>>106
随分前のスレだが、面白がって
一応調べてみた。
とりあえず、一般的にアーラヤ識≒阿頼耶識
という認識で良いらしい。
そしてアーラヤ識が出てきたのは
仏教から派生した日本宗教
(真言、浄土とか)の一部の思想というのが
有力との話。
ちなみに法華経の接点は
「サンスクリット ālaya आलय の音写と、
vijñāna विज्ञान の意訳「識」との合成語。」
というサンスクリット→梵語から来るってことだけだな。
「君の得意なwikipediaや知恵袋にはなってませんねぇw」
→載ってるようだが。そして多分、この人の脳内妄想が
激し過ぎて時系列がゴチャゴチャになってるように感じる。
梵語という、古来インドからの言葉を用いた認識方法があり
それが日本にも伝わり、真言と浄土でその言葉からの解釈、
思想の派生が生まれ、その中に阿頼耶識が存在し、
現代になりアーラヤ識という読み方となった。
「法華経っておかしいよね?
だって、いっさいの法が説かれてないんだよ。
でもね、法華経は方便として絶対に必要だよね。」
これも何が言いたいのか良くわからん。
何故「認識」の話から「法、しきたり」の定義に転換されているのか。
そして言ってることも結局「方便」?何故?