昭和40年代、山手線の車両を占拠して、日本人を追い出し、電車内でタバコ・飲酒・博打をするなど傍若無人な振舞いをしていた朝鮮学校の高校生。
日本人の高校生カップルを見つけては袋だたきにして男子から金を盗み、日本人の女子を強引に連れて行って輪姦する。
彼らが日本の高校生に負けでもしたら、すぐにバックの朝鮮人の大人が大勢で1人の高校生相手に報復に来る。
山手線は朝鮮高生に支配され、日本人はそれを避けて暮らす。それが、日常だった。
俺は学校の帰りによく喫茶店に行っていた。茶店の2Fの奥に陣取っていると、チマチョゴリ制服を着た朝鮮高校の女生徒が入ってきて、『そこをどけ!』という。当然、「ふざけるな」と追い返した。
しばらくすると、仲間が「やばい囲まれているぞ」と階段を駆け上がって来た。窓から下を見ると、10人以上の朝鮮高校の男子が今にも攻め込んで来る勢いだ。多勢に無勢、これはやばいと裏道に飛び降りて退散した。やつらは、どこからとも無くうじ虫のように集まってくる。
そこに立ち上がったのが、国士舘高校・中野電波高校・帝京高校だった。
特に国士舘高校は、街で悪さをしている朝鮮高生を見つけてはボコボコにして朝鮮高校のバッジ(通称、サンペン)を集めた。
サンペンバッジをどれだけ持っているかを“男の勲章”とした。
その頃から「国士舘に知り合いがいる」 それだけでも朝鮮高生に抑止力となって、街の平和も保たれるようになっていった。
[匿名さん]