爆サイ.com 南東北版

📔 日記・今日の出来事


No.10261417
合計:
#400
>>399
口臭🌺🤮でしゃばり馬場
次にポイントを絞って簡潔にまとめる
そして、このフレーズの後に、自分なりにポイントを絞った答えをコンパクトにつなげる。これが、新聞記事のリードに当たる。大見出しの後、本文1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件は、都心を走る地下鉄車両に猛毒のサリンがまかれた未曽有のテロだった。当時、警視庁警備部に所属していた神正三(じん・しょうぞう)さん(72)は処理班として地下鉄駅に駆け付け、サリンが入った袋七つを回収した。早期の対処でさらなる惨事を防いだ形だが、サリンの影響で瞳が小さくなる「縮瞳」に悩まされることになった。14人が死亡、6千人以上が重軽症を負った事件から27年。既に“教祖”らが死刑に処された今もトラウマが残り、オウムがばらまいた「闇」への嫌悪感は消えない。(
 「日比谷線の八丁堀駅。病人2名、気持ち悪くなったものが2名いるそうです。詳細、判然としません」。当時の無線交信記録は病人発生の一報で始まる。95年3月20日、月曜日の午前8時20分ごろだった。「歩道上に何人も倒れております」。「人工呼吸中。救急隊の話によると危ない状況」。その後、地下鉄駅などから現状を知らせる通報が相次いだ。

 神さんは当時45歳。そのとき、東京・桜田門の警視庁本部庁舎内で、2日前に届いたばかりの生化学防護服をたまたま着用していた。オウム真理教による不測の事態に備え、64着を納品し、警視総監ら幹部に披露するためだった。

 「爆発物によるゲリラ事件が発生した」「新聞紙に入った液体、これが落ち、ガスが出てきた」―。急激に騒がしくなる無線が現場の混乱ぶりを伝えていた。情報が錯綜していて何が起きたのか判然としなかったが、「オウムの仕業だな」とぴんときた。そのまま「現場へ状況確認に行ってこい」と命じられた。


[ 匿名さん ]
TOP