>>280
ケインは要領よく人を騙して教祖に成り上がり、悟ったような落ち着いたキャラで生きていたところ、突然の災難が襲った。
気がついたら怪物のようなロボットにされていた。
映画「フランケンシュタインと地獄の怪物」で、精神病院に入院していた、数学とバイオリンを愛する知的な人が急死し、気が空いたら怪物の体に脳移植されていて、不器用でバイオリンも弾けず、絶望するのと似ている。
デ・ニーロが怪物役の映画「フランケンシュタイン」で、主人公のいいなづけだったヒロインが急死し、怪物として復活させられるラストは悲惨だった。グロテスク美さえ感じさせるへたくそな縫合跡。(フランケンシュタインの悲劇は結局、美容外科の技術がなかったことだろう)
映画「セブン」の犯人が、主人公のブラピ刑事の奥さんの生首を送りつけて「さあ、殺してくれたまえ」と余裕たっぷり。ブラピ刑事は半狂乱で犯人を射殺。犯人の思う壺と知っていても、殺さないと一生悔いが残ることだろう。
セブンの犯人のような、異常にひどいことをして「さあ、殺してくれたまえ」と言ってくる悪党をこらしめるにはどうすればいいか。たけしの「座頭市」がくちなわの頭の目を斬って「殺すかよ」と言ったように、障害を持たせて生かすのもひとつの方法かもしれない。
そして究極は、怪物や、怪物のようなロボットに脳移植して、その姿、その不器用さで生きていくことを強要することかもしれない。
ある意味これは、輪廻転生と似ている。因果にふさわしい姿に生まれ変わらされるということ。