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国王が、地面に頭を九回打ちつけていた情けない民ジョク!
迎恩門は、李朝を通じて、明、あるいは清の皇帝の勅使がソウルを訪れたときに、
朝鮮国王がそこまで迎え出て、勅使に対して九回叩頭する礼を行なう場所だった
崔基鎬は、
「1895年に日本が日清戦争に勝つと、李氏朝鮮は清国の属国としての
桎梏をのがれて、独立国となることができた。
国号が清国と対等な国として大韓帝国に改められ、
第26代の高宗王が、中華圏における中国皇帝の臣下を意味する
国王の称号を廃して、はじめて皇帝を称した。
大清皇帝功徳碑は、1895年に、あまりにも恥辱であるとして、
川の中に投げ込まれた。もっとも、この碑は日韓併合後に、川底から掘り出されて、
史碑として同じ場所に建立された。
1897年には、ソウルの西大門の近くにあった迎恩門が破壊されて、
その場所に独立を記念する西洋式の独立門が建立された。
迎恩門は、李朝を通じて、明、あるいは清の皇帝の勅使がソウルを訪れたときに、
朝鮮国王がそこまで迎え出て、勅使に対して九回叩頭する礼を行なう場所だった。
今日、独立門は韓国の史蹟32号に指定されている。
しかし、今日の韓国民のうち、いったい何人が、
そこに韓民族にとって、はかりしれない災禍をもたらした象徴である
迎恩門が建っていたことを、知っているだろうか。
日本にはその歴史を通じて、大清皇帝功徳碑も迎恩門もなかった。
私たちから見ると、何と羨ましいことだろうか。
かつて李氏朝鮮は中国への卑屈な服従関係と、
不正腐敗を覆い隠す名分として、慕華思想という言葉を用いた。
誇りを失った李氏朝鮮の末路は、亡国しかなかった」と評した[8]。