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🏯 松本市雑談


No.10828467
#18
現在の長野県は昔「信濃国」と呼ばれていました。
1871年の廃藩置県をきっかけに、現在の長野県北東部が「長野県」、中南部と飛騨地方を合わせて「筑摩県」となりました。
長野県の県庁は善光寺を中心に栄えていた門前町であった長野市に置かれました。
そして筑摩県の県庁は松本城の城下町として栄えていた松本市に置かれました。
1867年、筑摩県の県庁舎が火災で消失するという大事件が起こります。
これをきっかけに筑摩県は飛騨地方が岐阜県へ、その他の地域が長野県へ編入されることになるのです。
そしてもともと県庁所在地だった長野市がそのまま残ったという経緯があります。
筑摩県の県庁が消失していなければ、長野県と筑摩県が統合された時県庁は松本市になっていたかもしれません。
松本市は長い間信濃国の国府があった場所です。
しかも江戸時代の終わりにはやく1万4千人もの人が住んでいたため、県庁所在地になる理由として適当だったのです。
新しく元筑摩県と合併した長野市と、県庁所在地を奪われる形になった松本市では県庁移転を巡って度々論争が起こっています。
過去に2度長野市の庁舎が火災に見舞われた際には、県庁移転の声が特に大きく上がりました。
移転を求めた理由としては、「長野市は県の北部に位置しており県庁所在地として不便であること」というのが主なものだったようです。
それと同時に分県論を唱える人も増えてきました。
幾度となく話し合いや投票が行われましたが、いずれも県庁移転には至らず現在も移転問題は見送られたままとなっています。


[ 匿名さん ]
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