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型破りな選手、監督の板挟みとなって苦労したのが主将の庄田大輔と、マネジャーの田中辰治だった。
星稜中2年のときに椎間板(ついかんばん)ヘルニアとなって選手を諦めた田中は、「山下監督を男にする」とマネジャーとして高校野球部に入部した。この春の選抜から背番号をもらい三塁コーチを務めた。「本当に気が利く。マネジャーに支えられた」と山下は厚い信頼を置いていた。
外野手の庄田は選抜大会は1打席だけ打席に立っただけで、レギュラーではない。前年に新チームが発足した際、チーム内の投票で主将に選ばれた。庄田と田中は毎朝一番にグラウンドに行き、山下と朝食を食べながら、練習メニューや狙いなどを聞いた。信藤、中川、三浦聡、石黒達也、山本ら我の強い選手たちと、監督とのパイプ役。なだめ、すかして、説得に当たりつづけたが、田中は6月下旬に嘔吐(おうと)し、倒れる。急性胃腸炎と診断された。点滴を受けながら裏方をこなしていた。
石川大会開幕後のある日、山下は2年生の長津慶吾に、山本が提出した野球ノートの朗読をさせた。「田中さんは体調を崩してまでチームのために働いてくれている」「信藤さんは頼れる4番打者」……。後輩エースの3年生全員への温かい言葉が紹介され、チームの雰囲気はガラッと変わったという。