小学生の時に亡くなる一週間位前に地元にコンサート来て、観に行った思い出が懐かしい…
[匿名さん]
1986年03月30日(日)に長野県民文化会館でコンサートがあったらしいです。
[匿名さん]
これまで取り上げられている異性関係はダミーかと思います。高校を卒業した春ならば、スキャンダルが浮上しようと問題にはなりません。頃合いの年齢になった時、芸能界の掟を身に沁みるような事があったのでしょう、彼女の才能なら大学でも行き、待望の将来があったわけです。彼女は引退して人生をリセットしたかったのでしょう。
[匿名さん]
芸能掲示板の音楽・歌手カテの『岡田有希子』スレに、
ヘンな奴が居座って、ヘンな書き込みを繰り返している。
非常に迷惑な奴だ。ハッキリ言って何をレスしているのか
全く分からない。意味不明。何が目的なんだろう?
スレ潰しか、それとも乗っ取りか?
[匿名さん]
ユッコにとって不幸だったことは、デビュー翌年の1985年に大型新人が大量にレコード
デビューした事だと思う。
同期デビュー組にはK・MやO・Yらがいたが、デビューの年の1984年いっぱいまでは
同期のK・Mにはレコードセールスでは及ばなかったものの、ユッコはその年の新人賞を
総なめにしたし、同期デビュー組の中でもかなり目立つ新人という印象だった。
ところが、翌年の1985年にはS・KやN・M、O・CにM・Y、H・Mといった大型新人が続々と
デビューし、ユッコの存在を脅かすこととなる。
[匿名さん]
なかでもO・Cに至っては、派生ユニットのU、N・E、K・S、K・S、Y・A…とO・Cメンバーの
ソロ活動が活発で、いずれもレコードセールスが好調であった。
S・Yもデビュー曲がヒットし、歌手デビュー後に出演した主演ドラマの『S』も大ヒット。
見事にトップアイドルとしてブレイクした。S・Yは雰囲気がどことなくユッコと被るので、
ユッコにとっては非常に強力なライバルだったに違いない。
N・Mも、出演したドラマ『M』がヒットし、この年の夏にレコードデビューし、ドラマ『N』で初主演もした。
ユッコの同級生のM・Yは『SⅡ』に出演し、二代目A・Sとしてブレイクした。
ユッコの同級生のH・Mは4枚目のシングル「T」がヒットし、その年の新人賞を受賞した。
同期デビューのO・Yは、7枚目のシングル『D』がヒットしてブレイクした。
[匿名さん]
S・YとO・C、派生ユニットUに関してはユッコと同じレコード会社なので、ユッコ自身も気が気じゃ
なかったに違いない。なんて言うのか、ユッコに向いていたレコード会社の関心が、S・YやO・Cに
向けられるというか。奪われるというか。
ユッコが芸能界に入ってから、ずっとつけていたという彼女の日記はO・Cブームが吹き荒れる
1985年7月20日づけで終わっていたという。
1985年7月10日放送の歌番組『Y』のリハーサル中に、ユッコが泣きだしてしまうという
ハプニングがあった。2回目の出演で緊張しての事だったらしいが…。
たしか仕事でスイスに行き、スイスから帰ってきた直後のハプニングだったと思う。
[匿名さん]
ユッコが活動していた時期は、先輩には82年組のN・A、K・K、H・C、H・Y、M・I、I・H、H・Tがいた。
さらに、デビュー同期には、K・M、O・Yがいて、
85年デビューの後輩には、O・C、N・M、S・Y、M・Y、H・M、K・S、N・E、Y・A、Uらがいた。
まさにアイドルの板挟み状態。アイドル戦国時代と言える状況だった。
しかも、M・YとH・Mに関しては、ユッコと同じ高校の同級生なので、かなりその動向に関しては
意識していたに違いない。
[匿名さん]
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岡田有希子コンピレーションアルバム
竹内まりや
「岡田有希子 Mariya’s Songbook」
アナログLP重量盤
2020年02月26日発売
[匿名さん]
ユッコの思いは必ず!受け継ぐ!天国で見ていて下さい!
[匿名さん]
当時の週刊誌に掲載され飛び降り自殺した直後の写真が貼付されたのを2冊持ってる。
1冊オークションに出品すると、3万円位まで上昇したので『これは、もっと高値が付きそうだ』と思い、直ぐに流した。現在も『』2冊所持したまま。
[カサブランカ]