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神道・仏教


No.5641621
#735
>>730
高橋幸弘さんは本当に日蓮聖人の『報恩抄』を全編通して読んだ事があるのですか?
確かに貴方の言う通り、そして日蓮自身が言ってるように『法華経』は迹門と本門とでは水火の異なりがあります。
その異なりは何かと言いますと教主たる釈尊の立場の相違に由来するものです。
迹門には方便品で諸法実相が十如是に約して説かれ一切衆生の成仏の可能性が説かれますが、釈尊自身が未だに始成正覚の教主の立場である為に 時間的な制約があり今一つ普遍性に欠けるわけです。
ところが本門寿量品に於ては開近顕遠が説かれて釈尊が久遠以来の仏陀であったことが明かされます。
それを後世の教義学では久遠実成の釈尊と言うのです。
これを天台教学用語を援用して猫さんの宗派では本果妙の教主釈尊とか脱益の教主釈尊とか呼んでいるんです。
この『法華経』本門の教主釈尊は多宝如来の宝塔に入り二佛並座した釈尊であることは『法華経』を読めば誰もが理解出来るはずです。
さて、そこで問題の『報恩抄』の一節です。

本門の教主釈尊を本尊とすべし
を高橋さんは、『法華経』本門の教主釈尊であると解釈されていますが、そうすると『報恩抄』の記述とは明らかな矛盾が生じるのです。
既に申し上げた通り、本門の教主釈尊は二佛並座の釈尊です。

以下に続く。


[ 匿名さん ]
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