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以上、我が国の先の戦争について簡単に総括させてもらった。
スレ冒頭で述べたように、第二次上海事変を発端とする日中戦争はシナによる侵略であり、対米英開戦は我が国による侵略である…ということになる。
1937年8月からの日中戦争の開戦経緯には我が国には何も問題がない。
なぜなら侵略国…aggressorはシナだからだ。
第二次上海事変では我が国は陸軍の動員〜大陸への派兵で応えたが、これは国際法上の純然たる自衛反撃であって、非難されるものではない。
このことを我が国でよく理解されていた一人は間違いなく昭和天皇であったといえる。
陛下はあらゆる対外戦争において終始消極的であられたが、御自ら陸軍の動員と派兵を命じられたのが、この第二次上海事変の一度きりなのだ。
陛下は国際法を御理解され、また侵略と自衛の概念についても十分な御認識を持たれていたと言える。
かように戦争について正しい御認識の陛下に、どうやって対米英開戦を了解させるか…これが“対米英開戦派”による『ハル・ノートは米国からの最後通諜である』とするウソの上奏になる。
既に空母機動部隊は11月26日には単冠湾を出て太平洋上にあったが、12月1日の御前会議で“対米英開戦派”は“既に敷いたレール”を陛下に追認させるべくウソの芝居をやったわけだ。
もちろん陛下は自ら直接ハル・ノートを読まれるわけではない。
ハル・ノートの意味や正しい内容など自ら知りうることも出来ない。
外務省の役人がテキトーな解説をすれば、それを信用するしかないのだ。
問題はこの“対米英開戦派”がどんな連中であったか、ということになるだろう。