四代目がご逝去あそばされた後の跡目問題で、丸木は高松を担ぐことになる。
高松を担ぎ、現五代目(当時副会長)に引導を渡しに行ったが、菱がこれを阻止する。
逆に、高松が菱から引導を渡されることに。これによって、丸木は失脚。
その後、謹慎となり、溝下総裁の預かりで北九州に。
それからは、周知の通り。
丸木稔は金村稔に、丸木誠司は若林誠司に。
また、五代目に引退を迫った丸木の勢力を削ぐため、本来なら全員が追放になるのが然るべきところ、
稔と努を執行部に取立てることで、丸木の勢力を無くした。
通常なら考えられない二人の執行部人事は、丸木組を崩壊させる思惑によって達成させられたもので、決して、それらが評価されたものではない。
だから、活躍するきっかけが絶対にない、行動隊長と行動副隊長なのである。