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諸説ありますので、明確ではありません。
松阪市史には、弘化四年(一八四七年)三月に現在の位置に【 燈明台 】を建てたという記録があるが、明治時代から残る言い伝えは、一人の《 業病患者 (難病患者) 》が此処で倒れた。
苦しむ姿で道行く人に、ほどこし.手助けを求めた。
しかし、 その年は飢饉で食糧難。未知の感染症を恐れて誰も近づかなかった。
そして、あの場所で死に絶えた。
最期の言葉は「ふれなば ふれなや」(触るのが嫌なら 助けなくていい) だったらしい。
その後、此処で奇妙な出来事が続き 供養の灯籠を建てた。見殺した怨念が灯籠に宿り受け継がれているらしい。
郷土史『郷土はなおか』には《 何者かが常夜灯を売り払ったため、一本の石灯籠を建てた 》と記されており、 時代の流れの中で花岡村周辺で発生した はやり病と合わせて 【 呪いの灯籠 】と呼ばれるようになった。と記されている。
本題の下村町 罪人さらし首跡地の場所です。
徳和駅→ 下村町交差点(きんごろう)→ 松阪高校方向へ進むと【KOMERI前の 某小児科裏の旧道沿いの左側(南側) 此処に不思議と小さな空き地(更地)が在ります】
補足・キンロー〜ローソン周辺に点在する家は、被差別地区です。
地域の史実事実タブーは自ら深く触れない方がよい。知らないままで暮らすのは危険。注意するエリアを把握すると余計なトラブルを回避できます。