>>173
横須賀に関連して旧大東町にある高天神城について一言提案させて頂く。
今、高天神城跡の荒れようが酷い。
特に「犬戻り・猿戻り」と言われ、第二次高天神城攻防戦において武田方の横田甚五郎(尹松ただまつ)が脱出を図り、又3月25日午後10時、城主岡部元信が林の谷に陣を敷く徳川方の猛将大久保忠世隊に最後の突撃を敢行した折にその手勢を率いて密かに忠世隊に迫ったとされる通称甚五郎の抜け道が崩落寸前である。
さらに、第一次、第二次高天神城攻防戦ともに最大の激戦地となった西峰の「堂の尾曲輪」周辺がまるでその価値を認識されていない状態で放置されている。
この状態は旧大東町が掛川市と合併した以降に発生しとものである。
これはひとえに掛川行政庁の歴史に対する造詣の浅さが引き起こした惨事である。
高天神城跡とその周辺の六砦は掛川市にとって最大の遺産の一つである。
このままでは高天神城跡を後世の子供達に見せることができなくなってしまう。
したがってどうでしょう?この状態を認識するために一度行政庁自身が高天神城に関する資料をお読みになり、実際に当地に足を運んでみては如何でしょうか?
仮にそれなりの専門家が不在であれば、私が爆砕の掛川雑談を通して資料に忠実な高天神城の保存に関して諮問を受けることも可能である。
ただし、歴史遺跡の保存はレジャーランドの構築ではないことを重々ご配慮頂きたい。