ホテルのアンドレから新日へSOSが入った。便器内う〇こが一杯で詰まって流れないから何とかしてくれとの事、その役目を背負わされたまだ若手の武藤啓司がフォークを持って現場に駆けつけたがその後の事は知らない
[匿名さん]
アメリカと言うか海外全てではベビーフェイス、新日ではヒール。
普通ならアンドレを人気者扱いにしておけば勝手に客がやって来るシステムになるはずなんだが、新日はアンドレをヒールにした上で商品価値を守り、そこで猪木を目立たせると言う極めて難しい役回りを遂行出来たね
[匿名さん]
んなことは無い 馬場先生時代の全日時代が一番アンドレにとってハッピーな時代だった。
[匿名さん]
全日に行った頃は立っているのもやっとの体調で全盛期の迫力からは程遠かったけど
最後に気心が通じそうな馬場とタッグが組めて幸せだったろうことは想像に難くない
[匿名さん]
ヒールに徹しただけ
若い頃は笑顔で花束もらってたモンスターロシモフ
[匿名さん]
ヒールとは違うな、凶器を使うわけでもなく、場外戦を得意とするわけでもなし
ヘッドバットと上から降り下ろすチョップと相手をコーナーに詰めてからのヒッププッシュだけで相手は戦意喪失
[匿名さん]
それはチト違うな
猪木や馬場をベビーフェイスとは言わないからな
[匿名さん]
nWoジャパンは、かつて新日本プロレスで活躍していたヒールユニット
橋本真也の本隊と対抗
[匿名さん]
蝶野正洋が黒いタイツになった頃の異名は
スーパーヒール蝶野正洋
[匿名さん]
1994年のG1 CLIMAX優勝後、「武闘派宣言」によって入場テーマ曲も変えてヒールターン。黒を基調としたコスチュームに一新。
1995年に天山広吉、ヒロ斎藤とヒールユニット狼群団を結成。
1996年に新日本と提携していたWCWに参戦、ハルク・ホーガン率いるnWoに加入し、帰国後にその日本支部としてnWo JAPANを結成。
[匿名さん]
蝶野率いるTEAM2000 vs 武藤率いるBATT
[匿名さん]
1981年9月23日 vsスタンハンセン戦序盤での古舘アナによると
当時、過去に公式記録でアンドレをボディスラムで投げたのは4人
ハーリーレイス、ローランボック、ハルクホーガン、アントニオ猪木
[匿名さん]
アンドレ以降の大巨人キャラは皆
何か足りなかったよな。
特にエル・ヒガンテ。
[匿名さん]
試合中に突然
ワッハーハーハーって笑いだす事があった
[匿名さん]
投げた投げないではなく
ギャラ多めにして投げさせてもらうわけで
[匿名さん]
カネックはメヒコ「UWAの帝王」。
1984年アンドレ・エル・ヒガンテことアンドレ・ザ・ジャイアントと対戦、1月15日のタッグマッチと2月12日のシングルマッチの2試合において、アンドレをボディスラムで投げることに成功している。
同年9月2日にはエル・トレオにてハルク・ホーガンのWWF世界ヘビー級王座に挑戦、UWAとWWFの両世界王者対決が行われた(結果はドロー)。
[匿名さん]
G馬場さんと並んでも身長差10センチなかった。実際2メートル18くらいかな?
[匿名さん]
ジャンボ鶴田は本当にデカかった。197センチは間違えない。アントニオ猪木の192センチは嘘だ。
[匿名さん]
とっくに死んでる過去レスラースレあまり上げるなよ迷惑
[匿名さん]
マイティ井上とは親友の間柄
お互いに若手だった井上が約2年間ヨーロッパ遠征した際にフランス各地を一緒に転戦して仲良くなったらしい
[匿名さん]
ボブサップも195センチだった。200センチなんて嘘。
[匿名さん]
膝の真正面からの前田の蹴りが怖くなっただけ
あの体重で膝が一度折れたら一生立たなくなる可能性が大きい
[匿名さん]
デビュー当時に「タイトルなんか欲しくない。見世物でもかまわない。欲しいのはカネだ」と語っていた。その言葉通り70年代当時に年俸が日本円に換算すると1億円を軽く超えていた。
[匿名さん]
薀蓄を傾けて故人を忘れず偉業にふれることが追悼になると信ずる
[匿名さん]
アンドレの爺さんはアンドレよりでかかった。親父は普通で妹は190cmの長身
[匿名さん]