尾崎組時代には、イケイケの個性的な親分が揃ってたな~
[匿名さん]
佐古のマンションに住んでたヤクザが20年以上前に夜逃げして今生保w現役時はいい車(中古やけど)乗ってはぶりよかったのに。今汚いマンションで生保w
[匿名さん]
今は自称ヤクザしかおらんし昔イキってたヤツは生活保護か盗人乞食w
[匿名さん]
元ヤクザでそこそこ名のしれた人らは
アル中、安定剤漬けになってる。
あるある
[匿名さん]
全然腰なんか低ないわ 堅気にガン付けて威嚇する情けないチンピラ七光り親分だったな
[匿名さん]
尾崎勝彦親分は、若い頃から厳しい修行をしメキメキと頭角を現した。徹底した実力主義を貫く山口組では尾崎会長の実子だからという理由=七光りだけで直参になれるほど甘くはない。引退が惜しまれる人です。
[匿名さん]
中谷組は心腹会徳島勢の中で一番の資金力がありましたわ。
自宅兼事務所も立派な建物でしたな。当時徳島勢で唯一、土地建物を自己所有したお方ですわ。
若い衆も金融等で財を成した方も何人かいましたわ。
70年代後半から東京に出て活動してた方は舎弟や若衆数十人抱えて事務所ビル持ってましたな(30畳の大広間があった)
レンガ張りの立派な自社ビルで金融されてた方もおりました。
[匿名さん]
尾崎勝彦親分は、山健本部に部屋住み修行にいくが、山健の器量に疑問を抱いて見切りをつける。
次に田岡親分の甲陽運輸に就職したが、実父譲りのヤクザ気質が災いして堅気には向かずに円満に退職。
その後、実父のもとで厳しい修行を重ねて五代目体制で直参に昇格した。
五代目体制では、総本部当番長や組長秘書を歴任。特に組長秘書時代は、秘書当番室で居眠りできるほどの別格扱いであった。岡山の池田や淡路の寺岡などは、勝彦親分に何度もいわされています。
[匿名さん]
秘書当時に居眠りしてたのが原因で、勝龍会の福島会長と喧嘩になったようです。元児玉組の人から聞きました。
[匿名さん]
バカボン勝彦なら秘書当番でも居眠りしそう。慶弔委員の集まりにも二日酔いで遅刻するし
[匿名さん]
淡路に詰められて丸坊主になった過去がありますwww
[匿名さん]
尾崎組は徳島市に本拠を置いた暴力団で、指定暴力団山口組の二次団体。
略歴
殺しの軍団と呼ばれ、全員が命知らずの特攻隊であった。敵対するものには武闘をもって徳島の裏社会を制してきた
[匿名さん]