外人部隊の詳細が判ってきたね。秀岳館 明徳 至学館 盛岡大 早稲田 日大三高 大阪桐蔭 創志 滋賀学園 健大高崎が地元民より外人のほうが多い学校だ!
[匿名さん]
チョンキムチ難民乞食(大阪、京都)の受け入れ先ランキング 1位青森県
2位高知県
3位福井県
4位滋賀県
5位同率で島根県、熊本県(近年)
[匿名さん]
私立でオール地元は前橋育英と札幌第一のみ!
前橋育英は優勝したときも県境埼玉1名以外群馬!
[匿名さん]
大阪桐蔭は敦賀気比に11対0で大敗した後遺症で外人部隊になったのかい?
[匿名さん]
外人部隊、横浜高より悪質なところは無い。
他校に内定決まってた超有力中学生を強奪は当たり前、ライバル高校へのネガティブキャンペーンを延々と続けた。高野連への密告なども。
プロ選手の殆どが県外人。
松阪(東京)涌井(千葉)成瀬(栃木)豚鼻近藤(千葉)荒波(静岡)
狭い球場でホームラン稼ぎしまくりのタイトル詐欺師筒香(和歌山)
鼻長い藤平(千葉)
温水洋一を潰した顔の柳(宮崎県)
ドラフト候補
増田(長崎)
万波(東京)
中学日本代表のエースや主軸を勧誘しまくり、毎年のように全国から引っ張りまくる。
神奈川の地元選手が犠牲になってきた黒歴史が続いてる
[匿名さん]
選抜出場校の生徒数
作新学院 3426名(女子1470名)
仙台育英 2811名(女子1045名)
大阪桐蔭 2337名(女子946名)
福岡大濠 1931名(女子570名)
前橋育英 1626名(女子916名)
工大福井 1452名(女子562名)
至学館 1443名(女子894名)
健大高崎 1366名(女子931名)
履正社 1272名(女子424名)
報徳学園 1239名(女子0名)
札幌第一 1207名(女子532名)
日大三 1205名(女子425名)
早稲田実 1204名(女子0名)
熊本工業 1190名(女子259名)
秀岳館 1122名(女子373名)
静岡 979名(女子393名)
東海望洋 974名(女子315名)
不来方 925名(女子471名)
神戸国附 867名(女子0名)
多治見 717名(女子343名)
東海福岡 675名(女子189名)
高岡商 670名(女子415名)
明徳義塾 618名(女子164名)
創志学園 613名(女子402名)
智辯学園 594名(女子222名)
高田商業 593名(女子335名)
中村 594名(女子317名)
滋賀学園 578名(女子208名)
宇部鴻城 538名(女子147名)
盛岡大附 483名(女子188名)
市立呉 478名(女子313名)
帝京第五 421名(女子194名)
[匿名さん]
女子生徒数の多い高校
作新学院 1470名
仙台育英 1045名
大阪桐蔭 946名
前橋育英 916名
至学館 894名
[匿名さん]
至学館 1443名(女子894名)
健大高崎 1366名(女子931名)
創志学園 613名(女子402名)
市立呉 478名(女子313名)
など、元女子校は、女子生徒の割合が、多い
[匿名さん]
甲子園地元兵庫出身の選手
早稲田実6番の雪山捕手
滋賀学園3番の後藤捕手
滋賀学園1番の真藤中堅手
大阪桐蔭3番の香川一塁手
智辯学園4番の太田遊撃手
は、神戸中央リトルシニア出身の元チームメイト
[匿名さん]
オール枚方ボーイズ出身
報徳学園神頭一塁手
報徳学園小園遊撃手
智辯学園畠山左翼手
智辯学園畠山投手
秀岳館木本二塁手
秀岳館廣部三塁手
秀岳館西村投手
[匿名さん]
明徳はほぼ全寮制の高校。
全校生徒の約7割は県外。
全校生徒の約8割は寮生活。
[匿名さん]
全寮制ではない。
高知、南国、須崎各市よりスクールバスあり。(公共交通はなし)
[匿名さん]
HPによると、スクールバスは午後6時に出るそうで、全国大会に出るような部は
このバスには乗れないので、全員寮で生活しているそうです。
ちなみに学校から、須崎市、土佐市の中心までバスで約30分、
高知市まで約50分かかります。
公共バスもありますが、バス停まで、徒歩で60分かかります。
[匿名さん]
出場回数順
早稲田実(東京) 4年ぶり21回目
報徳学園(兵庫) 3年ぶり21回目
日大三 (東京) 6年ぶり19回目
明徳義塾(高知) 2年連続17回目
静岡 (静岡) 2年ぶり16回目
久しぶり順
帝京五 (愛媛) 48年ぶり2回目
中村 (高知) 40年ぶり2回目
東海福岡(福岡) 32年ぶり2回目
福岡大濠(福岡) 26年ぶり4回目
高田商 (奈良) 23年ぶり3回目
初出場
至学館 (愛知) 初出場
市立呉 (広島) 初出場
不来方 (岩手) 初出場
多治見 (岐阜) 初出場

[匿名さん]
1963年開校。
1969年、第41回センバツに出場。
0−2で、釧路一に初戦敗退。
ちなみにこの年の夏の愛媛代表は、松山商。
三沢と延長十八回再試合。優勝。
この時の松山商一色俊作監督は、76年秋〜85年8月末、
94年夏〜99年まで帝京五の監督。また、90年センバツでは、
新田を初出場準優勝に導く。
[匿名さん]