実は延髄斬りを開発した当初は左足で蹴っていたことはあまり知られていない。
猪木が延髄斬りの開発に着手したのは今から44年前、1976年6月26日に日本武道館で行われた「世紀の一戦」プロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの異種格闘技戦用だった(猪木談)。
試合に先駆けて行われた6月20日の公開練習で、ジャンプして左足で蹴る、いわゆる空中回し蹴りを藤原喜明、木村聖裔(後に健吾)、木戸修の3人を相手に披露したところ、これを見たアリ陣営から「あまりに危険」ということで後頭部へのキック、立ったままのキックが禁止された。結果、延髄斬りは幻に…。
猪木が試合でこの蹴りを披露したのは9月4日、名古屋・愛知県体育館でのブラックジャック・モース戦。蹴りはヒットしたが特別きれいなフォームではない。この時はフォールを奪ったわけではなく、つなぎ技。フィニッシュは卍固めだった。
そして、右足の延髄斬りを初公開したのは77年10月25日、日本武道館で行われたプロボクサーのチャック・ウエップナーとの異種格闘技戦。
しかし、アーカイブを検証してみると意外な事実が判明した。
猪木はジャンプして右足で蹴ってはいるのだがウエップナーには当たっていなかった。本紙では「真空飛び蹴り」と表記され、スネでウエップナーのテンプルを痛打とある。つまり、右足での蹴りは空振りした(かすった?)が左足のスネがヒットした。それでウエップナーはダウンした(決め技は逆エビ固め)。
猪木が延髄斬りの開発に着手したのは今から44年前、1976年6月26日に日本武道館で行われた「世紀の一戦」プロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの異種格闘技戦用だった(猪木談)。
試合に先駆けて行われた6月20日の公開練習で、ジャンプして左足で蹴る、いわゆる空中回し蹴りを藤原喜明、木村聖裔(後に健吾)、木戸修の3人を相手に披露したところ、これを見たアリ陣営から「あまりに危険」ということで後頭部へのキック、立ったままのキックが禁止された。結果、延髄斬りは幻に…。
猪木が試合でこの蹴りを披露したのは9月4日、名古屋・愛知県体育館でのブラックジャック・モース戦。蹴りはヒットしたが特別きれいなフォームではない。この時はフォールを奪ったわけではなく、つなぎ技。フィニッシュは卍固めだった。
そして、右足の延髄斬りを初公開したのは77年10月25日、日本武道館で行われたプロボクサーのチャック・ウエップナーとの異種格闘技戦。
しかし、アーカイブを検証してみると意外な事実が判明した。
猪木はジャンプして右足で蹴ってはいるのだがウエップナーには当たっていなかった。本紙では「真空飛び蹴り」と表記され、スネでウエップナーのテンプルを痛打とある。つまり、右足での蹴りは空振りした(かすった?)が左足のスネがヒットした。それでウエップナーはダウンした(決め技は逆エビ固め)。