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沖縄と松山市は松山沖縄の空路が出来た時に野球交流が盛んになった。沖縄の名将 栽監督が中心となり、松山との野球交流は盛んになり、少年野球からの交流もあり、沖縄には野球留学として場所を選ぶなら九州より松山市に多く留学することが多い。
その一つの大きなきっかけは、松山聖陵の男女共学をさかいに、沖縄初の全国制覇を成し遂げた沖縄尚学のキャプテン荷川取を監督に据え、沖縄の生徒の野球留学の地として松山市の私立高校の人気は激化した。いわば、交流とルート。
明徳も今は明石商業の監督となり、明石商業を強くした財間監督が馬淵の元でコーチとして指導してた時は、兵庫の野球留学の良い選手をルートで呼びこんでた。明石商業の監督になってからは、そんなルートを財間監督が明徳ではなく明石商業に作ってる。財間が明徳のコーチの時は、兵庫から良い素材のピーもよく取れてたが、今は素材集めは、明徳はボロボロだと思う。特にピー。本当の雑草しか集まらないようだ。
兵庫、広島は大阪より素材の原石が多い。
ようは、交流があるルート。青森の光星学院は大阪人が監督だから素材は大阪ルートが多い。
ルートを無視しだし全国から親と子供を洗脳して無理矢理でも集め始めたのが大阪桐蔭の西谷監督。
昔は西日本にしか西谷のルートはなかったし、東日本でのスカウトは暗黙での禁断のルールだった。