↑あそこらへんは、前から空き巣が出ていた! 知る人ぞ知る有名地 🐙
[匿名さん]
少し前に、50メートル先の空家も火事になったな。
まあ、狸が沢山いる地区だから奴らに電気の配線かじられたと言うこともありえる。
[匿名さん]
↑おい! 田舎丸出しの話するなよ!🐻 笑笑わら 🐙
[匿名さん]
知らなかったの?
あの青田川沿いには、狸が相当生息しているんだよ。
狸は今、田舎より年寄りの多い市街地に多くいる。
仲町もそう。夜裏側へ行けばいるわいるわ。
言っておくが、上越なんか、とんでもないど田舎なんだよ。
都会ぶるなよ(笑)
[匿名さん]
ナルホド!と、言うことは、狸さんも歳とった!ってこと? 大体が、狸さんと狐さん 区別つく? 🐙
[匿名さん]
面見れは分かるはず。
それと、狸は愛嬌があるが、狐は騙してばかり。
だから女狐。
飲み屋へ行けばわんさか。
[匿名さん]
そう言うタヌキジジイには、体か若返ると偽って背中に辛子でも塗ってやればいい。
[匿名さん]
↑笑笑わら ソレ使わしてもらいます! みんなの仲町みんなの🐧💗ハウスたこの店!🌺 🐙
[匿名さん]
で、結局、どちっちがどっち? 狸さんと狐さん ハテナ 🐙
[匿名さん]
おそろしい…多分これ全焼だな…歴史ある晴山荘なのに
[匿名さん]
自分の店燃えてるところをYouTubeにアップされるの嫌だな
[匿名さん]
鎮火したけどかなり大きな火災だったね…原因はなんだったんだろう
[匿名さん]
上越市安全メールで受信して上越市タウンジャーナル、上越市タウン情報を見て確認した。晴山荘だね。
[匿名さん]
関東大震災で清澄庭園に逃げた2万人が助かった理由……
「樹木の防火力」の歴史的事実 福嶋 司 2023.05.31
大江戸線の清澄白河駅の近くにある清澄庭園。池と緑のある静かなこの庭園が、
関東大震災で2万人の命を救ったことはあまり知られていない。
清澄庭園に逃げた人たちはなぜ助かったのか?その理由は池と、
「樹木の防火力」だった。
避難場所の選択が命の分かれ道に
大正12年(1923)9月1日午前11時58分44秒、
相模湾を震源とするマグニチュード7・9の大地震が発生、
さらに二次災害として各地で火災が発生した。
火事は3日間燃えつづけ、当時の東京市内の約半分の地域を舐め尽くし、
東京市全体の62パーセントに当たる家屋が焼失した。
行方不明者を含む死者は9万3886人に及んだが、
死者の約90パーセントが焼死であったという。
火災は熱旋風(熱竜巻)を発生させる。
着火物を含んだ強風や火の粉が逃げまどう人びとを上から襲った。
火災の熱風は地表も這い、衣服を焼き、髪も焼いた。着火飛来物は人の首さえも飛ばした。
[匿名さん]
人びとは火に追い立てられて広い空地や樹木を持つ公園に逃げ込んだ。
当時の東京市の人口は約248万人であったが、
そのうちの70パーセント以上が公園などに避難して助かったという。
しかし、逃げ込んだ場所の条件の違いが生死を分けた。
広い場所に避難し、ほっとしたのもつかの間、周囲から3回の高熱の熱旋風が襲来した。
火は持ち込んだ布団や家財道具に引火し、外と内からの火で火の海となった。
人びとは逃げ場を失い、結局3万8000人もの焼死者が出た。
窒息死者と周辺の焼死者を合わせるとこの地域では4万4315人が亡くなったという。
しかも、そのうち、性別判別ができた人は13・6パーセントしかなかったといわれ、
火災のすさまじさを示している。
一方、避難してきた2万人もの命を守ったのが旧岩崎邸、現在の清澄庭園である。
清澄庭園
旧岩崎邸は陸軍被服廠の跡と同じ隅田川のほとりにあり、
面積は約4・8ヘクタール、同じように周囲を民家に囲まれていた。
しかし旧岩崎邸は中央部に池があり、邸の周囲を煉瓦塀と土塁が取り囲んでいた。
さらに、土塁の上にはスダジイ、タブノキ、イチョウなどの木々が樹林帯を形成し、
邸内にも多くの樹木が植えられていた。
ここにも外部からの火災の熱が容赦なく襲ってきたが、
その熱を周辺部の樹木が防ぎ、避難した人びとを安全に守ったのである。
[匿名さん]
>漏電じゃない?
これ、小M食堂のかなり古いブレーカーもヤバいかも・・・。
[匿名さん]
本町六丁目の建物。うちは寺町だけど、ここまでけっこう焦げくさい!
[匿名さん]
延焼はしなかったの? レトロな建物なのに惜しいね。
[匿名さん]
技能実習生という名の可哀想な奴隷とかが勝手に住んでたの?知らんけど。
[匿名さん]