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🍊 愛媛雑談総合


No.1586091
#815
2−6 中村時広市政〜終わりの始まり

中村市政下において,松山市の工業生産は右肩下がりの大幅減少に見舞われるのである。2009年には,田中市長時代(1995年)と比べて,製造品出荷額がほぼ半減するという体たらくであった。自分の実父の中村時雄市長時代以下の数字で,30年以上前の水準に逆戻りしてしまった。

さらに,松山市内の小売業販売額も,中村市長の在任中に右肩下がりで落ちる一方であった。特に中心商店街は,中村が市長に就任する直前の1997年調査時と比べると,中村が市長在任中の2007年は,2割以上の落ち込みを示している。「坂の上の雲のまちづくり」の「センターゾーン」として位置づけられた地域に立地する中心商店街の疲弊は明らかだといえる。

西条市の分水拒否に対し,松山市は官製の署名活動という姑息なことを発案した。松山市内の小中学校のPTA連合会が,児童・生徒を通じて保護者から,分水実現を求める署名を集めるなどしたのであった。しかし,この水不足解消策は立ち往生したまま,中村は市長を退任することになる。このため分水問
題が,退任後の市長選の最大の争点となるという結果も招いた。

愛媛県民は,松山市長としての11年半の間に,松山市の製造品出荷額を半減させ,中心商店街を疲弊させる一方で,山鳥坂ダムなどの大型公共事業の実現を公約に掲げた人間を,県知事に選んだのであった。


[ 匿名さん ]
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