爆サイ.com 南関東版

🕌 宗教総合


No.5641621
#456
>>453
日蓮大聖人は文応元年(1260)に立正安国論を鎌倉幕府の最高権力者である前執権の最明寺入道殿(時頼)に提出し諫暁遊ばされましたが、幕府内では大聖人の処罰論が渦巻く中、何故か時頼は沈黙して取り合いませんでした。しかし、当時の執権である北条長時の父親の極楽寺入道重時は熱心な念仏信者だった為、同年の8月27日の深夜、大聖人を暗殺を企てたが失敗しました。
難を逃れた大聖人は下総の信徒に身を寄せていましたが、再び鎌倉に帰って念仏の思想が人々を厭世的にして現世に於ける変革を阻害しているとして厳しく糾弾した為に卑怯な念仏信者たちは幕府に日蓮の一門が社会不安を煽っていると讒訴したために幕府は誤判して大聖人を弘長元年(1261)5月12日に伊豆伊東の川奈に配流したのです。

この事実からも判るように念仏者は卑怯で臆病であることが明白であります。


[ 富士音楽猫 ]
TOP