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🏃🏾 スポーツニュース


No.5775414
#199
ドラフト1位のマスコット人生

ドラフト1位で巨人に入団した島野修は、1976年、阪急にトレードされたが1軍登板がないまま引退した。

阪急のフロントは、「メジャーリーグで流行っているマスコットパフォーマンスを日本でもやったら面白いと思う。島野君、やってもらえないか」と打診した。

当時、プロ野球にマスコットパフォーマンスは無かった。日ハムとヤクルトにマスコットはいたが、パフォーマンスはしていなかった。

島野は、「そんなもん恥ずかしくてやれるか!」と断った。プライドがあった。

阪急は、メジャーリーグのマスコットパフォーマンスの映像を見せた。


◎「野球を知っていないとできない仕事だよ」

阪急からのその言葉が、島野の背中を後押し、日本初のパフォーマンスをするマスコット「ブレービー」が西宮スタジアムにデビューした。


◎「ドラフト1位島野が 今はピエロ」

大手マスコミが報じた。

阪急は、ブレービーの中の人を非公開にしていた。だからこそ島野もパフォーマンスに集中していた。

しかし報道以降、ブレービーに、「おーいドラフト1位」「島野、情けないぞー」といったヤジが飛んだ。

島野は「今年いっぱいで辞めよう」と決意した。


◎「ブレービー、めっちゃおもろかった」

ある試合後、西宮市内で陰鬱としていた島野の耳に、こんな会話が漏れ聞こえてきた。

「ブレービー、めっちゃおもろかった。また、見に行こうな、お父ちゃん」

その子の言葉が、島野の決意を翻した。次の日からヤジも気にならなくなった。


◎「島野君のおかげで100万人、行ったよ」

子どもファンが増えた阪急は、パ・リーグでは異例の観客動員100万人を突破した。

阪急は島野修に感謝を表した。


[ 匿名さん ]
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