経済的に恵まれ、教養豊かで知能が高く、コミュニケーション能力に優れた者が彼らの主観で設定する「ただしさ」にマッチしない人びとにとっては、この社会はもう、尊重するに値しないものになりはじめている。ジョーカーとなったアーサーは自らを公衆の面前で嘲笑した男に、こう問いかける。
「マレー、喜劇とはなんだと思う? それは結局のところ主観に過ぎない。善悪だってそうだ。なにがただしく、なにが間違っているかを決めているのは主観だ。」
ジョーカーに寄せられる世界中の共感は、疎外された人びとが大勢いることの「結果」でしかない。『ジョーカー』によって社会不安が増したり、暴力的な事件が増えたりすることを懸念するくらいなら、なぜ多くの人がいま『ジョーカー』の物語に共感しているのかに思いを馳せた方がよいだろう。
「マレー、喜劇とはなんだと思う? それは結局のところ主観に過ぎない。善悪だってそうだ。なにがただしく、なにが間違っているかを決めているのは主観だ。」
ジョーカーに寄せられる世界中の共感は、疎外された人びとが大勢いることの「結果」でしかない。『ジョーカー』によって社会不安が増したり、暴力的な事件が増えたりすることを懸念するくらいなら、なぜ多くの人がいま『ジョーカー』の物語に共感しているのかに思いを馳せた方がよいだろう。