当時の日本には百済の王子、豊璋(ほうしょう)が同盟の人質として来日していました。
日本への忠誠の証として豊璋が来日したようなのですが中臣釜足は百済の王子という説がある。
中ノ兄王子が中臣釜足と蘇我氏にクーデターを起こし大化の改新をやるが
素性や身分の低い者とはこんな大事なことは出来ない。
国が違えど、お互い王子同士であればいろんな悩みや相談ができたんではないか
また白村江の戦いのとき日本から中臣釜足の記述が消えてます。百済の王子、豊璋(ほうしょう)は戦いのとき日本から百済に戻ってます。
そして戦いがおわればまた中臣釜足がでてきます。
百済の王子、豊璋(ほうしょう)イコール中臣釜足という説はそこです。
また百済が負けて中ノ兄王子は日本海に防人をおくけど百済の王子、豊璋(ほうしょう)イコール中臣釜足への復讐に備えてではないか
また中ノ兄王子も戦いに備えて居を日本海よりに引っ越します。
中ノ兄王子の悩みを聞いて蘇我氏を滅ぼし今度は中臣釜足王子の悩みをきいて百済を助けたのではないでしょうか
中臣釜足は後に藤原氏となり天皇家に娘などを嫁がせてるので
半島の血が混ざった可能性はあるとおもいます。