なぜ健常を名乗る者は障害者を一律し、知的障害と車椅子の喋れぬ要介護者の脳障害とみなすのだろう?なぜに障害者の現実 視覚・聴覚・上肢・下肢・体幹・知的・精神と幅広く等級や複合障害により、痛みも苦しみも異なることに気づけないのでしょう?単純に物言わぬ反抗できぬ者へ罵り罵倒し、クソ・カス・虫けら・死ね等 悪口雑言によりストレス発散の対象にしたいのでしょうか?私の出会った方にもいましたが爆サイでの発言者はあまりにも非人道的で泣きたくなります
[匿名さん]
自分の子供にも同じこと出来んのか聞いてみたいわ。やるわけ無いんだけど
[匿名さん]
障害を負って間もない小学生時代歩いてるだけで「気持ち悪い」と蔑み続けた同級生たちが もし障害者の子を持ったら、
「気持ち悪い」となじったりしてなきゃいいのだが。。。彼らとは卒業後 断交してるのでしらないけどね
[匿名さん]
障害者、健常者と主語が多いと分かり合えるわけがない。
個人として見ても大変なのに。。。
健常者に飼育してもらって生きてる事を忘れてないか?
これも、障害者の程度によるし、人は助けられて生きている事に気がついてないのかしら?※私は障害者であるが、働いているので一方的に世話をされているとは思ってません。
[匿名さん]
↑↑同じです。働いて自立して生きる障害者にとって 「健常者に飼育してもらって生きてる事を忘れてないか?」
と言われれば !? 誰におっしゃっているのか??な話です。助け合って生きてるのはお互い様なんだけどね
理解せず生きてるんだね
[匿名さん]
↑健常者の人生の障害になるから「障害者」と名付けられた説
[匿名さん]
「障害」は個人の心身機能の障害と社会的障壁の相互作用によって創り出されているものであり、社会的障壁を取り除くのは社会の責務である、という「障害の社会モデル」をすべての人が理解し、それを自らの意識に反映させ、
具体的な行動を変えていくことで、社会全体の人々の心の在り方を変えて いくこと(心のバリアフリー)が重要です。
「心のバリアフリーを体現する為のポイント」
1 障害のある人への社会的障壁を取り除くのは社会の責務であるという「障害の社会モデル」を理解すること。
2 障害のある人(及びその家族)への差別(不当な差別的取扱い及び合理的配慮の不提供)を行わないよう徹底すること。3 自分とは異なる条件を持つ多様な他者とコミュニケーションを取る力を養い、すべての人が抱える困難や痛みを
想像し共感する力を培うこと。
東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部 「誰もが暮らしやすい社会を目指して~心のバリアフリーの理念を理解する~」 より引用
[匿名さん]
障害者の権利主張が強すきて、健常者の権利侵害になっているのを見かけますよね。
[匿名さん]
権利主張が強い奴は障害者を見下してる奴らが年配になって障害を負ったバージョンだね。若い頃から障害持った奴には少ないタイプだよ。もし若くて主張強い奴がいたら相当甘やかされた障害者だね。
[匿名さん]
↑↑ そんな奴もいる!その真逆に生きた奴だけが働き 自立して生きていける。それは健常でも障害でも関係ない。健常も障害も社会は甘くないからね。 なめてる奴は老若男女問わず淘汰されるんだよ
[匿名さん]
だから障害者の気持ちは、生まれたて時から障害者と認定された人しか分からないんだから黙ってなさい😄俺らが出来る事は、次の世代に障害者を創らない事だろ😄
[匿名さん]
事故じゃしょうがない
けれど知的障害者、発達障害者がいる家系は子ども作らなければそうゆう人は減るって事でしょ
[匿名さん]