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🗿 南三陸町雑談


No.9625678
#65
三陸町では、近隣校への進学が常態だった。決して、学力の高い学校が集まっているわけではなく、町の学力への意識は乏しかった。

「中学3年生で、分数を解けない子もいました。小数点を適当に打ったり、定理を1個も覚えていなかったりする子もいましたし、筆算部分を消して、答えだけ記入する子もいたほどです。筆算部分が加点に繋がることを知らなかったんです」

 学力への意識の低さは、卒業後、家業を継ぐ子供が多くを占めていた影響でもあった。南三陸町は漁業が盛んな地域のため、学校の勉強をしなくても、働く場所は自ずと決まっていた。

「今までは町のなかで完結していました。中学を卒業したら漁船に乗るという子も多くいたそうですし。それがすべてなくなってしまい、子供たちは働く場所を見つけなくてはいけなくなりました。けれど、町の外で働くとなれば、仙台や石巻の子と就職活動で競うわけです。」


[ 匿名さん ]
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