古川組は初代 古川雅章組長が結成、五代目山口組当時には若頭補佐として最高幹部の地位にあった名門とされる。古川恵一組長は初代組長の実子で、初代の引退に伴い二代目を襲名。六代目山口組に所属していたが、平成27年8月の分裂で神戸山口組に移籍、幹部として活動していた。しかし、二代目古川組 山崎博司幹部が多くの組員を引き連れて神戸山口組を割って出て「三代目古川組組長」を名乗って任侠団体山口組に移籍し、ナンバー3格の「本部長補佐」に就任した。
こうした事態について、指定暴力団幹部は「そもそも、二代目組長が引退したわけでもないのに、子分が勝手に三代目を名乗るなど、あり得ないこと」と業界内部のしきたりについて解説する。この幹部はさらに「もともと、神戸山口組は六代目山口組組長の親子盃を蹴って出ていったから、その内部で勝手に三代目古川組組長を名乗るような筋目がずれたことがあっても不思議ではない」と論評する。
こうした事態について、指定暴力団幹部は「そもそも、二代目組長が引退したわけでもないのに、子分が勝手に三代目を名乗るなど、あり得ないこと」と業界内部のしきたりについて解説する。この幹部はさらに「もともと、神戸山口組は六代目山口組組長の親子盃を蹴って出ていったから、その内部で勝手に三代目古川組組長を名乗るような筋目がずれたことがあっても不思議ではない」と論評する。