>>422
>>423
ご苦労様です
だいたいフィリピンの歌は、男から女への、女から男への心の叫びや葛藤が多いですね。
日本の歌詞の様な情景描写とか私小説を詩にした様な作品は少ないと思います。
当然「心の叫び」「心の葛藤」だから内容は似た様なものになってしまいます。
皆さんがよく御存じの曲で言えば、KZのmahal ko o mahal akoなんかもそうですね。
それと他に多いのが、女が男に対して、「ヤルだけやって、どこに行ってしまったの あなたは 私は変わらず待っているわ」ってパターン。
勿論、詩にヤルだけやってとはでてきませんが。
まあ海外労働の多い国だし、国内でもDavaoではらませてmanilaで仕事してたり、基本、携帯で連絡とれなければ逃げ放題の国ですから。
ですから当然ですが、詩には似た様な単語が溢れてきます。そうそう沢山の語彙がなくても1曲ずつマスターしていけば、そのうち初挑戦の曲でも(なんだ、ほとんど知ってる単語ばかりじゃん)って事になってきます。
フィリピノ語自体が、全文を「意味」として捉える言語なので(これは英語も同じ)、日本の歌詞の様に、言葉じりをどうこうする芸術的手法はありません。(例えば日本語のように、君だよ、君さ、君だねなどの違いはありません。君は君なのです)(厳密にいえば例外もありますが)
その様な言語は概して会話中、日本語よりジェスチャーが多くなり、会話している人の表情も多彩です。
言語の違いがあるので日本と同じ物を求める事は無理ですが、詩の内容は、あくまでもフィリピン国内に向けて発信している事を考えればクオリティが低いとは言えないとおもいます。むしろ曲を評価してあげればどうでしょう。(ただしコンポーザーがそう多いわけではありません)