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🕌 宗教総合


No.9171817
合計:
#272
>>247
その時代の教会事務所設立運動時に天理人道の「天理」を借用したのが「天理」教の始まりなのです。
文字化の段階で「てんりん」の音韻を天理で表記しだした時期です。

かたや、天(から与わる)理の「天の理」の言い回しがあったので、天理人道の言葉が教導職主導で国家レベルで流行した時代に、見事にてんりん教からてん(の)り教への転換を果たしました。
中山うじの屋敷の向かいで三島の事務所を設立したときに神に禁じられている変化を遂げました。
当時のてんりん教の存在から引き寄せた3人の教正と同時に天から与わった試しに、あえなく引っかかりこけた。

高弟たちを中心に天から与えられた機会に、練磨されながらもその当時の段階での49年来の教えの宝を研ぎ澄ます
ルーティーンを官憲からのひっその姿で日々の理を積みながら、最適解を教祖お隠れ前の問答で答えければならなかった。
ですが残念ながら、神からの当時の歩みの時点で越えなければならない峠としての重大な試しを超えることができなかった。
その超えられなかっら幼な子の姿が現在でも引き続き、無自覚と惰性で人間の拵えた理がどんどん変異種のように増え続けて来た。
もちろん現在もその状態が続いています。
現在進行中の主体である教団全体の負の雛型です。


[ 匿名さん ]
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