○朝鮮半島を統一した独立国家としての歴史は、936年から963年までの高麗の27年間と、
1895年から1910年までの李氏朝鮮(1897年から大韓帝国と改称)の15年間しかない
○百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと
○大和朝廷による任那(伽耶)地域の支配があったこと(半島南部における多数の前方後円墳の存在)
○李氏朝鮮王が、中国の地方長官の地位でしかなかったこと
○清から、李氏朝鮮が琉球とベトナムよりも格下に扱われていたこと
○李氏朝鮮の前の高麗では、元の命令で、王妃が代々モンゴル人であり、モンゴル人の母親から生まれた息子しか国王になれなかったこと
○チマチョゴリが、子を産んだ女性は胸を露出して着る服であったこと
○李氏朝鮮の時代に、木を丸くする技術がなくて、二輪車がなかったこと
○朝鮮民族は漢民族・満洲民族・モンゴル民族に従属していて格下の民族とされていたこと
○清朝の冊封体制の中で李氏朝鮮の地位は低く、朝鮮使臣のみが丸首の衣で歩いて裏門から入ったこと
(朝鮮使臣のみが礼服と籠に乗ることと正門から入ることを禁じられていた)
○朝鮮が属国だったから、朝鮮からの使節が外交使節でなく朝鮮通信使とされたこと
[匿名さん]
○朝鮮国王は 中国の王朝の皇帝によって任命されたこと
○朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならなかったこと
○朝鮮国王の地位は、中国の王朝の廷臣よりも下だったこと
○朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてなかったこと
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もなかったこと 朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、
毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならなかったこと
○新羅が日本の属国であって、新羅の王子が日本に人質にとられていたこと
○韓国は東北から北海道の緯度にある寒冷地帯であって、
南方の食べ物である稲が育つはずがなくて、1980年代まで韓国人は雑穀を食べていたこと
○朝鮮半島には価値ある文化、富や食、豊かな土地などまったくなかったという理由で、
中国の王朝が朝鮮半島を自国領にしなかったこと
○朝鮮半島ではオルドス式銅剣もそれを製造する鋳型も見つかっていないこと(中国大陸と日本列島では発掘されている)
○朝鮮半島では大陸性の青銅ナイフが見つかっていないこと(日本では見つかっている)
[匿名さん]
■任那日本府
◆随書・・・・・・・・・・・・倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと記載。
◆満州にある広開土王碑・・・倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと記載。
◆三国史記「新羅本記」・・・・新羅は何回も王子を人質に差し出している。新羅王の4代目王は倭国からやって来たと記載。
倭の勢力が頻繁に来襲し、何度も首都を包囲された記述が書かれている。
◆三国史記「百済本記」・・・・百済は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。
◆日本書紀・・・・・・・・・・391年に神功皇后が百済と新羅を征服したと記載(三韓征伐)。
◆梁職貢図・・・・・・・・新羅は倭の属国。
[匿名さん]
■世界の教科書
【ドイツの教科書】 『日本が朝鮮半島に最初の足場を築いたのは4世紀の事であった。
その後300年、日本は朝鮮半島を支配する地位にあった』
【アメリカの教科書】 『西暦3世紀から4世紀頃、朝鮮半島南部を日本が支配した。』
【イギリスの教科書】 『西暦366年から562年まで日本が朝鮮半島を支配した。』
【オーストラリアの教科書】 『朝鮮は近来に達するまで、国内の抵抗にかかわらず
中国と日本の属国であった。』
【ポーランドの教科書】 『西暦1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権をめぐって衝突した。』
【フィリピンの教科書】 『日本は自由な新しい秩序を樹立することで、
朝鮮に平和と安全をもたらそうとした。』
[匿名さん]