達川光男 裴光男
1977年10月、達川がパチンコに興じている最中、広島カープから電話がかかり、「今、玉出よるけ」と言って席を動かなかったが、この電話が入団の誘いだった。
『ささやき戦術』でカープを代表する選手となる。
野村克也のささやき戦術がバッターの本当の弱味を突いて集中力を奪うのに対し、達川の場合は“ウソ”で相手を惑わす作戦だった。
谷繁元信(横浜)の打席、達川は「特別に次の球種を教えちゃる。カーブ」とささいたが、ピッチャーが投げてきたのはストレートだった。
「すまんすまん、アイツはワシのサインを理解しておらん」と言い、「ナイスストレート!」とピッチャーにボールを返球した。
それから横浜では「達川無視作戦」を選手に徹底させた。
大杉勝男(ヤクルト)は、ささやく達川に、「 ふざけるな!」と一喝し、思いきり頭を叩いたことあある。
『嘘デッドボール作戦』でも有名になる。
当たっていないボールを「デッドボールだ」とウソをついて出塁する姿から『球界の詐欺師』と言われ、野球バラエティ番組で頻繁に取り上げられた。
審判にアピールする箇所は手袋をめくった手の甲が多く、こっそりつねって腫れさせていた。
ボールは左手をかすめたのに、右手をふって痛がったという伝説もある。
守備においては、9回ラストバッターニ死2ストライクの場面、次の投球、大野豊のファークボールで打者がファウルチップ。
ルールではファールだが、達川はすぐさま走りだし、打者の三振にすり替えた。
審判も見えていなかったのか達川の姿から三振としたが、マンウンド上の大野は、真面目な性格から、(今のファールでしょう?という顔で)達川とハイタッチせず困惑した表情で立っていた。