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🏃🏾 スポーツニュース


No.5775414
#72
近鉄藤井寺球場

開場:昭和3年(1928年)5月27日

近鉄が、大阪郊外の藤井寺市の近鉄藤井寺駅近くに建設した球場で、開場時の敷地面積は甲子園球場をしのぐ59,000m²。収容人員は7万人。

コミスキー・パークのように外野が直線的で、日本では珍しい六角形をしたフィールドだった。(後に円弧状のフェンスを設ける)


住宅街に建設したため、近隣住民による苦情が殺到。

近隣住民の反対によってナイター設備も設置できず、日本野球機構は問題視、近鉄に本拠地移転を指示した。

近鉄は、近鉄のラグビー場の「近鉄花園ラグビースタジアム」を野球兼用とする案も検討したが、「ラグビーの聖地」であるため、ラグビー関係者から反対された。

近鉄はやる気をなくし、藤井寺球場を何年も放置した。


1973年、近鉄は藤井寺球場へのナイター設備設置の工事を強行着手。

しかし近隣住民が猛反発し、大阪地方裁判所に工事差し止め仮処分を申請、地裁が認めたため、鉄塔部が完成したところでナイター設備の建設が中断され、そのまま「約10年間」工事がストップした。

1983年9月26日、地裁が、防音壁(外野スタンドに高さ5m内外野スタンド間に高さ14mで、幅35mの防音壁)設置や鳴り物応援禁止を条件にナイター設備設置を認めた。

合わせて1985年、全面人工芝に変更するなど設備も一新し、愛称をバファローズ・スタジアムとした。

大阪ドームが完成したのに伴って二軍球場として使われたが、2005年1月に閉鎖。77年余りの歴史を終えた。


[ 匿名さん ]
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