>>37
阿頼耶識か。
自分が経験して知った自分の肉体や外界、あらゆる出来事などが蓄積され、
それらの蓄積されたものは、アーラヤ識の働きによって
表層意識に映し出され、あたかも実在するかのように認識されるというやつか?
あれはまた別のベクトルでいう哲学だな。
生きる主観で出来たものは全て自我で作り出した
(「俺が、俺が」と自分に結びつけてしまい、外部世界を自分に結びつけ、
実体化して見る)
という話だったか。
それを「観照する」って意味、わかるか?
自分の有り方存在意義を棚に挙げて
嗜好に至るって意味だからな?