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神道・仏教


No.5771424
合計:
#814

三世をちゃんと見抜けるお方が無常だとおっしゃる。
では どういうふうに見られたかというと 無我とおっしゃる。
諸法は無我 人間の身体は無常ですよと言われる。

どういうふうに無常かと言うと「あと3年もすれば亡くなっているだろう」という感じですよ。
シワが増えるといっても 朝から晩まで見ていても分かりませんが何年かぶりに出会えば
「ありゃ、あの若かった人がもう真っ白ね」
とこうなる。無常。

そういうふうに私どもは無常とはいうが どんなスピードで無常が動いているかという事は本当は見えていない。

今度は空間の時間、三界。
欲界 色界 無色界というふうに三つに世の中というものを分けている。

でもどう言うんでしょうか、目に見える世界 それがもう全く見えない世界
とらわれのない世界、

そういうふうに変わっていく物質とか 金とかいうものは私達の欲望の対象にすぐなる。
でもそれが目に見えないものに変わっていくと
段々 段々そうした欲望というものが薄れていくんですね。
もう思いもつかないような、しかし厳然としては存在はしているのだけれども、もはや欲しいとも思わない。

例えば法、仏法という事になった時に 私達は
「お金と信仰とどっちを取るか?」と言われた時に「そりゃあ仏法に決まっとりますがな、さっきの貧者の一燈のおばあちゃんのように法に決まっとりますがな」
と言えるか、中々言えない。

そういう欲望対象の渦巻く世界欲、そして段々にそれが薄れていって もはや物質的な物一切とらわれる事のない、しかしやっぱりある世界。

空気が有るのか無いのか見えない、無い 有る 学校で習ったからこれは分かる。「あるよ」こういう。

だけどもこれと一緒で魂といったもの 霊といったものにしても私達から見たら、見えるか見えないか。見えないから無いと思っていたが どうもここでは、見えないからといって無いと簡単には言えないという事に段々と気付かせていただく。

次から段々と核心に入ります!


[ 匿名さん ]
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