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NO.3518792

モロッコの辰
戦前戦後に暴れ回った横浜愚連隊の大将、モロッコの辰は宮崎県えびの市出身
この伝説のアウトローを語ろうじゃあーりませんか?
(・∀・)ノ
報告閲覧数696レス数191

#12014/09/21 15:03
ヤクザ映画観すぎ…
昔のヤクザの事なんか知らんがな…

[匿名さん]

#22014/09/21 15:30
モッコリ

[匿名さん]

#32014/09/21 15:39
80歳以上の人を探して聞いてきなさい。

[匿名さん]

#42014/09/21 16:27
本名は出口辰夫
えびの市周辺に親戚がいるはずなんだが、誰か知ってる?

[匿名さん]

#52014/09/21 18:29
その話しマジなの?
安藤昇とか花形敬とかの愚連隊全盛時代よね?
モロッコの辰が宮崎出とは知らなかったわー

[匿名さん]

#62014/09/21 19:56
>>5
モロッコの辰の写真は1枚しか残ってない
モロッコの辰の単行本を持ってるが、モロッコは主に横浜が活動拠点だったので、東京を拠点にしていた安藤や花形とは出会ってない
昭和30年頃には若くして亡くなってるし
柳葉敏郎主演、哀川翔、岸本かよ子共演で横浜愚連隊 モロッコの辰の映画もある(ビデオしか存在しない)

[匿名さん]

#72014/09/21 20:01
>>6
北島三郎のが有名じゃなかった?

[匿名さん]

#82014/09/21 20:20
>>7
噂によると寺島進のが良かったみたいだ
どちらも身長が低いので、身長の低かったモロッコの辰役にはピッタリ

[匿名さん]

#92014/09/21 20:33
>>7
だよ〜

[匿名さん]

#102014/09/21 21:04
身長160センチにも満たない身体で大男を倒し、数人まてめて倒したりできたのはボクシングを習っていたのが大きい
更にナイフやピストルまで所持していたんだから無敵だった
賭け場荒らしを生業とし、紙切れ1枚でヤクザの親分達から大金をせしめていたほどの荒くれ者
横浜四天王のひとりと言われるが、実際はモロッコがトップも同然だった
オシャレには人一倍気をつけ、アイロン掛けは自分でやっていた繊細さも併せ持つ男だった

[匿名さん]

#112014/09/24 22:06
リーゼントで横を向いてる写真カッコ良すぎ

[匿名さん]

#122014/09/25 01:14
>>10
当人を知ってるかのような書き込みだけどそれも伝聞に過ぎんだろ。
もはや実際のモロッコの辰さんを知ってるのなんていないんじゃないか?

[匿名さん]

#132014/09/25 11:30
>>12
映画鑑賞して情報を得たから

[匿名さん]

#142014/09/28 21:57
>>12
80〜90歳の人は知ってるよ

亡くなった稲川総裁が大きな葬式をしてあげたみたいで、お坊さんにお経を読むのをやめろと大声を出した人もいたそうだ
若い頃から重い病気だったので、早く亡くなるのは分かってたけど受け入れられなかったんだろうね

[匿名さん]

#152014/09/28 22:36
実在しないフィクションですよ

[匿名さん]

#162014/09/28 22:52
モロッコは病気で戦争に参加できなかったわけだよ
故郷に近い都城市で検査に落ちたモロッコは、連れて来た仲間と旅館に泊まったりして数日を過ごしている
病気にいいからとレモンをかじり、痛みが和らぐからと麻薬を腕に射ち続けた
亡くなる前は痩せ衰え、一寸法師みたいに小さく見えたみたいだ

[匿名さん]

#172014/09/29 04:41
>>16
モロッコの辰マニアなんだね。

[匿名さん]

#182014/09/29 22:31
モロッコの辰1
それは奇妙な写真であった。古いモノクロ写真に四人の男が写ってる。
四人の表情もファッションもまちまちで面白いコントラストを描いているが、なんとも不思議な説得力を持った写真である。
男たちの生きた時代が臭ってきそうである。なかでもその男の印象は強烈だった。
他の三人が思い思いのポーズをカメラに向けているのに、その男だけは一人、そっぽを向いているのだ。
そのさりげないしぐさが見事に絵になっている。
さしもの当時の横浜愚連隊のスターであった井上喜人、林喜一郎、佐藤義雄も、ここではまるでその男の引き立て役としてしか存在していないようだ。
男の名は出口辰夫、現在にいたるもさまざまな伝説にいろどられて語られる、モロッコの辰、その人であった。

[匿名さん]

#192014/09/29 22:42
モロッコの辰1
「この写真は昭和二十五、六年のものかな。場所は高根町(横浜市南区)にあった三日月旅館の裏だったと思う。
いまはもうないけど、兄貴(モロッコの辰)は三日月旅館に寝泊まりしていた時期があったんだ。
写真を撮るというんで、このときオレが兄貴の背広を持っていったんだ。
兄貴が写っている写真は他にもいっぱいあったけど、どういうわけかこの写真一枚になってしまった」
と語ってくれたのは、高橋氏(仮名)だった。
戦後の一時期モロッコの舎弟として暴れていたこともあったようだが、
昭和二十八年、きっぱりと足を洗ってカタギになり、以来今日に至るまで横浜市内で自営業にいそしんでる。
東映映画「修羅の群れ」ではこの人をモデルとした人物も出ていた。

[匿名さん]

#202014/09/29 22:51
モロッコの辰1
高橋氏がモロッコの舎弟となったのは、戦後すぐのことだった。
横浜・曙町の食物配給所でモロッコ軍団と知り合い、一緒に賭け場に二、三回出入りしているうちにモロッコに魅かれ、舎弟になったという。
「戦後の横浜というのは、ヤクザ者より愚連隊のほうが強かった時代があった。辰ちゃんなんかそのチャンピオンだ。
一度、保土ヶ谷で愚連隊とヤクザ者との大喧嘩があったとき、兄貴はトラック二台に、モロッコの辰、という大きなのぼりをたてて乗り込んでいったことがある。
腰に二丁拳銃をさしこんでまるで西部劇と同じスタイルだ。そのときは警察署長が出てきて、
おまえたちが勝ったんだからやめろ、と止めに入ったのでおさまったということを聞いたことがある」

[匿名さん]

#212014/09/29 23:07
モロッコの辰1
モロッコの辰には多くの伝説があるが、その一つが、モロッコの辰、という異名の由来である。
一般に流布されている説は、戦前、日本で大ヒットしたゲーリー・クーパー、マレーネ・デートリッヒ主演のアメリカ映画『モロッコ』に魅かれ、
「オレも一度でいいからモロッコに行ってみたい」とその夢を語り続けたからだというものだ。その説に異を唱えるのは、前出の高橋氏である。
「それは違うんだ。兄貴は若いころずっとボクシングをやっており、六回戦か八回戦までいってるほどだが、
あるとき東京でボクシングの興行がかかり、兄貴側が応援したボクサーが負けてしまったことがあった。
ところがその判定に不服を持った兄貴の若い衆が相手のボクサーか興行師か知らないけど、日本刀で傷つけてしまったんだ。
当時、ボクシングの興行は映画館でやることが多く、そのときも映画館で行われたものだった。
で、たまたま上映中の映画が『モロッコ』。そのため、この事件が大っぴらになって、兄貴は、モロッコの辰、といわれるようになったというわけだ」

[匿名さん]

#222014/09/30 21:43
モロッコの辰1
十六歳でモロッコと結婚、二十三歳で別れるまで二人の子ども(長男が四歳で死亡、次男が死産)
をもうけているかつての夫人・おふじ(藤枝)さんにいわせると、もっと違った説になってくる。
「私は辰ちゃんから直接聞いたことがあったよ。
辰ちゃんは兄夫婦と一緒に子どものころからずっと鶴見の潮田というところに住んでいたんだけど、
その潮田という街がゴチャゴチャしていて、モロッコの街に似ているんだってさ。
そこから潮田の辰じゃなくて、モロッコの辰っていわれるようになったというんだけどね」
いずれにせよ、おふじさん説も、『モロッコ』というアメリカ映画がベースになっていることだけは確かなようである。

[匿名さん]

#232014/09/30 21:51
モロッコの辰1
おふじさんの実弟で、やはりかつてはモロッコ軍団の一員だったが、高橋氏同様、若くしてカタギになり、三十数年もサッシ店を営んでいるという春彦氏がこういう。
「とにかく洋画が好きだったよ。『モロッコ』に限らず、洋画はよく観てた。
この写真のヒゲはね、クラーク・ゲーブルのヒゲを真似たものなんだ。
それにジョン・ウェインが好きでね。ああいうカウボーイハットのようなものをかぶるようになったのも、ジョン・ウェインの影響じゃなかったかな。
なかでも一番好きだったのは、ジェームズキャグニィ。兄貴はキャグニィにはだいぶいれこんでいたよ」

[匿名さん]

#242014/09/30 21:59
モロッコの辰1
となると、やはりゲーリー・クーパーとマレーネ・デートリッヒ主演のアメリカ映画『モロッコ』にあこがれ、
モロッコの夢を語り続けたから、モロッコの辰、の異名をとったとする説が、一番あっているような気がする。
およそさまざまな伝説上の男たちが存在するなかで、これほどロマンを感じさせる異名をとった男がいるだろうか。
「ふだんの兄貴はね、うわっついたところがかけらもなかったよ。
もの静かな人でね、ボソッボソッとこっちが耳をそばだてなきゃ聞こえないくらいの小さな声で話したもんだ。ニヒルな人だったよ」とは前出の高橋氏。

[匿名さん]

#252014/09/30 22:11
モロッコの辰1
人はモロッコをさして、破滅的な男という。
たしかに肺結核と知りつつ死ぬまでヘロインをうち続けるようなところをみても、そうした一面があったことは疑いをいれない。
だが、モロッコは自分の死期などとうに見越していたに違いないのだ。
だからこそ地のはて、モロッコへのあこがれを逆説的に語ったのだろう。なによりモロッコはニヒリストの子であった。
「兄貴はものすごいオシャレだったね。着るものはむこうの洋服ばかり。進駐軍が入ってきたばかりの時期だったから、手に入ったんだ。
なりをくずしたら、遊んでる人間はメシを食えないというのが兄貴の持論でね。
懐に一銭もなくても格好だけはちゃんとしていろという方針だったから、モロッコの若い衆はみんなオシャレだった」
という春彦氏の言葉からも、何かモロッコの精神の原形がみえるような思いがするのだ。

[匿名さん]

#262014/10/01 22:13
モロッコの辰1
その日、モロッコはモロッコ軍団のとりまき数人を連れて歩いていた。
手の上でレモンが踊っている。歩きながら小さな果物ナイフでレモンをふたつに切った。
一つを口にして思いきりすすると、口中にレモンの酸っぱさが広がった。思わず顔をしかめたが、さわやかさがあった。
レモンはモロッコの好物だった。肺を病んだ体にレモンがいいと聞き、一度口にしてからはときどき手にとるようになっていた。
“波の背の背に揺られて揺れて
月の潮路のかえり船”
モロッコの口から、十八番の田端義夫の「かえり船」のメロディが流れた。ごきげんな証拠だった。
雲をつくような大男とすれちがい、肩が触れたのは、そのときである。

[匿名さん]

#272014/10/01 22:29
モロッコの辰1
モロッコはその衝撃で初めて相手に気がつき、ゆっくりと顔をあげた。相撲取りのような男がモロッコをね目つけていた。
「このチビが……。どこに目をつけてるんだ」何も知らない相手はモロッコへの禁句を吐いてしまった。が、あとの祭りである。
一瞬、モロッコの顔に笑みが浮かんだような気がしたが、次の瞬間にはモロッコの体は宙に舞っていた。
続いて起こる悲鳴。モロッコは飛びあがって相手の顔面にパンチを炸裂させていたのだ。
大男はたわいもなくひっくり返った。モロッコはその上にやおらまたがると、さきほどの果物ナイフをとりだした。
「このヤロー!その目ん玉くりぬいてやるか!」大男の首根っこを捕まえながら、モロッコが凄む。それは単なる脅しではなかった。
モロッコはいままさに実行に移そうとしていた。相手の大男は恐怖に目を見開いている。事ここにいたってようやくモロッコ軍団が動きだすありさまだった。
「兄貴!それはいけねえ!」次々とモロッコの腕を押さえにかかる。
あまりのモロッコの早わざに、モロッコの若い衆たちはそれまでなすすべを知らなかったのだ。
「バカヤロー!どいてろ!」
モロッコのナイフはいまにも相手の目玉をくりぬかんばかりだったが、若い衆が必死に押さえ、ようようのことでおさまりがついたのであった。

[匿名さん]

#282014/10/01 22:41
モロッコの辰1
身長百五十五センチにも満たなかったモロッコに対して、チビという言葉はタブーだった。
「モロッコの辰という名前は有名だったけど、顔を知らない人間もいたわけだ。
そういう連中は、モロッコというのは大男というイメージを持ってるいるから、まさかそんな背の低い男とは思わず、知らないで喧嘩を売る。
叩きのめされたあとで初めてモロッコと知り、びっくりしてしまうことがあったな」(消息通)
前出の春彦氏にもこんな体験がある。曙町のある親分のところに用があって、モロッコの伴をしていた夜のことだった。
この日横浜に寄航した船があったのだろうか、三人の船員がやや酔いかげんど歩いているのとすれちがった。
モロッコは例によってモロッコハットと呼ばれた大きな帽子をかぶり、スーツを着こなしてきっちり決めていた。
それを見た件の三人が冷やかし始めたのだ。

[匿名さん]

#292014/10/01 22:46
モロッコの辰1
「なんだ、チビがカッコつけやがって……」
それを聞いたモロッコはニヤリと笑みを浮かべた。怒りを爆発させる前の癖だった。
そのあと、結末がどうなったかは火をみるより明らかである。
「瞬間だったよ。こっちが手を出す暇がなかったよ。あっという間に三人をたたきのめしてしまった。そりゃあ、すごいもんだよ」(春彦氏)

[匿名さん]

#302014/10/01 23:02
モロッコの辰1
おふじさんが初めてモロッコと会ったのは昭和十八年、十六歳のときである。
横浜市中区若葉町にあったカフェー「ラメール」でウエイトレスとして働いていたとき、井上喜人と二人で客としてきたのがモロッコだった。
「おっ、かわいい子がいるな」それがモロッコの第一声だった。このときモロッコは二十三歳である。
淡谷のり子の「別れのブルース」が終わり、ディック・ミネの「ダイナ」の曲が店内に静かに流れていた。
昭和十八年といえば、ガダルカナルの日本軍撤退、連合艦隊・山本五十六司令長官の戦死、
アッツ島の玉砕と日に日に戦局は日本に厳しくなる一方で、国家総動員法が執行され、カフェーなどがいっせい封鎖される年である。
なおかつ情報局はこの年ジャズや不健全な歌謡曲など約千曲の禁止を命じている。
そのときラメールに流れていた「ダイナ」もラメール自体も、やがては禁じられる運命ゆあったわけだ。
そんな時代におふじさんはモロッコと出会い、互いに魅かれるものを感じてつきあい始めるのである。

[匿名さん]

#312014/10/02 01:52
こんな田舎のスレで長文書いても誰も読まないだろ?

[匿名さん]

#322014/10/02 19:52
>>31
(ロ_ロ)自己満足だからいいんですよ

自分もモロッコが歩いたと思われる伊勢佐木町や黄金町でよく遊びましたし、
不良でボクシングをやっていたのも同じです
弟は柳葉敏郎主演の映画、横浜愚連隊・モロッコの辰にチョイ役で出演しましたし、何かの縁があると思いますた
中途半端じゃなくこれから約1ヶ月間、こと細かくモロッコのことを書き込みたいと思います

[匿名さん]

#332014/10/02 20:03
モロッコの辰1
ラメールは当時の不良のたまり場であり、おふじさん自身が少し不良っ気のある少女だった。
モロッコはすでに不良の世界では名が通っていたが、他の不良とはどこか違っていた。
酒を一滴も飲まず、ウエイトレスをからかうこともなく、静かにコーヒーを飲んでいた。そんな二人が一緒になるのはまもなくのことである。
おふじさんはモロッコを中区弥生町にあった実家に連れていき、両親にもひきあわせている。
父親は早くに亡くなり、母親は再婚して「弥生」という小料理屋を開いていた。
「一緒にならせてください」とモロッコはガラにもなくかしこまって、おふじさんの両親の前に手をついた。
モロッコ自身、親を早くに亡くしていたが、位牌や写真は大事にしまってあった。親思いであり、カタギや女子どもにはことのほか優しくなる男であった。

[匿名さん]

#342014/10/02 20:12
モロッコの辰1
結婚を許された二人は、戦時中だったこともあって結婚式をあげることもままならなかったが、
弥生町のおふじさんの実家のすぐそばに、六畳八畳の二間のアパートを借りて住んだ。
この弥生町に住んだのはわずか半年に過ぎなかったが、比較的、二人水入らずの新婚生活を満喫できた時代である。
おふじさんがモロッコと一緒になって改めて驚かされたのは、そのオシャレぶりだった。
おふじさんはモロッコの服にはアイロンさえかけさせてもらえなかった。モロッコが毎晩、自らアイロンをかけるのが常だったからだ。
戦後、進駐軍が入ってきて、むこうのものが入るようになると、モロッコのオシャレにはなお磨きがかかった。
ポマードで髪をオールバックに固め、ネクタイを服にあわせて選んだ。
当時流行のラバーソールの靴をはき、モロッコハットと呼ばれた東京ハットをかぶった。

[匿名さん]

#352014/10/02 20:21
モロッコの辰1
「不良は身だしなみが命だ」とモロッコはいった。(いつどこで死ぬかわからねえからな)口には出さなかったが、モロッコには予感があった。
(いつか誰でもモロッコでもどこでも行ける時代がくるかも知れないが、オレには決してそんな日はこないだろ——)
横浜市鶴見区潮田に住むモロッコの兄夫婦のもとに、モロッコの召集令状がくるのは新婚生活に入ってまもなくのことであった。

モロッコはもともと宮崎県の出身。
四人兄弟の三男だが、子どものころに両親を失い、横浜の鶴見区潮田に住む長兄のもとにひきとられている。
長兄は川崎の日本鋼管に勤めていた。この長兄がモロッコの親代わりになったのである。

[匿名さん]

#362014/10/02 20:34
モロッコの辰1
当時一銭五厘と称された赤紙が届き、モロッコは宮崎県都城で徴兵検査をうけることになった。
都城に出発する前日には、モロッコのための壮行会がおふじさんの実家で催されている。
おふじさんの実家は一階が小料理屋「弥生」二階が住居だったが、壮行会は二階に近所の人たちやモロッコの長兄夫婦、親戚筋を三十人ほど集めて行われている。
時節柄、派手な酒宴こそ開かれなかったが、誰もがモロッコの出征を祝ってくれた。
「出口辰雄君、万歳!」近所のおじさんがやおら立ち上がって双手をあげる。
「万歳!」「万歳!」そのおじさんに一同が唱和した。続いて軍歌がとびかい、手拍子が起きた。
゛国を出てから幾月ぞ ともに死ぬ気でこの馬と 攻めて進んだ山や河 取った手綱に血が通う 慰問袋のお守りを さげて戦うこの栗毛
この頃流行りだした「愛馬進軍歌」だった。

[匿名さん]

#372014/10/02 20:42
モロッコの辰1
酒宴の盛りあがりにもかかわらず、モロッコは恥ずかしくてならなかった。
兵隊検査でどんな結果が出るか、自分でおおよその予測がついていただけに、なおさら恥ずかしさが先にたった。
胸に巣くう病魔がジリジリと着実にモロッコを侵し続けているのは確実なことだった。
モロッコは酒宴をそっと抜けだして外へ出た。星と月がきれいだった。暑い夏がもうすぐ始まろうとしていた。
翌日の夜、モロッコは横浜駅を出発。おふじさんの弟の春彦氏、船乗りの青木氏、その恋人である久子さんが都城まで同行することになった。
すでにこのとき、おふじさんはモロッコの子を身ごもって、大きなお腹を抱えていたのである。

[匿名さん]

#382014/10/03 17:41
貴方はウザイっての…

[匿名さん]

#392014/10/03 19:27
ウザいですか!?


書くのをやめます
(^ .^)y-~~~

[匿名さん]

#402014/10/03 19:31
>>39
ごめんね
DVD見たらわかるからね
貴方がモロッコの辰好きなんはわかるからね…

私は安藤昇が好きです…

[匿名さん]

#412014/10/06 03:10
>>38
ウザいなら見らんけりゃいー話しやろ
いちいちうるせーよ

もっと書いてください

[匿名さん]

#422014/10/06 14:05
>>41
蛆虫がうるせぇ!!

[匿名さん]

#432014/10/06 19:33
なんだと!
(゚Д゚)

[匿名さん]

#442014/10/06 22:33
>>41
ご要望にこたえて続きを書きますが、時間がなくて書けない日があるかもしれません

モロッコの辰1
汽車は大変な混みようだった。座席にはすわれず、めいめいが通路に腰をおろした。
このときモロッコの胸中に去来したものは何だったのだろうか。
「もうその時点で、自分の胸がどれぐらい具合が悪いかわかっていたんだろうな。『どっちにしろ、すぐ帰るよ』
というのを、オレも兄貴も口から聞いたことがあったよ。だから汽車の中ではずっとすましていたよ、本人は」
と春彦氏が当時のことを回想する。春彦氏はこの汽車の中でモロッコが一、二度クスリ(ヘロイン)を打つのも目撃している。

[匿名さん]

#452014/10/06 22:41
モロッコの辰1
都城には一昼夜かかって翌日の昼に着いた。徴兵検査の結果は、モロッコの予測した通りのものとなった。
肺浸潤による不合格で、その日のうちに帰されることになった。むろんすぐには横浜に帰れるものではなかった。
あれほど盛大な壮行会を開いて、多くの人が祝ってくれた手前、みっともなくてしようがなかった。
「ええい、しばらくこっちに泊まりこむぞ」モロッコは怒ったように他の三人に宣言した。
こうしてモロッコはそのまま都城の旅館に泊まり続け気ままな日を過ごしている。
昼はブラッと四人で散歩に出たり、ときには春彦氏を連れて小林村(現在の小林市)のモロッコの親戚の家にも顔を出している。

[匿名さん]

#462014/10/06 22:46
モロッコの辰1
モロッコはよっぽど恥ずかしかったのか、横浜に帰ってからもしばらくはおもてにも出ないでひっそりと家に閉じこもっていたという。
やがてモロッコ夫妻は半年間住んだ中区弥生町のアパートを出て、鶴見区下末吉にと引っ越している。
おふじさんが長男を出産したのは、この下末吉に引っ越してまもなくのことだった。
モロッコはこの子に自分の名を一字とって龍彦と名づけている。

[匿名さん]

#472014/10/06 22:55
モロッコの辰2
「モロッコ?……むこうみずのところはあったけど、やさしさがうんとあった人だよ」
といって、目を細めたのは、前橋に住む寄居分家三代目・飯久保武総長であった。
大正十五年生まれの飯久保は、昭和四十九年から寄居一門のたばね役ともいえる全日本寄居連合会会長をつとめる神農界(テキヤ社会)の重鎮。
モロッコはこの飯久保総長の人生の上をも鮮やかな光芒を残して駆け抜けていった男だったようである。
飯久保がモロッコの辰と出会ったのは、戦時中のことであった。

[匿名さん]

#482014/10/07 15:31
おせっかい失礼するけど

何かの本を丸写しで書いてるなら著者の了解を得てなければ
著作権法違反で逮捕されちゃうよ。

最近勝手に人の本の文章をネットに書いたり
テレビ局の番組を勝手に動画であげて逮捕されてる人多いから気を付けたがいいよ。

[匿名さん]

#492014/10/07 16:21
>>48
ですよね…

受け売りはアウト(‾▽‾;)

[匿名さん]

#502014/10/07 21:25
わかっていましたが、逮捕されるのは嫌なので止めます
(・∀・)ノ

[匿名さん]


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