最も顕著に現れる[1][2][注釈 1]。また密教仏教、特にチベット仏教(Citipati)ではどの宗派でも守り手として示され、中国密教(唐密)と日本の真言宗では護法善神という。

マハーカーラは日本で大黒天として広まり、あるいは北京語と広東語(大黑天DàhēitiānもしくはDaaih'hāktīn)、朝鮮語(대흑천)でもそれぞれ大黒天を指す。シーク教のマーヤーを司る存在がマハーカーラである。

[匿名さん]

#972021/01/23 21:50
語源
マハーカーラMahākālaはサンスクリットの合成語bahuvrihi で「mahā 偉大な」(梵:महत्)「kāla 時間/死」(梵:काल)から転じて「時を超越した者」や死を意味する[4]。

チベット名は「偉大な黒い人」(チベット文字:ནག་པོ་ཆེན་པོ། Nagpo Chenpo)を意味する。チベット人は守護者という意味の言葉(チベット文字:མགོན་པོ། Gönpo)も用いる。

さまざまな姿

二腕のマハーカーラ (1100年頃、インド東部)
Sakti samgamaタントラ[5]によると妻のマハーカーリは非常に恐ろしい存在に嫁ぎ、夫マハーカーラは腕が4本で3つ目、1千万の破壊の黒炎の輝きを放ち8ヵ所の火葬場に囲まれて暮らす。身を飾る8つの頭蓋骨、5体の骸を椅子代わりに腰を下ろし、手に三つ又の鑓 (やり) に太鼓、長刀に鎌を携える。全身に火葬場の灰が降りかかり、その周囲を取り囲むハゲタカとジャッカルが大きな声で吠え立てるという。隣にいる妻のカーリーとともに時間の流れを象徴している。マハーカーラとカーリー(マハーカーリー)は両神ともブラフマンの究極の破壊力を表し、いかなる規則や規制にも縛られることはない。時間と空間さえも自分自身の中へと溶かしこむ力を持ち、宇宙が溶け去ったあとも「空」として存在しつづける。カルパの終焉に当たり宇宙を解散させるのは、この両神に任されている。あるいはまた、たとえ他の神々のデヴァ(Deva)やトリムルティス(Trimurti)には実現できなくても、強大な悪とデーモンを全て滅する責任を負う。

マハーカーラとカーリーは「カラ」すなわち「時間 」の擬人化された存在であり、何にも拘束されない「時間 」は慈悲を示さず、何もあるいはは誰をも待つことはない。それゆえに男であれ女であれ、子供でも動物でも、世界あるいは宇宙全体を容赦なく滅し尽くす[1][6]。オリッサ州とジャールカンド州ならびにドウァール地方(Dooars)の一部(いわゆるベンガル地方北部)では、野生の象をマハーカーラとして崇拝する[7][8][9]。

[匿名さん]

#982021/01/23 21:51
マハーカーラは通常、色が黒い。黒はすべての色を吸収して溶かし込むように、すべてを包含する包括的な性質を備えるマハーカーラは、すべての名前と形を溶かし込むと言われる。また黒とは色が完全に欠如した状態とも言え、この場合もマハーカーラの本質を究極または絶対の現実として表す。梵語でこの原則をあらゆる質と形を超えた「ニルグナ」nirgunaと呼び、すべてを包含し、かつ絶対の存在というどちらの解釈も引き受ける[10]。

大乗仏教、チベット仏教のすべての宗派では守護神マハーカーラに帰依する。描かれた姿はいくつものパターンがあって、それぞれに本質と側面が明らかに異なる。またさまざまな存在が異なる場合ごとに発散したものと見なされ、聖観音 (Avalokiteśvara、ワイリー方式:spyan ras gzigs)あるいはカクラサバラ(Cakrasaṃvara ワイリー方式:’khor lo bde mchog)である。マハーカーラの王冠にはほぼ必ず5個の頭蓋骨が飾られ、5つの煩悩(kleśās 負の苦痛)が五智如来に化生するさまを象徴する。

マハーカーラの顕現と描写では腕の本数の違いが最も目立ち、他の詳細も実にさまざまである。たとえば事例によって体が白い、頭が複数ある、性器のない姿、何かを踏みつけた立ち姿だが足元の物体の数は一定ではなく、手に持つ道具もさまざまなら、武器の代わりに装飾品などを備えることもある。

[匿名さん]

#992021/01/23 21:52
ヴァジュラヤナ仏教の形態
Shangpaカギュ派(Shangpa Kagyu)の創設者Khyungpo Nenjorに発するNyingshukに広がり、サキャ、ニンマ、ゲルク派—すべての派に加え、さまざまなカギュ派の系譜に伝播した。テルマ系統は六腕のマハーカーラのさまざまな形態を伝える。ニンスクはシャンパから派生しながらシャンパの主流派ではなく—直立ではなく踊る姿であり、非常に高度なマハーカーラの修練である。

白い六腕のマハーカーラ (梵: Ṣadbhūjasītamahākāla ; ワイリー方式:mgon po yid bzhin nor bu)はモンゴルのゲルク派で人気。

12世紀の大乗仏教のマハーカーラ像
マハーカーラ(12世紀、ルービン美術館収蔵)


インド仏教の6本腕のマハーカーラ像(ラダック)
腕が6本のインドのマハーカーラ(ラダック、リキルゴンパ収蔵)


チベット仏教の6本腕のマハーカーラ像
6本腕の黒いマハーカーラ(チベット)

四本腕のマハーカーラ
チベット仏教ではさまざまな四腕のマハーカーラ(梵: Chaturbhūjamahākāla、ワイリー方式:mgon po phyag bzhi pa) はカルマ・カギュ派(en 噶瑪噶舉)、Drikung Kagyu派(直貢噶舉)とドゥクパ系列(en)の主要な守護者である。ニンマ派には四腕のマハーカーラ像も見られDzogchen (梵: Mahasandhi )の教えでは主な守護者は青多羅菩薩(Ekajati)である。

[匿名さん]

#1002021/01/23 21:52
二腕のマハーカーラ
二本の腕を持つ「黒衣のマハーカーラ」(ワイリー方式:mgon po ber nag chen)はカルマ・カギュ派つまり魔術師のマント māntrikaをまとった者たちの守護者で、画像はニンマ派のテルマに由来し第2代カルマパ・ラマ(en)の時代、カルマ・カギュ派が取り入れるとしばしば配偶者ランジュン・ギャルモとともに描かれた。第一の守護者として扱われることが多いものの、実際には特にカルマパ固有の守護者である。四腕のマハーカーラは事実上の主要な守護者、六本腕(ワイリー方式:mgon po phyag drug pa) もカギュ派では一般にダルマパラである。

「マハーカーラ、テントの主」Pañjaranātha Mahakala は文殊菩薩の顕現でありサキャ派の守護者である。


六腕のマハーカーラのルーパ



黒衣のマハーカーラ



アメリカ自然史博物館のアジアコレクションに出展(アメリカ、ニューヨーク市マンハッタン)。



マハーカーラ彫刻(チベット)



1500年頃のマハーカーラ「テントの保護者」、中央チベット。



ネパールのマハーカーラ像。カルマパスの保護者で二腕のBernagchen(黒衣をまとうマハーカーラ)。

その他の形態

ブラフマンの姿をしたマハーカーラ



赤いマハーカーラ[11]

関連項目
シヴァ
大黒天
仏の一覧
Vajrakila 法具の黄金刀、Kīlaともいう。

[匿名さん]

#1012021/01/23 21:54
ヒンドゥー教以外での受容

ヒマラヤにある15世紀の仏教寺院の仏陀像。台座としてシヴァ・リンガと仏陀が彫られている。
シヴァは(仏教の)密教にも登場し、彼はウパーヤとして、シャクティはプラジュニャーとして描かれている[322]。(仏教の)密教の宇宙観ではシヴァは受動的に描かれ、逆にシャクティが能動的に描かれている[323]。

シク教の聖典、グル・グラント・サーヒブに収録されるジャプジ・サーヒブ(英語版)(祈り)には「グル(指導者)はシヴァであり、グルはヴィシュヌとブラフマーである。グルはパールヴァティとラクシュミーである」という一節がある[324]。同じ章には「シヴァが語る。シッダ(Siddha、達した者)らが耳を傾ける。」ともある。また別の聖典、ダサム・グラント(英語版)ではグル・ゴービンド・シングがルドラの2つのアヴァターラについて触れている[325]。

シヴァは仏教の神として取り入れられ、あるいは融合している。左: 日本の大黒天はシヴァと大国主が融合した神格である[326]。右: 不動明王は恐ろしい姿で適応したシヴァである[327]。 シヴァは仏教の神として取り入れられ、あるいは融合している。左: 日本の大黒天はシヴァと大国主が融合した神格である[326]。右: 不動明王は恐ろしい姿で適応したシヴァである[327]。
シヴァは仏教の神として取り入れられ、あるいは融合している。左: 日本の大黒天はシヴァと大国主が融合した神格である[326]。右: 不動明王は恐ろしい姿で適応したシヴァである[327]。

[匿名さん]

#1022021/01/23 21:55
シヴァ信仰はエフタル(遊牧国家)と[328]クシャーナ朝を通して中央アジアに広まった。ザラフシャン川沿いのパンジケントの壁画からはソグディアナやホータン王国でもシヴァ派の信仰が盛んだったことが示されている[329]。この壁画ではシヴァは後光をバックにヤジノパヴィタ(Yajnopavita、肩から下げる聖紐)を身に着け[329]、虎の毛皮を身にまとった姿で描かれるが、この壁画では彼の眷属らはソグディアナの民族衣装を身に着けている[329]。ダンダン・ウィリクで見つかった羽目板にはトリムルティの1柱として描かれるシヴァにシャクティが跪く姿が描かれている[329][330]。またタクラマカン砂漠にも4つの足をもつシヴァが、2頭の牛が支える玉座に足を組んで座る様子が描かれた(壁画)が存在する[329]。加えてゾロアスター教の風の神ヴァーユ・ヴァータ(英語版)がシヴァの特徴を受け継いでいる点も注目に値する[330]。

インドネシアではシヴァはバタラ・グル(英語版)として崇拝される。バタラ・グルはムラジャディ・ナ・ボロン(インドネシア語版)の妻、マヌク・パティアラジャ(インドネシア語版)が産んだ卵から最初に孵化した子供であるとされ、このシヴァのアヴァターラは同様にマレーシアでも信仰される。インドネシアのヒンドゥー教ではシヴァはマハーデーワ(Mahadewa)としても信仰されている[331]。

日本の七福神の1柱である大黒天はシヴァから発展した神格であると考えられている。日本では屋敷神として祀られ、財と幸運の神として信仰を集めている[332]。「大黒天」という名前はマハーカーラの漢訳である[333]。

[匿名さん]

#1032021/01/23 21:56
夜叉(やしゃ、サンスクリット語: यक्ष、yakṣa、パーリ語: यक्ख、yakkhaの音写、訳:暴悪・捷疾鬼・威徳)は、古代インド神話に登場する鬼神。薬叉(やくしゃ)とも称する。のちに仏教に取り入れられ護法善神の一尊となった。


目次
1 インド神話
2 護法善神として
3 その他の文化
4 脚注
5 関連項目
インド神話
一般にインド神話における鬼神の総称であるとも言われるが、鬼神の総称としては他にアスラという言葉も使用されている(仏教においては、アスラ=阿修羅は総称ではなく固有の鬼神として登場)。

夜叉には男と女があり、男はヤクシャ(Yaksa)、女はヤクシーもしくはヤクシニーと呼ばれる。財宝の神クベーラ(毘沙門天)の眷属と言われ、その性格は仏教に取り入れられてからも変わらなかったが、一方で人を食らう鬼神の性格も併せ持った。ヤクシャは鬼神である反面、人間に恩恵をもたらす存在と考えられていた。森林に棲む神霊であり、樹木に関係するため、聖樹と共に絵図化されることも多い。また水との関係もあり、「水を崇拝する(yasy-)」といわれたので、yaksya と名づけられたという語源説もある。バラモン教の精舎の前門には一対の夜叉像を置き、これを守護させていたといい、現在の金剛力士像はその名残であるともいう。

[匿名さん]

#1042021/01/23 21:56
護法善神として
インド神話における夜叉は仏教に包括され、仏法を守護する八部衆の一つとして、また毘沙門天の眷属として羅刹と共に北方を守護する。また夜叉には、天夜叉・地夜叉・虚空夜叉の三種があり、地夜叉以外は飛行するという。

大乗仏典では薬師如来の十二神将や、般若経典を守護する十六善神などが夜叉である。

その他の文化

タイのヤック
スリランカではヤカ(Yaka)という病魔とされ、王にマハーコーラ・サンニ・ヤカー(Mahakola Sanni Yaka)がいるとされる。

タイでは、ヤック(ยักษ์)と呼ばれ、緑色と赤色の対になった巨大な像が寺院等の門にしばしば置かれている。画像はタイのバンコク・プラナコーン区タイ王室宮廷内の寺院入口にあるワット・シーラッタナーサーサダーラームのヤック像である(実はタイ国際空港にも同様のヤック像が置いてある)。

仏教の影響を受けたマニ教パルティア語文書(バクトリア出土)では、イエス・キリストとマニの名において夜叉などのデーウ(悪魔)を祓う、と書かれた護符文書がある。またいくつかの夜叉の特徴も併記されており、たとえばヴィシュヴァパーニ(Viśvapāṇi)は一日の第五の時間を支配し、ペシャワルに住み、塩味のものを食べる、とある。

ジャイナ教ではヤクシャ、ヤクシニーは守護神とされる。

日本語・中国語などでは「凶悪な人間」の比喩として使われており、「外面似菩薩内心如夜叉」などの慣用句もある[1]。

脚注
[脚注の使い方]
^ 第三版, デジタル大辞泉,大辞林. “外面似菩薩内心如夜叉(ゲメンジボサツナイシンニョヤシャ)とは” (日本語). コトバンク. 2019年11月7日閲覧。
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、夜叉に関連するカテゴリがあります。
八大夜叉大将
鬼子母神
荼枳尼天
ヴェッダ人
ピュグマイオイ
ノーム (妖精)
ゴブリン
ドワーフ
オーガ

[匿名さん]

#1052021/01/23 21:57
荼枳尼天
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曖昧さ回避 「ダーキニー」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ダーキニー (曖昧さ回避)」をご覧ください。

荼枳尼天
(剣と宝珠を持つ)
仏像図彙 1783年
荼枳尼天(だきにてん)は、仏教の神(天)[1]。夜叉の一種とされる[2]。

「荼枳尼」という名は梵語のダーキニー(Ḍākinī)を音訳したものである[1]。また、荼吉尼天[1]、吒枳尼天[1]とも漢字表記し、吒天(だてん)とも呼ばれる。荼枳尼“天”とは日本特有の呼び方であり、中国の仏典では“天”が付くことはなく荼枳尼とのみ記される。ダーキニーはもともと集団や種族を指す名であるが、日本の荼枳尼天は一個の尊格を表すようになった。日本では稲荷信仰と混同されて習合し[1][3]、一般に白狐に乗る天女の姿で表される[1]。狐の精とされ、稲荷権現、飯綱権現と同一視される[4]。剣[1]、宝珠[1]、稲束、鎌などを持物とする。


目次
1 起源
2 ヒンドゥー教
3 インド仏教
3.1 初期密教
3.2 中期密教
3.3 後期密教
4 日本
4.1 伝来
4.2 中世
4.3 「彼の法」集団と性愛信仰
4.4 習合
4.5 戦国
4.6 近世・近代
5 チベット
6 真言・種子
7 荼枳尼天を祀る日本の主な寺院
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 参考文献
10 関連項目

[匿名さん]

#1062021/01/23 21:58
起源
荼枳尼天の起源であるインドのダーキニーは、裸身で虚空を駆け[5]、人肉を食べる魔女である[6]。ダーキニーの起源は明らかでないが[5]、ヒンドゥー教もしくはベンガル地方の土着信仰から仏教に導入されたと考えられている[7]。立川武蔵によれば、ダーキニーは仏教に取り入れられたのち、ヒンドゥー教でも女神として知られるようになった[5]。もとはベンガル地方の女神カーリーの侍女で、後にカーリーがヒンドゥー教の神シヴァの妃とされたため、ダーキニーもシヴァの眷属とされた、と立川は説明している[7]。また、津田真一のいう「尸林の宗教」の巫女に起源を求める説もある(後述)。

ヒンドゥー教

ダーキニーとヨーギニー(中央カーリーの両側)。西ベンガル州の祭典
ヒンドゥー教ではカーリーの眷属とされ[2]、カーリーに付き従って尸林をさまよい、敵を殺し、その血肉を食らう女鬼・夜叉女となっている[8]。

[匿名さん]

#1072021/01/23 21:58
インド仏教
初期密教
初期密教ではダーキニーは羅刹女の類であり、荼枳尼の害を除くための呪文などが説かれている。また、人間と獅子との間に生まれた子が、荼枳尼や荼伽(ダーカ・男のダーキニー)となり[注釈 1]、初めは鳥獣を、後には人肉を食うようになったとの話も見られる。

中期密教
中期密教では大日如来(毘盧遮那仏)の化身である大黒天によって調伏され、死者の心臓であれば食べることを許可されたという説話が生まれた[注釈 2]。大黒天は尸林で荼枳尼を召集し、降三世の法門によってこれを降伏し仏道に帰依させた。そして「キリカク」という真言と印を荼枳尼に授けたとされる。自由自在の通力を有し、6ヶ月前に人の死を知り、死ぬまではその人を加護し、死の直後に心臓をとってこれを食べるといわれる[8]。人間の心臓には「人黄」という生命力の源があり、それが荼枳尼の呪力の元となっているのである[9]。

後期密教
インドの後期密教においては、タントラやシャクティ(性力)信仰の影響で、裸体で髑髏(どくろ)などを持つ女神の姿で描かれるようになっていった[10]。明妃と呼ばれる女性配偶尊として登場する[11]。髑髏杯(カパーラ)や肉切包丁(カルトリ)を手にした裸の女性の姿で表わされ、ヨーギニー(瑜伽女)とも呼ばれる[6]。無上瑜伽タントラの密教修行において、行者の性的パートナーの役割を担う[12]。仏教学者の津田真一は、後期密教のダーキニーは7-8世紀のインドでオルギー的宗教儀礼を行っていた魔女たちの集団であったと想定した[13]。田中公明はこの津田の仮説を下敷きにして、ダーキニーは中世インドの尸林で祀られていた土着宗教の女神[注釈 4]の眷属であったが、その女神の祠堂に仕える巫女もまたダーキニーと呼ばれたと推察している[15]。

[匿名さん]

#1082021/01/23 21:59
日本

胎蔵曼荼羅・外金剛部院の荼吉尼衆

清盛と荼枳尼天 (歌川国芳)
盛衰記人品箋 1840年

弘誓寺(丹波篠山市)山門に祀られる
木製の荼枳尼天(制作年不明)
伝来
平安初期に空海により伝えられた真言密教[注釈 5]では、 荼枳尼は胎蔵曼荼羅の外金剛院・南方に配せられ、奪精鬼として閻魔天の眷属となっている[16]。半裸で血器や短刀、屍肉を手にする姿であるが、後の閻魔天曼荼羅では薬袋らしき皮の小袋を持つようになる[17]。さらに時代が下ると、その形像は半裸形から白狐にまたがる女天形へと変化し、荼枳尼“天”と呼ばれるようになる。また、辰狐王菩薩(しんこおうぼさつ)[1]、貴狐天皇(貴狐天王、きこてんのう)とも呼ばれる[18][19]。

[匿名さん]

#1092021/01/23 22:00
中世

荼枳尼天曼荼羅(大阪市立美術館蔵、室町時代)
中世になると、天皇の即位灌頂において荼枳尼天の真言を唱えるようになり、この儀礼で金と銀の荼枳尼天(辰狐)の像を左右に祀るという文献も存在する[20]。また、平清盛などが荼枳尼天の修法を行っていたといわれ、『源平盛衰記』には清盛が狩りの途中で荼枳尼天(貴狐天皇)と出会い、この修法を行うか迷う場面が記されている[21]。ただし、『源平盛衰記』はあくまでも後世に書かれた文学作品であり、清盛が実際に荼枳尼天の修法を行っていたとする根拠はない

「荼枳尼天」の名は、敵対する僧侶をレッテル貼りして罵倒する際にも用いられた。たとえば、真言宗の宥快の『宝鏡鈔』(天授元年/永和元年(1375年))では、宥快の政敵である文観(後醍醐天皇の護持僧)が、荼枳尼天を祀る妖僧として批難されている[22]。通俗書の類はこれをそのまま採用するもの[23]があるが、21世紀現在の研究では、これはただのいわれのない誹謗中傷であり、実際には文観が荼枳尼天を信仰したことはないことが判明している[22]。

この尊天は祀るのが非常に難しく、一度祀ると自分の命と引きかえに最後までその信仰を受持することが必須とされ、もしその約束を破ると、その修法を止めた途端に没落する、あるいは災禍がもたらされるとも考えられていた[要出典]。したがって、これは外法として考えられることもある忌まれる信仰でもあった。荼枳尼天の修法を外法と呼んだ例は中世文学に見られ、『平家物語』には「かの外法行ひける聖を追ひ出さんとす」、『源平盛衰記』には「実や外法成就の者は」、『太平記』には「外法成就の人の有けるに」との記述がある[24]。

[匿名さん]

#1102021/01/23 22:00
「彼の法」集団と性愛信仰
荼枳尼天は後々に性愛を司る神と解釈された。日本では鎌倉時代の13世紀前半ごろに[25]、荼枳尼天を祀る名称不明の密教集団(便宜上「彼の法」集団と呼称[26])が現れ、「髑髏本尊」という髑髏を本尊とする性的儀式を行った[27]。真言立川流の心定は「彼の法」集団と敵対し、『受法用心集』(文永5年(1268年)[28])を著して、これを邪教と糾弾した[27]。「彼の法」集団はおそらく14世紀前半ごろまでには消滅した[29]。

なお、通俗書[30]や2000年代以前の研究書では「立川流は荼枳尼天を祀ったとして邪教視され、江戸時代にはついに途絶えた」などというように解説するものが多いが、立川流の側を荼枳尼天信仰団体とするのは、宥快の『宝鏡鈔』(天授元年/永和元年(1375年))などによって広まった誤解である(詳細は「彼の法」集団#歴史)。

習合
狐は古来より、古墳や塚に巣穴を作り、時には屍体を食うことが知られていた。また人の死など未来を知り、これを告げると思われていた。あるいは狐媚譚などでは、人の精気を奪う動物として描かれることも多かった。荼枳尼天はこの狐との結びつきにより、日本では神道の稲荷と習合するきっかけとなったとされている[注釈 6]。なお、狐と荼枳尼の結びつきは既に中国において見られるが、狐(野干)に乗る荼枳尼天の像というのは中世の日本で生み出された姿であり、インド・中国撰述の密教経典・儀軌には存在しないものである[要出典][注釈 7]。

[匿名さん]

#1112021/01/23 22:01
戦国
戦国時代には、各地の武将が城鎮守稲荷として荼枳尼天を祀るようになる。武将たちの生命のかかった城に祀られる稲荷は、怨敵退散を祈願し闘戦に勝利するため荼枳尼天が大部分だったと考えられている[31]。現在でも、久保田城跡(秋田県)、小諸城跡(長野県)、浜松城跡(静岡県)など、城跡で稲荷社の祭祀が続けられる所は少なくない[要出典]。

近世・近代
近世になると荼枳尼天は、伏見稲荷本願所(愛染寺)、豊川稲荷(妙厳寺)、最上稲荷(妙教寺)、王子稲荷(別当 金輪寺)のように、憑き物落としや病気平癒、開運出世の福徳神として信仰される。俗に荼枳尼天は人を選ばないといわれ、誰でも願望を成就させると信じられたため、博徒や遊女、被差別階級等にも広く信仰を集めた[要出典]。

明治政府が成立すると神仏分離政策を受け、それまで全国の寺社に荼枳尼天を勧請していた愛染寺は廃寺となり、伏見稲荷で荼枳尼天を祭祀することは途絶えた。また荼枳尼天を祀っていた稲荷社も多くは宇迦之御魂神などを祭神とする稲荷神社となった[注釈 8]。しかし豊川稲荷や最上稲荷など神仏分離を免れた寺院もあり、その後は一度廃れた鎮守稲荷を復興したり、新たに勧請する寺院も現れ、現在にいたっている[要出典]。

なお豊川稲荷では荼枳尼天を祈祷の本尊として大般若経転読が、最上稲荷では同じく[注釈 9]木剣加持が行われているが、これは中世に外法と呼ばれた修法とは全く別のものである。

[匿名さん]

#1122021/01/23 22:04
チベット

ヴァジュラ・ヴァーラーヒー曼荼羅 (14世紀 チベット)

チベット 踊るダーキニー(フランス国立ギメ東洋美術館)
後期密教を取り入れたチベットでは、ダーキニーはカンド(チベット文字:མཁའ་འགྲོ།; ワイリー方式:mkha' 'gro)[注釈 10]、カンドマ(チベット文字:མཁའ་འགྲོ་མ་; ワイリー方式:mkha' 'gro ma、漢訳: 空行母)[注釈 11]と呼ばれる。密教の行者を悟りに導く女神とされ[33]、重要な位置を占める。無上瑜伽タントラの曼荼羅では、中尊であるヘールカ(守護尊)と明妃であるダーキニーとが交わる父母仏が描かれ、中尊の周囲にも眷属的なダーキニーが配される。それらの中には鳥獣頭を持つものもある。また、埋蔵経典の『死者の書』にも多くのダーキニーが登場する。

代表的なものとしては、チャクラサンヴァラ(最勝楽)の明妃ヴァジュラヴァーラーヒー(金剛亥母)、ヘーヴァジュラ(呼金剛)の明妃ナイラートマー(無我女)、カーラチャクラ(時輪金剛)の明妃ヴィシュヴァマーター(一切母)などである。中でも猪の面を側頭部に持ち、そこから発する鋭い叫び声で幻影を打ち砕くというヴァジュラヴァーラーヒーは単独でも多く信仰される[注釈 12]。

ヴァジュラヴァーラーヒーはチベット語ではドルジェ・パクモ (rdo rje phag mo) と言い、その化身である転生ラマとされる女性が受け継ぐ名跡の名称ともなっている(サムディン・ドルジェ・パクモ(英語版))。現在はドルジェ・パクモ12世である[要出典]。

真言・種子
真言
オン・ダキニ・ギャチ・ギャカニエイ・ソワカ[36]
オン・キリカク・ソワカ (除行垢呪)[36]
ナウマク・サマンダ・ボダナン・キリカ・ソワカ[37]
オン・シラバッタ・ニリウン・ソワカ
種字は ダ(ड、ḍa)である[36]。

[匿名さん]

#1132021/01/23 22:04
愛宕念仏寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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愛宕念仏寺
Otagi nenbutsuji09s3200.jpg
本堂(重要文化財)
所在地 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
位置 北緯35度1分52.95秒 東経135度39分40.04秒座標: 北緯35度1分52.95秒 東経135度39分40.04秒
山号 等覚山(とうかくざん)
宗派 天台宗
本尊 千手観音
創建年 天平神護2年(766年)
開基 称徳天皇
正式名 等覚山 愛宕念仏寺
別称 千二百羅漢の寺
文化財 本堂(重要文化財)
金剛力士像(市指定文化財)
公式HP Otagi Nenbutsuji Temple
法人番号 5130005001868 ウィキデータを編集
愛宕念仏寺の位置(京都市内)愛宕念仏寺
テンプレートを表示

石像千二百羅漢

愛宕念仏寺の跡、
京都市東山区
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)は、京都市右京区の嵯峨野にある天台宗の寺院。本尊は厄除千手観音。別名千二百羅漢の寺。愛宕山愛宕神社参道の山麓の入り口に位置する「嵯峨野めぐりの始発点」として知られる。


[匿名さん]

#1142022/09/25 20:23
宗旨「天台法華宗」の系統をひくおもな宗派
宗派・宗旨の定義および個別の宗派については「十三宗五十六派」を参照
最澄は自身の諸著作で「天台法華宗」または「天台法華円宗」と記し、「天台宗」という略称は用いなかった。

天台宗 - 下記の分派との差別化のため山門派、円仁派とも。 ⇒ 天台宗
天台寺門宗 - 長等山園城寺を総本山とする上記の一派。寺門派、円珍派。
天台真盛宗 - 戒光山西教寺を総本山とする上記の一派。真盛派。
宗旨「法華宗」(日蓮宗)

記事の体系性を保持するため、リンクされている記事の要約をこの節に執筆・加筆してください。(使い方)
「宗旨」としての「法華宗」(日蓮宗)については十三宗五十六派および日蓮宗#宗旨・日蓮宗の概要を参照

「法華宗」を冠する勝劣派の諸門流と宗派
日蓮門下の現行の宗派(宗教法人)の詳細については「日蓮#日蓮門下の諸派」を参照
法華号を冠した宗派名を使用する門流と宗派(宗教法人)
日真門流:一致派の日像門流(四条門流)から独立した門流。現在、慧光山本隆寺を総本山とする法華宗真門流。
日隆門流:一致派の日像門流(四条門流)から独立した門流。現在、本能寺はじめ本興寺、徳永山光長寺、長国山鷲山寺の四山を大本山とする法華宗本門流および、卯木山妙蓮寺を総本山とする本門法華宗など。
日陣門流:一致派の日静門流(六条門流)から独立した門流。現在、長久山本成寺を総本山とする法華宗陣門流。
日什門流:一致派の日常門流(中山門流)から独立した門流。現在、門流所属寺院のうち約200ヶ寺が妙塔山妙満寺を総本山とする顕本法華宗
日興門流(富士門流):勝劣派の門流。門流の八本山のひとつ西山本門寺と末寺の一部が現在単立の宗教法人法華宗興門流

[匿名さん]

#1152022/09/25 20:24
念仏(ねんぶつ)とは、仏教における行のひとつで、仏の姿や功徳を思い描いたり、その名号を口に出して呼ぶこと。サンスクリット語では"Buddhānusmṛti(英語: Buddhānusmṛti)"で、仏陀に対する帰敬、礼拝、讃嘆、憶念などの意である。元来は仏(ブッダ)を思い描く等しながらの瞑想修行を指していたが、日本では、浄土宗・浄土真宗が広く普及した結果、一般的には、浄土教系の宗派において合掌礼拝時に「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)と声に出して称える「称名念仏」を指すことが多い。

また本来の「仏」の「名号」を口にして呼ぶ意味から、各宗派による解釈の相違・用語の違いはあるもの、例として「南無釈迦牟尼世尊」「南無大聖不動明王」「南無観世音菩薩」も念仏である。

概要
「念」という漢字には、「憶念」、「仏隨念」、「心念」(観心)、「観念」(「観想」)、「称念」などの抽象的な名詞の意味のほか、口に出してとなえるという動詞としての意味がある。この意味では口編を付けた「唸」(うなる)は1異体字である。「「念仏」の場合「仏」が目的語であり仏の名を唱えることと理解される。

「仏」とは、この場合「仏身」、「仏名」の意味がある。「仏」を「仏身」とみる場合、具体的な仏の相好(そうごう)とか仏像とかとみる時と、仏の本質的な実相の理をあらわす法身(ほっしん)とみる時とでは、「念」の意味もおのずから変わってくる。法身を念ずる場合は、それは「理を観ずる」のだから、念は憶念、思念、心念などの意味である。具体的な仏や仏の相好にむかえば、それは生身や像身の色相(すがたかたち)を観ずることであるから、念は観念の意味が強い。仏を仏名とみれば、名は称え呼ぶものであるから、念は称念の意味とみるべきである。

念仏については、さらに正しく物を見るために、五停心観(ごじょうしんかん)という、心を停止する観法があり、その中にも「念仏観」がある。この場合の念仏観は、睡眠とか逼迫の障りを対論して心を静止せしめるための方法をいう。

このように、念仏には、様々な受け取り方がある。

[匿名さん]

#1162022/09/25 20:25
日本
奈良仏教・平安仏教
奈良仏教(法相宗)・平安仏教(天台宗)では、観想念仏が主流であった。

最澄
日本天台宗の開祖・最澄(伝教大師)は、止観によって阿弥陀仏と自己の一体を観想する念仏修法を導入した。
日本天台宗では比叡山の常行堂(常行三昧堂・般舟三昧堂)における常行三昧がある。
源信
源信の撰述した『往生要集』では、「観想」と「称名」の2つの念仏を立てるが「観想念仏」を重視し、来迎の儀式を強調したため[6][7]、平安貴族に流行する。その影響で、平安時代は極楽浄土や阿弥陀三尊を表現する建築様式(宇治の平等院や平泉の中尊寺など)や美術様式が発展した。
「観想念仏」を重視したものの、一般民衆のための「称名念仏」を認知させたことは、後の「称名念仏」重視とする教えに多大な影響を与えた。
称名念仏
詳細は「称名念仏」の項目を参照。

「称名念仏」は、良忍・法然・親鸞らにより布教される。宗旨・宗派により解釈が異なる。

貞慶
貞慶は、釈迦の観想念仏に励行する一方で、法然の専修念仏を批判した。
踊念仏
踊念仏(おどりねんぶつ)とは、太鼓・鉦(かね)などを打ち鳴らし、踊りながら念仏・和讃を唱えること。現在は、婦人を中心とした檀信徒による「跡部の踊り念仏」と、僧侶が儀式として修行する「踊躍念仏」に分化している。

その起源は平安時代中期の僧空也にあるといわれる。空也が創建した六波羅蜜寺には踊躍念仏が伝わり、国の重要無形文化財に指定されている[8]。鎌倉時代、時宗の一遍が伯父の河野通末の配流先であった信濃国伴野荘(長野県佐久市)を訪れた時、空也に倣って踊念仏を行った。

[匿名さん]

#1172022/09/25 20:25
法善寺(ほうぜんじ)は、大阪府大阪市中央区難波にある浄土宗の寺院。山号は天龍山。本尊は阿弥陀如来。全身が苔むした姿の「水掛不動」が有名である。千日念仏を行ったことから俗に千日寺と呼ばれ、千日前の地名は当寺の門前に由来する。

概要

水掛不動を訪れる人が絶えない

法善寺横丁

法善寺横丁
山城国宇治郡北山村に琴雲上人が開山として法善寺を建立する。寛永14年(1637年)、金比羅天王懇伝の故事により中誉専念上人が現在地に移転する。他説では、同年に現在の大阪市天王寺区上本町8丁目より現在地に移り、寛永21年(1644年)から千日念仏回向が始まったという。

文政2年(1828年)に焼失するが、澄誉が再建する。嘉永5年(1852年)、再び焼失する。しかし、安政2年(1855年)に見誉が再建した。

1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲で水掛不動明王を残し、すべて焼失する。

1955年(昭和30年)頃、同じ浄土宗の寺院であり、大阪新四十八願所阿弥陀巡礼第37番札所である長圓寺と縁を結ぶ。1960年(昭和35年)頃、金毘羅堂や庫裡などは再建できたが、本堂は再建できていなかった。そこで、法善寺は長圓寺を法善寺別院とし、そこに本尊の阿弥陀如来を移して法善寺本堂を建立する。

法善寺横丁
当寺院の北側にある細い通り。元は境内だったことから法善寺裏、法善寺露地などと呼ばれていた。昭和初期に小説『夫婦善哉』や『法善寺横丁』に登場して有名になり、横丁の名が定着した。

2002年9月9日、隣接する旧中座の解体工事中のガス爆発事故により19店舗が焼失。法規制により原状への再建が危ぶまれたが、2004年3月にかけて順次営業再開することができた[1]。

[匿名さん]

#1182023/02/12 18:58
干支の守り本尊 八尊仏
梅宗寺の境内では干支の守り本尊である八尊仏がお詣りできます。

八尊仏の起源は定かではありませんが、江戸時代頃には日本各地で信仰されていたと伝えられています。

一説には陰陽道が関係しているとされています。陰陽道(易学)の八卦では

 坎:(方位)北 (十二支)子 (自然)水
 艮:(方位)東北(十二支)丑寅(自然)山
 震:(方位)東 (十二支)卯 (自然)雷
 巽:(方位)東南(十二支)辰巳(自然)風
 離:(方位)南 (十二支)午 (自然)火
 坤:(方位)西南(十二支)未申(自然)地
 兌:(方位)西 (十二支)酉 (自然)沢
 乾:(方位)西北(十二支)戌亥(自然)天

のように、八つの方角に十二支や自然が配分されており、それぞれに縁のある守護の本尊(如来、菩薩、明王)が選ばれ、配置されたと考えられます。

[ふとした瞬間]

#1192023/02/12 19:00
八尊仏
○○○○○○○○イメージ
子年 千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)
千の手と千の目で、どんな人々でも漏らさず救済しようとする、広大無限の慈悲の心を持つ。

ご利益:開運・諸願成就

○○○○○○○○イメージ
丑・寅年 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)
虚空蔵とは「宇宙のような無限の知恵と慈悲が収まっている蔵」を意味し、人々の願いを叶えるために、知恵や記憶力・知識を与えてくれる。

ご利益:記憶力増進・商売繁盛

○○○○○○○○イメージ
卯年 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)
文殊の智慧とは「仏教の悟りの知恵」を表し、物のあり方を正しく見極める力・判断力を意味する智慧を司る。

ご利益:記憶力増進・商売繁盛

○○○○○○○○イメージ
辰・巳年 普賢菩薩(ふげんぼさつ)
普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、慈悲と行により人々を救う、行動力に優れた菩薩である。

ご利益:息災延命・除災福徳

○○○○○○○○イメージ
午年 勢至菩薩(せいしぼさつ)
偉大な智慧の光を持ち、この智慧の光によって現世を照らし、煩悩を捨て去り、人々を迷いや苦しみから救う。

ご利益:智慧明瞭・家内安全

○○○○○○○○イメージ
未・申年 大日如来(だいにちにょらい)
大日とは「大いなる日輪」という意味で、太陽を上廻る光ですべてを照らす最高の仏としてこの名が付けられる。

ご利益:現世安穏・諸願成就

○○○○○○○○イメージ
酉年 不動明王(ふどうみょうおう)
不動とは「動かない守護者」を意味し、仏法の障害になるものに対しては怒りをもって、屈服させ、仏法を護り人々を守る。

ご利益:除災招福・悪因消滅・必勝祈願

○○○○○○○○イメージ
戌・亥年 阿弥陀如来(あみだにょらい)
あみだは「無量」の意味を表し、命あるすべてを救うべく誓いを立て、悩める人を極楽浄土に導く。

ご利益:延命長寿・極楽往生

[山梨ウォーカー]

#1202023/02/12 19:01
卯年と文殊菩薩
先日行った荒神さんで、ひょうたん型のお守りを購入いたしました。
皆様も一度は目にしたことがあると思います。


↑これです


このひょうたんを覗くと、中には仏様とウサギが描かれておりました。


↑ひょうたんの中
(写真を撮るのに四苦八苦しておりました・・・)


皆様は、守護仏(守護本尊)をご存知でしょうか?
十二支には八体仏という仏様が割り当てられており、十二の方位を守っております。

子 … 方位:北 / 千手観音菩薩
丑 … 方位:北北東 / 虚空蔵菩薩
寅 … 方位:東北東 / 虚空蔵菩薩
卯 … 方位:東 / 文殊菩薩
辰 … 方位:東南東 / 普賢菩薩
巳 … 方位:南南東 / 普賢菩薩
午 … 方位:南 / 勢至菩薩
未 … 方位:南南西 / 大日如来
申 … 方位:西南西 / 大日如来
酉 … 方位:西 / 不動明王
戌 … 方位:西北西 / 阿弥陀如来
亥 … 方位:北北西 / 阿弥陀如来

また、それぞれに梵字や真言などもございますので、興味のある方は調べてみてください。

[ラッキー♨]

#1212023/02/12 19:02
私は卯年のため
守護仏は「文殊菩薩」ということになります。
獅子に乗った若い仏様で、すごく特徴的ですね。
右手には宝剣、左手には経典と、こちらも特徴的で他の仏様とも見分けがつきやすいですね。
中には獅子に乗っていない立像もあるようです。

文殊菩薩は、知恵や学問を司る菩薩様で、釈迦如来の脇侍(きょうじ)であり向かって左手にいらっしゃいます。ちなみに右手は普賢菩薩です。

そして、仏様にもランクがあり、
一番高い位の仏様が「如来」です。
未申の守護仏である「大日如来」、戌亥の守護仏である「阿弥陀如来」、ここにはおられませんが「薬師如来」も有名ですね。
二番目が菩薩、三番目が明王、そして天部となります。
天部という言葉は聞きなれないのですが、毘沙門天や金剛力士、阿修羅などがこれに当たるようで、結構身近な存在ですね。
ちょっと強面の仏様たちなのが気になりますが・・・。

そして、自分の守護仏をご本尊とするお寺にお参りに行くのが良いようです。
私の場合は日本三景で有名な天橋立にある「知恩寺」や奈良の「安倍文殊院」ですね。

そして、有馬温泉にもお寺がたくさんあり、
「温泉寺」のご本尊は薬師如来。
枝垂れ桜が有名な「善福寺」、梅の綺麗な「林渓寺」のご本尊は共に阿弥陀如来です。


↑温泉寺の薬師如来像

有馬温泉にお越しの際は、是非お立ち寄りくださいませ。

2023年1月6日
有馬温泉月光園 幸坂

[匿名さん]

#1222024/01/04 20:17最新レス
鬼の種類
五色の鬼
鬼の種類
赤鬼 人間のすべての悪い心をあらわしています。金棒を持っています。
青鬼 貧相で欲深い心をあらわしています。さすまたを持っています。
黄鬼 愚痴や甘えの心をあらわしています。かけや(大金鎚)を持っています。
緑鬼 おごりたかぶりの心をあわらしています。なぎなたを持っています。
黒鬼 疑いの心をあらわしています。斧を持っています。
三途川婆

強欲なねたみの心をあらわしています。

[カツオ黄レンジャー月]


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