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9回表二死死一二塁4番大川のスリーランで起死回生で裏を三者凡退に打ち取りベスト8進出したが樋渡擁する市川にミラクルで返され惜敗!
このベスト8が昭和43〜平成2までの稲川ショックによる桐生衰退で県全体が低迷期に入りこの時期の勝利数は少なく気を吐いたのは前橋工と桐生の夏春ベスト4くらい。
平成3の選抜ベスト8以降7年選抜前橋工ベスト8、8、9年選手権前橋工連続ベスト4、11年選手権桐生第一優勝15年選手権桐生第一ベスト424年選抜建大ベスト4、25年選手権育英優勝26年選抜桐生第一ベスト8、26年選手権建大ベスト8、29年選抜建大ベスト8と勝利数を伸ばしている。
昭和30年前半まで勝利数ランキングは桐生の活躍により上の方も少しづつ下がり昭和43から急降下、平3辺りから急上昇。