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神道・仏教


No.5641621
合計:
#969
>>968


高橋幸弘殿引用の箇所は
()で括り、その前後の文章を示します。

天台大師云く「薩とは梵語なり此には妙と翻す」等云云、私に会通を加えば本文を汚すが如し爾りと雖も文の心は(釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う)四大声聞の領解に云く「無上宝聚・不求自得」等云云

この箇所は文上脱益の経主釈尊の立場の因行果徳を『無量義経』『涅槃経』龍樹の論・天台の釈を示して、六波羅密の六とは具足であり、それすなわち梵字の薩であり翻訳すれば妙であることを述べて、文上脱益の釈尊の因行は六波羅密であり万徳は仏の十号であるを前提に、「私の会通を加えば」とは日蓮大聖人の立場すなわち下種益の教主釈尊の立場から言えば三世十方の因行果徳の二法 の功徳を円満に具足する妙法曼陀羅すなわち御本尊を御図顕されたことであり、「彼」文底下種益の教主釈尊すなわち日蓮大聖人の因果の功徳の全てを譲り与えて頂けるのであります。
その後に四大声聞を「我等が己心の声聞界」と表現されています。
かるが故に、第四段の結論には末法下種の本尊の開顕を宣言されています。
御妙判云く

此の時 地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し月氏震旦に未だ此の本尊有さず

この後、釈尊の正像二千年の法は廃れたことを示されています。

一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裏み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う
の「仏」とは日蓮大聖人のことであるが、それは一応の謙遜から述べられていないのであって四菩薩も日蓮大聖人己心の存在であることを最後に示されています。


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