爆サイ.com 北部九州版

大分高校野球


No.9061580
合計:
#582
京本投手が野球を始めたのは小学2年の頃。母の勧めで4歳上のいとこ、難波創平さんの試合を見に行ったのがきっかけだった。創平兄ちゃんは輝いていた。京本投手は母に告げた。「僕も野球をやりたい」

 野球を始めてからの道は山あり谷ありだった。中学では硬式野球の強豪チームに入ったが、周囲のレベルが高くなかなか出番が巡ってこなかった。「この頃は野球が好きじゃなくなっていた」。それでも腐らず続けられたのは難波さんのお陰だった。自身は既に野球を離れていたが、京本投手のプレーを見に来ては褒めてくれた。やる気が出た。

 高校は甲子園を目指して明豊への進学を決意。入試の数日前、2人で話した。「マコ、明豊でただ甲子園を目指すんじゃなくて、背番号にこだわれよ」。京本投手は大見えを切った。「1年からメンバーに入って活躍するよ」。そして入試の日、バイクで大学に向かっていた難波さんはトラックと衝突して帰らぬ人になった。19歳だった。

 「背番号にこだわれ」。入学後、京本投手はその言葉を胸に右腕を振った。1年秋には同学年の太田虎次朗投手と共にマウンドを任され、2019年10月の九州地区大会で優勝。20年春のセンバツが新型コロナウイルスの影響で中止になり、代わりに甲子園で開催された夏の交流試合は肩の故障で投げられなかったが、秋には復調してエースナンバーをつかんだ。

 ケースに納めた遺骨をズボンのポケットに忍ばせて立った甲子園のマウンド。22日の1回戦は球場の雰囲気にのまれて力を出し切れなかった。2回戦は出番が回ってこなかったが、ベンチから大声を出して仲間を励まし続けた。

 29日の準々決勝の相手は優勝候補の智弁学園(奈良)だ。「間違いなく全国トップの打線だけど、投手全員で力を合わせて無失点に抑えたい。先発でも中継ぎでも自分の役割を果たす」。28日の練習後、京本投手はそう言って腕をぶした。怖いものはない。創平兄ちゃんが一緒だ。
頑張れ京本投手‼
頑張れ明豊‼


[ 匿名さん ]
TOP