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兵法二天一流
兵法二天一流
報告閲覧数63レス数22

#12019/07/07 08:59
宮本武蔵

[匿名さん]

#22019/07/08 16:18
宮本武蔵の兵法は美しくない、徹底した合理主義でどちらかと言うと大陸や東南アジアの武術っぽい考えだと思う。
その為後年普及しなかったのだろう・・

美学もクソもない、勝ちゃなんでも良いと言う海外のビジネスマンにウケが良いのだろう。

[匿名さん]

#32019/07/08 16:20
とは言え武蔵は書画彫刻など、美術的センスは抜群に良かったし、
刀の拵えなども作ってしまう器用さだったようだ

[匿名さん]

#42019/07/08 17:09
宮本武蔵って五輪書の中で、
「左も右も同じように使えれば、、」みたいに書いてて、
いやいや、そんな事より左手一本で受ける事は出来るの?
と思う訳で、受け流しなのかな?とも思って技法を見ると、やっぱり左手一本で受けるんだよね。
どうも「チカラ」がすごく強かった人のように思える。

[匿名さん]

#52019/07/08 20:52
武蔵は豪力で素手のケンカも強かった

[匿名さん]

#62019/07/09 00:56
技もひったくれもない乱戦術だったんじゃないか?
二刀の理屈は理想論で武蔵自身が実戦で使えた訳じゃなかったっぽいし、
漫画家の夢想や中二病みたいなもんじゃないか?

武蔵は戦国末期からの人だけど、それ以前の武将の腕力はきっと強かったんだろうね

[匿名さん]

#72019/07/09 07:57
佐々木小次郎と勝負のとき木刀というのが納得行かない。なんで普通に真剣でやらないのか。木刀という一見不利な武器を使って強がっていても、実は真剣では勝てないのでは?

また、遅刻することでいらつかせたとか、太陽を背に立って逆光でまぶしがらせたとか、「小次郎破れたり」と叫ぶことで暗示をかけたとか、ずるい小技が多い。

それに、実際の史実では一対一の勝負でさえなく、武蔵の仲間を巌流島にひそませておいて、集団でボコボコにして弱らせたところを武蔵が木刀でトドメを叩き込んでぶち殺したという説もあったような。

[匿名さん]

#82019/07/09 07:57
いらつかせる小技は、「五輪書」の中の「むかつかさせること」だったかいう項目のことなのだろうか。

[匿名さん]

#92019/07/09 07:58
「五輪書」は、「詳しくは口伝する」というのが多い。
実際に武蔵の存命中に「五輪書」を読んで口伝を聞きに行った人はいたのだろうか。

[匿名さん]

#102019/07/09 08:04
一対多の戦い方で、角(かど)を突く、だったかいうのがなるほどと思ったけれども実際はそんなことができるのだろうか。

集団というのが巨大なアメーバのようなものだとすると、ナメクジの目のように飛び出してくる部分があり、そこを攻撃する、ということを繰り返すことでどんな多人数の敵でもだんだん弱らせることができると。

[匿名さん]

#112019/07/09 08:08
武蔵の描いた鷺だったか鳥が1本足で立っているような絵のピンと精神が張りつつゆったり長期戦で構えた感じが見ていて落ち着く。足ではなく枝だったか。

雨の中でじっとしているハシビロコウに通じるものがある。滝修行にも通じる。街なかでドブ川にじっと立っているサギを見ると、五輪書を思い出す。

[匿名さん]

#122019/07/09 11:12
五輪書は現代人が読むと、
回りくどいし、説明もわかり難い。

でも、同時代の伝書の類いは「謎の絵」とほぼ「以下口伝」だけの説明で、
塚原卜伝や柳生石舟斎の武道百首も五七五にまとめたものだから、説明不足の感も否めない。

「同時代の解説本と比べると」という評価もあるように思う。

[匿名さん]

#132019/07/09 19:01
されど武蔵は強い

[匿名さん]

#142019/07/10 02:47
>>7
いやいや、それは小説(映画やTV)の創作ですから・・
それから、真剣に対して木刀が不利とも言い切れませんよ、あの演出では
佐々木小次郎の長刀(三尺でしたか?) に対抗するため、それよりも長い船の櫂を削って使用したんですよね

史実かどうかは分かりませんが、武蔵の養子の口伝だったかで、武蔵が倒した後の気絶した小次郎を、
ボコボコにして叩き殺したとかだったと思います。

[匿名さん]

#152019/07/10 02:53
武蔵が強かったかどうかは正直分からないですが、慎重(臆病)で策略家だったのは確かでしょう、
つまり、強いから勝つと言うより、策略(卑怯な手を使ってでも)勝ってきたのだと、
歴史は勝ち残ったものの都合で誇張(改竄)されますからね。

武蔵は入浴中は無防備で危険だからと、生涯風呂に入らなかったとか、
でも女は抱きたいらしくw そんな時は必ず騎乗居で、万一的に襲われた時は、
女を盾にするためだったと自身が語っていたそうですよ。

[匿名さん]

#162019/07/11 14:50
>>15
策略使ってでも勝つのだから強かったでしょう、策略使っても負ける人は負けますから

[匿名さん]

#172019/07/11 16:41
「勝つ」と言うよりも「生き残る」 ですかね?
大阪の陣で西軍の雑兵で参戦したも言われてますし・・
剣術家というよりも兵法家なのだと思います、
性格は悪かったかも知れませんが、頭は良かったのではないでしょうかね?

[匿名さん]

#182019/07/11 21:04
ただし正直に言うと、宮本武蔵の名が残ったのは、
養子伊織の存在が大きい。
氏素性も無いのに、親類譜代差し置いて小笠原藩の筆頭家老。

[匿名さん]

#192019/07/12 03:43
そう、養子伊織の処世術が長けていたのでしょうね、
武蔵の伝書はその伊織だったが建てた石碑に彫られたたった数行の文章だとか、
日本人の多くは、吉川英治の小説を史実と信じ、またそれを元にした萬屋錦之介の映画や、
そのコピードラマを信じてしまっているだけ、
佐々木小次郎が実在したかどうかさえ怪しいらしいからね、老人だったと言う説もあるし。

[匿名さん]

#202019/07/12 07:16
>>18
養子を出来がよく育てた武蔵の功績でしょう

[匿名さん]

#212019/07/12 11:04
>>20
養子と言っても幼少期から育てた訳ではありませんよ

[匿名さん]

#222019/07/12 17:48最新レス
宮本伊織は武蔵の推挙で小笠原家という名門に仕官できた訳けど、その理由は不明(多分)。
武蔵が「新免家」を継いでるからという説もあって、
当時の最強の履歴は家柄だから、まあ、仕方ないかなとも思う。

ちなみに武蔵のもう一つの謎は、割とお金を持ってたところ。

[匿名さん]


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