昔より
主をば内海(討つ身)の
野間なれば
報ひを待てや
羽柴筑前
[匿名さん]
丹羽長秀と共に四国遠征を待っていたその時、本能寺の報が伝わる。
すると率いていた1万何千人の兵がみるみる離散。数千人が残っただけだったという。
[匿名さん]
暗愚とされた信雄に対し、信孝は父信長の勇猛さを受け継いでいたからである。
[匿名さん]
信孝が勝家と組むので信雄は自然、秀吉に近付く。
信長の家臣達は秀吉・信雄党と勝家・信孝党に分裂する。
敵の敵は味方で秀吉と信雄は一致したのであるが、共通の敵である勝家・信孝が滅んだ事で決裂している。
[匿名さん]
勝家「信長公の後継者は三男・信孝様が良いのでは。」
[匿名さん]
信長の長男・信忠が生きていれば何事もなかったのである。
そもそも信長は家督を既に信忠に譲っており、信忠は織田家の正式な当主なのである。
つまり信雄・信孝と言えども信忠に反逆する事はもう出来ないのである。
[匿名さん]