岸和田市(大阪府)
日本民族の中心を万世一系の皇室に求める「皇国史観」、天皇に忠義を尽くす「勤皇思想」など、大日本帝国の精神的指導力となった楠木正成がつくった街が岸和田。城下町には古い町並みが多く残っている。
楠木正成が、甥の和田高家に和泉国の「岸」に城を築かせ、「岸ノ和田」と呼ばれる街になった。江戸時代も城下町として栄え、明治期には大阪第3の都市になった。
楠木正成は「勤皇軍」を率い、天皇の“建武中興”に大きな功績を立てた河内(大阪)出身の人物で、徳川光圀(水戸の御老公・水戸黄門)は『大日本史』にて、「楠木正成は、勤皇その一番の忠臣」と記している。
楠木正成は後世にも“尊皇家”として崇敬され、伊藤博文・高杉晋作・西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允・吉田松陰・坂本龍馬らが、楠木正成の墓前に額づいて報国の至誠を誓った。
楠木正成の思想、「非理法権天(天皇が全てに超越する)」「七生報国(七度生まれ変わっても国に報いる)」など、主に軍人に語り継がれた。
楠木正成の家紋である“菊水紋(上半分が半菊、下半分が流水)”は、「戦艦大和」の煙突にも描かれ、楠木正成の“非理法権天”を記した旗が大和に掲げられていた。
現在、岸和田城は、桜の季節には花見の名所として、また、約300年の歴史と伝統を誇る「岸和田だんじり祭」が多くの観光客を集めている。
明治期には多くの繊維工場が置かれ、紡績の街として発展し、大阪府第3の大都市として発展を見せ、昭和期には湾岸部にコンビナートや工業団地が建設されて成長し発展した。
しかし、近年は公明党・共産党系が市議会の多数派となり、経済が急激に落ち込んでいる。