202
2024/05/26 01:12
爆サイ.com 甲信越版

🍙 新潟市雑談





NO.4914535

白山神社白山公園白山寺べっぴん
(´・_・`)森山そ志が鳥居に掘られてるぜ!
よろしく!チャイコロ!
下水油眠属!
報告閲覧数1001レス数202

#12016/08/05 18:58
白山神社白山公園白山寺べっぴん
NO.49145352016/08/05 18:58
(´・_・`)森山そ志が鳥居に掘られてるぜ!
よろしく!チャイコロ!
下水油眠属!
[佃煮太郎]

(´・_・`)おまつりどうですか?

[匿名さん]

#22016/08/05 18:59
(´・_・`)ポケモンGOで携帯中毒だと森山そ志拾うらしいですよ

うきゃきゃきゃ

[匿名さん]

#32016/08/05 19:19
o(^▽^)oワーイ
o(^▽^)oワーイ
o(^▽^)oワーイ

えんどうあうとーっ
カナダドラ〜イ

🎾(´・_・`)ウィッチ
ラフ
(*^_^*)

右足寄りからフェイス開かないように
(´・_・`)
ⅲd。ⅲⅲ ⛳️

[ブレアウィッチ]

#42016/08/05 19:21
(´・_・`)毎回開くよ


よし!左足よりにしてあえてフック気味にヘッドを構えてにしよう!
右足寄りは難しい
(´・_・`)
ⅲⅲd。ⅲ ⛳️

[匿名さん]

#52016/08/05 19:23
あ〜っ! °
(´・_・`)_P⤴︎
ⅲⅲⅲⅲ ⛳️

[匿名さん]

#62016/08/05 19:44
○誤°
○流↑
○布 ↑
P_(´・_・`)↑

GJ

[匿名さん]

#7
この投稿は削除されました

#82017/01/13 21:19
(´・_・`)あげ

[匿名さん]

#92017/01/13 21:19
(´・_・`)目が鮫た?

[匿名さん]

#102017/01/25 18:47
>>7
カブトムシゆかりなら分かる!

[匿名さん]

#112017/02/08 17:26
あげ

[匿名さん]

#122017/02/08 18:31
頭おかしいのか?

[匿名さん]

#132017/08/09 10:51
>>12
本、気になった?

[頭おかしい]

#142019/02/13 14:03
   ___
   /::::::::::::::ヽ
  〜|(`・ω・´)|/  臣下の進化。
   /::::::::y:::::::ヽ
.  U〉:::::::.:::〈U
.   (;;;;;人;;;;;)
  /U  U

[匿名さん]

#152019/04/17 17:34
>>130
:::::::::::/           ヽ::::::::::::
:::::::::::|  ば  じ  き  i::::::::::::
:::::::::::.ゝ か   つ   み  ノ:::::::::::
:::::::::::/  だ  に  は イ:::::::::::::
:::::  |  な。       ゙i  ::::::
   \_         ,,-'
——--、..,ヽ__  _,,-''
:::::::,-‐、,‐、ヽ. )ノ      _,,...-
:::::_|/ 。|。ヽ|-i、      ∠_:::::::::
/. ` ' ● ' ニ 、     ,-、ヽ|:::::::::
ニ __l___ノ     |・ | |, -、::
/‾ _  | i     ゚r ー'  6 |::
|(‾`'  )/ / ,..    i     '-
`ー---—' / '(__ )   ヽ 、
====( i)==::::/      ,/ニニニ
:/     ヽ:::i       /;;;;;;;;;;;;;;;;

[匿名さん]

#162019/09/11 14:30
加賀の白山ひめ神社を総本社とするんでしょ?
でもさ、分霊的なところあるでしょ。

[匿名さん]

#172019/10/25 13:08
この星座の神話は、一般的には、大神ゼウスがスパルタの王妃
レダの元へ行った時に化身した白鳥だとされています。

スパルタの王、テュンダレオスの妻レダはとても美しい人でした。
大神ゼウスは、またもその美しさに魅了され、なんとかレダをものにしたいと考えて
一計を案じました。ゼウスは愛の女神アフロディテに協力を頼んで、
アフロディテに一匹の鷲に化けてもらい、自分は白鳥となってスパルタに赴きました。
白鳥のゼウスはレダが窓辺にいるのを確かめると、彼女の見ている前で
アフロディテの化けた鷲にわざと追い回されはじめたのです。
その様子を見ていたレダは白鳥をかわいそうに思い、胸を広げて白鳥を呼びました。
ゼウスの化けた白鳥は得たりとばかりにレダの胸に飛び込み、
想いを遂げたのです。この時の白鳥の姿が白鳥座になったといわれています。

その後レダは2つの卵を生み、その卵からカストルとポルックス (双子座)
クリュタイムネストラと、ヘレネの4人の子供が生まれました。

[匿名さん]

#182019/10/25 13:13
別の神話として、太陽神アポロンの息子パエトンが太陽を曳く
馬車からエリダヌス川 (エリダヌス座) に落ちた時、その亡骸を
探し続けた親友キュグナスが白鳥に変化した姿だとされています。

太陽神アポロンの息子にパエトンという子供がいました。
パエトンはアポロンの息子であることに誇りをもっていましたが、友人の
誰もがそれを信じようとしないので、パエトンはそれを確かめるために
アポロンの住む宮殿を訪ねました。アポロンはパエトンが自分の息子であることを
認め、その証拠に願いを何でも1つは叶えてやろうと言いました。
するとパエトンは友人達に自分がアポロンの息子であることを証明するために
太陽を曳く馬車を運転させて欲しいと頼みました。
この意外な申し出にアポロンはひどく渋りました。

馬車を曳く馬はひどく気性が荒く、アポロン以外ではたとえ神々といえ
操ることができなかったからです。だがパエトンはアポロンの言葉を盾にとり、
反対を押し切って馬車とともに大空へ飛び出して行きました。
馬車ははじめ順調に進むかに見えました。ところが馬達は手綱を取るのが
アポロンでないと知った途端、暴れはじめ馬車は滅茶苦茶に
走りはじめてしまったのです。馬車が近づいたものはすべて太陽の火に焼かれ、
多くの森や都市が火に包まれてしまいました。この惨状を収拾するべく
ゼウスは雷光を放ってパエトンを撃ち殺しました。パエトンの亡骸は転げ落ち、
はるか下方のエリダヌス川(エリダヌス座)へと落ちていったのです。

その様子を見ていたパエトンの親友キュグナスは、
エリダヌス川の中のパエトンの亡骸を必死で探し続けたのです。
いつまでも探し続けるキュグナスに哀れを感じたゼウスは、
キュグナスを白鳥の姿に変えてやりました。
これがのちに天に昇り白鳥座になったのだそうです。

[アレスくん]

#192019/10/29 20:16
笹なんかどこにでもあるもんね。
熊笹とか竹っぽくないよね。

[匿名さん]

#202019/10/29 20:18
うるせーよバーカ!!

[匿名さん]

#212022/12/18 14:51
儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に亘り強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教(中国語版)ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。

概要
定義
中国やその周辺の東アジア諸国で信仰・研究されていた宗教、または学問。一般に孔子が創始者と目されるが、古代から伝わる神話や制度、習俗などの集合体である。孔子以後は経書の解釈を行う学問、または社会規範や習俗として行われた。  

[匿名さん]

#222022/12/18 14:58
略史
アニミズムやシャーマニズムを背景に成立し、東周・春秋時代に魯の孔子やその後の儒者によって自覚された。主な教義として、堯舜・文武周公の古の聖賢の政治を理想として[1]「周礼」を復活させることや、家族や君臣の秩序を守ることなどが挙げられる(#教義・学説を見よ)。孔子やその弟子たちの教団は儒家と呼ばれ、諸子百家の一つに数えられる。また、儒教を自らの行為規範にしようと、儒教を学んだり、研究したりする人のことを儒学者、儒者、儒生などと呼ぶ[注釈 1]。孟子は徳によって天下を治め(王道政治)、武力による覇道を批判し、禅譲と放伐により歴史が推移してきたとする徳治主義を主張した。時の為政者に法家、老荘思想や道教などが信仰されたこともあり、儒教は弾圧されることもあったが、前漢になると保護され、新・後漢で国教とされた。唐代には仏教が広く信仰され、再び影を潜めた。宋代には朱子学が起こり、より哲学的な宋明理学体系が生み出された。朱子学は政治と密接な関係を持ち、「修己治人」(有徳者が為政者となる)や「修身・斉家・治国・平天下」(自分・家・地方を治め得る人物が天下を握る)「経世済民」(世を治め人々を救う)といった教えがあり、科挙受験のために必要不可欠となった。

[匿名さん]

#232022/12/18 14:59
孔子廟
詳細は「孔子廟」および「日本の儒教#関連史蹟」を参照
中国では現在においても、孔子を崇敬する人は多い。中国の各地に孔子を祭る廟がある。これを文廟といい、孔子廟・孔廟・夫子廟ともいう(特に魯の故地の孔子の旧居跡に作られた孔廟が有名)。中国国内の孔子廟の多くは文化大革命時に破壊されたり損傷を受けている。

日本でも、江戸時代に、幕府が儒教(特に朱子学)を学問の中心と位置付けたため、儒教(朱子学)を講義した幕府や各藩の学校では孔子を祀る廟が建てられ崇敬された。湯島聖堂が、その代表である。

日本にある孔子廟

湯島聖堂の大成殿(孔子廟)(2010年2月3日撮影)

長崎孔子廟大成殿
日本にも、各地に孔子廟がある。多くは儒学の学校に付随して建てられる。

東京都には湯島聖堂があり、江戸時代(1690年)から設けられた。「昌平坂学問所」に付随して設置された。もともと朱子学の林羅山が上野忍が岡に先聖殿を築いたものを、江戸幕府が日本における儒教の学校として、湯島(御茶ノ水)に移築し、開き、林家の学問所としても発展した。

長崎にも「孔子廟」がある。江戸時代以降、外国貿易の地と定められ、唐人屋敷があった長崎に、明治26年(1893年)、清国政府と在日華人が協力して、中国の総本山並に伝統美あふれた「孔子廟」が作られた。この「孔子廟」には、孔子と72賢人石像や孔子の教えを始め、中国の文化・学術を伝える施設の「中国歴代博物館」も孔子廟の「大成殿」裏にあり、中国の貴重な資料とともに、一般に公開されている。

ほかには、足利学校(栃木県足利市)や閑谷学校(岡山県備前市)の聖廟、多久聖廟(佐賀県多久市)なども知られている。

また、沖縄県那覇市には至聖廟がある[注釈 1]。もともとあった廟[注釈 2]は1676年に創建されたものであったが、沖縄戦により灰燼に帰したため、1975年に再建された。2013年には、松山公園内(久米郵便局跡地)に建立された。市長が建立地である公園の土地使用料を無償としていたものの、これは孔子廟訴訟にて違憲と判断された。

長野県上伊那郡飯島町田切にある孔子廟は、青銅の孔子像と、当地の蚕糸組合「龍水社」を同志とともに設立した「山田織太郎翁」の石碑とともに設置されて祭られている。

[匿名さん]

#242022/12/18 15:02
朱子学(しゅしがく)とは、南宋の朱熹(1130年-1200年)によって構築された儒教の新しい学問体系。日本で使われる用語であり、中国では、朱熹がみずからの先駆者と位置づけた北宋の程頤と合わせて程朱学(程朱理学)・程朱学派と呼ばれる。また、聖人の道統の継承を標榜する学派であることから、道学とも呼ばれる。

北宋・南宋期の特徴的な学問は宋学と総称され、朱子学はその一つである[1]。また、陸王心学と同じく「理」に依拠して学説が作られていることから、これらを総称して宋明理学(理学)とも呼ぶ。

成立の背景
「宋明理学」および「道統」も参照
唐・宋の時代に入り、徐々に士大夫層が社会に進出した。彼らは科挙を通過するべく儒教経典の知識を身に着けた人々であり、特に宋に入ると学術尊重の気風が強まった[2]。そのような状況下で、仏教・道教への対抗、またはその受容、儒教の中の正統と異端の分別が盛んになり、士大夫の中から新たな思想・学問が生まれてきた。これが「宋学」であり、その中から朱子学が生まれた[3]。

[匿名さん]

#252022/12/18 15:11
種子が苦?

朱子学(しゅしがく)とは、南宋の朱熹(1130年-1200年)によって構築された儒教の新しい学問体系。日本で使われる用語であり、中国では、朱熹がみずからの先駆者と位置づけた北宋の程頤と合わせて程朱学(程朱理学)・程朱学派と呼ばれる。また、聖人の道統の継承を標榜する学派であることから、道学とも呼ばれる。

北宋・南宋期の特徴的な学問は宋学と総称され、朱子学はその一つである[1]。また、陸王心学と同じく「理」に依拠して学説が作られていることから、これらを総称して宋明理学(理学)とも呼ぶ。

成立の背景
「宋明理学」および「道統」も参照
唐・宋の時代に入り、徐々に士大夫層が社会に進出した。彼らは科挙を通過するべく儒教経典の知識を身に着けた人々であり、特に宋に入ると学術尊重の気風が強まった[2]。そのような状況下で、仏教・道教への対抗、またはその受容、儒教の中の正統と異端の分別が盛んになり、士大夫の中から新たな思想・学問が生まれてきた。これが「宋学」であり、その中から朱子学が生まれた[3]。

[どうがくん]

#262022/12/18 15:13
旺文社世界史事典 三訂版「道家」の解説
道家
どうか

人為を排して無為自然を説いた諸子百家 (しよしひやつか) の1つ
人為とはおもに儒家の説く仁・礼をさし,人為の外にある天の道(天命)に帰せと説く徹底した宿命論であり,社会改革をすてた保身の思想でもある。老子を祖とし,荘子・列子らがこれに属する。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

デジタル大辞泉「道家」の解説
どう‐か〔ダウ‐〕【道家】

1 中国、諸子百家の一。老子や荘子の説を奉じた学者の総称。万物生成の原理である道の思想を基礎に、無為自然による処世を説いた。
2 道教を奉ずる人。道士。

[匿名さん]

#272022/12/18 15:14
今いるっぽいのを相手にして欲しがるなー

内容
島田虔次は、朱子学の内容を大きく以下の五つに区分している[21]。

存在論 - 「理気」の説(理気二元論)
倫理学・人間学 - 「性即理」の説
方法論 - 「居敬・窮理」の説
古典注釈学・著述 - 『四書集注』『詩集伝』といった経書注釈、また歴史書『資治通鑑綱目』や『文公家礼』など。
具体的な政策論 - 科挙に対する意見、社倉法、勧農文など。

[匿名さん]

#282022/12/18 15:16
仏家(読み)ぶっけ
精選版 日本国語大辞典「仏家」の解説
ぶっ‐け【仏家】

〘名〙 仏語。
① 仏のすむ浄土。悟りの世界。〔観無量寿経〕
② 仏教徒。また、その集まり。仏教の教団。
※即身成仏義(823‐824頃)「則為レ生二在仏家一」
※観智院本三宝絵(984)下「女人を仏家にいるべしと申すすめて」
③ 僧のいる寺。仏道修行の道場。
※正法眼蔵(1231‐53)別輯「仏家に観世音菩薩あり、是をみぬ人は少く」
ぶっ‐か【仏家】
〘名〙 =ぶっけ(仏家)
※読本・雨月物語(1776)貧福論「かく果るを仏家(ブッカ)には前業をもて説しめし」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉「仏家」の解説
ぶっ‐け【仏家】

1 仏の住む浄土。悟りの世界。
2 仏教徒。
3 僧のいる寺。仏道修行の道場。
[類語](3)伽藍・寺・仏閣・寺院・梵刹・仏寺・仏刹・山門・古寺・古刹・巨刹・名刹
ぶっ‐か【仏家】
⇒ぶっけ(仏家)
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

[みたかし]

#292022/12/18 23:15
もののあわれ(もののあわれ、物の哀れ)は、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされている[1]。日本文化においての美意識、価値観に影響を与えた思想である。

「もののあはれ」の発見
「もののあはれ」は、江戸時代後期の国学者本居宣長が、著作『紫文要領』や『源氏物語玉の小櫛』などにおいて提唱し、その頂点が『源氏物語』であると規定した[2]。江戸時代には、幕府の保護、奨励した儒教思想に少なからず影響を受けた「勧善懲悪」の概念が浸透し、過去の平安時代の文学に対しても、その儒教的概念や政治理念を前提にして評価され、語られた時期があったが、この本居宣長の「もののあはれ」の発見はそういった介入を否定し、文学作品の芸術的自律性という新しい視点を生み出した[3]。

宣長は、それまで一般的な他の文学作品同様に『源氏物語』が時代時代の思想風土、政治風土に影響されて、その作品の内在的な美的要素からではなく、外在的な価値観や目的意識から読まれてきたことを排し、歌・物語をその内在的な価値で見ようとし[3]、「文芸の自律性」という契沖以来の新しい文芸観に基づいて、『源氏物語』における「もののあはれ」を論じた[3]。

宣長は『源氏物語』の本質を、「もののあはれをしる」という一語に集約し、個々の字句・表現を厳密に注釈しつつ、物語全体の美的価値を一つの概念に凝縮させ、「もののあはれをしる」ことは同時に人の心をしることであると説き、人間の心への深い洞察力を求めた[3]。それは広い意味で、人間と、人間の住むこの現世との関連の意味を問いかけ、「もののあはれをしる」心そのものに、宣長は美を見出した[3]。

[匿名さん]

#302022/12/18 23:15
解釈の一例
ドイツ初期ロマン派の基本的心的態度を、「無限なるものへのあこがれ」と特徴づけ、ニーチェやキルケゴール研究者として知られる和辻哲郎は、本居宣長の説いた「もののあはれ」論に触れて、「もののあはれをしる」という無常観的な哀愁の中には、「永遠の根源的な思慕」あるいは「絶対者への依属の感情」が本質的に含まれているとも解釈している[2][3]。

無常との関係
自然を愛し諸国放浪した歌人西行(1118~1190年)は、『旅宿月(旅路で野宿して見る月)』と題する歌において、「都にて 月をあはれと おもひしは 数よりほかの すさびなりけり」〈都にいた折に、月を“あはれ”と思っていたのは物の数ではない すさび(遊び,暇つぶし)であった〉と詠んだ。これは西行が、自身が都に住んでいた時に、月を見て、「あはれ」と思ったのは、すさび=暇つぶしでしかなかったと詠じ、旅路での情景への感動を詠んだ歌である[4]。また、「飽かずのみ 都にて見し 影よりも 旅こそ月は あはれなりけれ」〈飽きることなくいつも都で仰いでいた月よりも、 旅の空でながめる月影こそは、あわれ深く思われる〉という歌もある[4]。

月に「あはれ」を見た西行は、幽玄の境地を拓き、東洋的な「虚空」、無を表現していた[5]。西行と歌の贈答をし、歌物語をしていた明恵は、西行が物語った言として次のように述べている。

西行法師常に来りて言はく、我が歌を読むは遥かに尋常に異なり。花、ほととぎす、月、雪、すべて万物の興に向ひても、およそあらゆる相これ虚妄なること、眼に遮り、耳に満てり。また読み出すところの言句は皆これ真言にあらずや。花を読むとも実に花と思ふことなく、月を詠ずれども実に月とも思はず。ただこの如くして、縁に随ひ、興に随ひ、読みおくところなり。紅虹たなびけば虚空色どれるに似たり。白日かがやけば虚空明かなるに似たり。しかれども、虚空は本明らかなるものにあらず。また、色どれるにもあらず。我またこの虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どるといへども更に蹤跡なし。この歌即ち是れ如来の真の形体なり。
— 「明恵伝」[6]

[匿名さん]

#312022/12/18 23:17
絶対者(ぜったいしゃ、英語:Absolute、アブソリュート)とは、哲学用語の一つ。何者にも依存しないで自立的、自発的な存在を維持することが可能であり、制限や制約などといった事柄にも全く縛られないような究極的な者のことを言う。

古代より宇宙や善のイデアや神などが、人間を超越した絶対者とされてきた。

外部リンク
絶対者 とは - コトバンク
執筆の途中です この項目は、哲学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:哲学)。

[匿名さん]

#322022/12/18 23:18
世界大百科事典内の絶対者の言及
【神秘主義】より


【定義と特質】
 英語のmysticismなど〈神秘主義〉と訳される西欧近代語は,語源的には,〈(目あるいは口を)閉じる〉という意味のギリシア語myeinに由来するといわれる。それによってすでに通常の表現を許さない経験が示唆されているが,神秘主義とは,神,最高実在,宇宙の究極的根拠などと考えられる絶対者を,その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする立場をいい,さまざまなバリエーションをもって広く宗教史のうちにあらわれている。 神秘主義の根本特質は,術語的に〈神秘的合一(ウニオ・ミュスティカunio mystica)〉といわれる絶対者と自己との合一体験にある。…

【仏教】より
…真理が絶対で,ブッダを通じて開顕されるということは,真理がキリスト教などの〈神〉の地位に代わるものであることを示す。しかし,仲介者,教主としてのブッダはキリスト同様一人であるとしても,覚者たることが万人に開かれているのは,絶対者が非人格的な真理である点とともに,仏教の特色である。ここでいう釈迦が悟った真理を仏教ではダルマ(法)と呼び,仏の教えはその真理を内容とするので,同じくダルマ,あるいは法と呼ばれる。…

※「絶対者」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

[匿名さん]

#332022/12/18 23:19
絶対者(読み)ぜったいしゃ(英語表記)absolute 英語
日本大百科全書(ニッポニカ)「絶対者」の解説
絶対者
ぜったいしゃ
absolute 英語
absolu フランス語
Absolute ドイツ語

相対者の反対概念。それ自身において存立し、他の何ものによっても制約されず、限界づけられないものをいい、「無制約者」das Unbedingteともよばれる。シェリングにおいて、絶対者は精神と自然の両者の根底に存する無差別的な同一者として、有限な世界を限りなく超越したところに求められた。これに反し、ヘーゲルは、有限者に対立するものは絶対者ではなく、それ自身一種の有限者にすぎない、真の絶対者はあらゆる差別を含んだ同一者、有限者を含んだ無限者であると考える。彼において絶対者は、発展的に歴史的世界において自己を実現してゆくものであり、いわば精神として把握されていたのである。

[伊藤勝彦]

[参照項目] | シェリング | ヘーゲル
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典「絶対者」の解説
ぜったい‐しゃ【絶対者】

〘名〙 (the Absolute の訳語) 哲学で、あらゆる有限の差別・対立・制約を離れ、感性的現象の世界を越えてそれ自体で存在し、しかも、世界を根底において成り立たせているもの。絶対的なもの。たとえば、神・実体(スコラ哲学、ライプニッツ、スピノザなど)、あるいは絶対我(フィヒテ)、あるいは絶対精神(ヘーゲル)、あるいは意志(ショーペンハウアー)など。
※西洋哲学史要(1901)〈波多野精一〉近世哲学史「絶対者は自然及精神として発現す。従て哲学は自然哲学と精神哲学との二に分る」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

[匿名さん]

#342022/12/18 23:19
デジタル大辞泉「絶対者」の解説
ぜったい‐しゃ【絶対者】

哲学で、他の何ものにも依存せず、無制約的にそれ自身において存在する最高の超越的実在。絶対的なもの。無制約者。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

世界大百科事典 第2版「絶対者」の解説
ぜったいしゃ【絶対者 the Absolute】

他のものに依存せず,自立的・自発的で自在であり,条件や制約による制限を知らず,完全で究極的な存在をいう。古代以来のフュシス,コスモスとしての宇宙,善のイデア等の実体,一者(ト・ヘンto hen),中世以来の神などは,人間を超越する勝義の絶対者である。近世以降では,精神,理性,自我性,人間性,さらには人間に無条件の服従と承認を迫る理念,知・信念などが,人間界における絶対者として登場する。〈絶対absolutus〉とは元来〈解き離された〉を意味し,ここから独立的・自存的の意味となり,明治10年代以来〈絶待〉とも訳された。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

[匿名さん]

#352022/12/18 23:21
品川神社

品川神社御社殿
所在地 東京都品川区北品川三丁目7番15号[1]
位置 北緯35度37分6.5秒 東経139度44分22.7秒座標: 北緯35度37分6.5秒 東経139度44分22.7秒
主祭神 天比理乃咩命
素盞嗚尊
宇賀之売命[1]
社格等 元准勅祭社・旧郷社
創建 文治3年(1187年)[1]
本殿の様式 流造
札所等 東海七福神
例祭 6月7日に近い金曜日から日曜日
テンプレートを表示
品川神社(しながわじんじゃ)は、東京都品川区北品川三丁目にある神社。元准勅祭社として東京十社のひとつでもある。 また東海七福神の一社として、大黒天を祀る。

祭神
天比理乃咩命
素盞嗚尊
宇賀之売命

[匿名さん]

#362022/12/18 23:21
歴史
文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請して祀り、品川大明神と称したのに始まる。

鎌倉時代末期の元応元年(1319年)に北条高時の臣、二階堂道蘊が「宇賀之売命(稲荷神)」を、さらに室町時代中期の文明十年(1478年)に太田道灌が「素戔嗚尊(天王神)」をそれぞれ祀った。

慶長五年(1600年)、徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣の祭に品川神社を参拝して戦勝祈願し、その後、祈願成就の御礼として仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿)などを奉納し、天正19年(1591年)には徳川家康から5石の社領の朱印を受け、徳川家の尊崇する特別な神社として社紋も徳川家の家紋の「丸に三つ葉葵」と定め、「御修復所(神社の建物の再建・修復などは全て江戸幕府が賄う)」として徳川家の厚い庇護を受けた。 寛永14年(1637年)に三代将軍徳川家光が東海寺を建立した際には、境内の一部がその敷地となったため代替地を賜わり、神社の位置が東海寺の鬼門に当たることから、同社の鎮守とした。

1868年(明治元年)11月8日、明治天皇が品川神社を准勅祭社と定め、東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社の一つとした。

明治5年(1872年)、郷社に列した。また昭和50年(1975年)には、東京十社に列している。

境内
境内の施設
境内入り口にある双龍鳥居
境内入り口にある双龍鳥居


双龍鳥居の正面右側の「降り龍」の拡大
双龍鳥居の正面右側の「降り龍」の拡大


神楽殿
神楽殿


浅間神社(左側に品川富士)
浅間神社(左側に品川富士)


富士塚(品川富士)
富士塚(品川富士)

鳥居
境内入り口の階段前に、門柱に龍の細工が施された石鳥居「双龍鳥居」がある。左の柱に昇り龍、右の柱に降り龍が彫刻されている。双龍鳥居は杉並区の高円寺と馬橋稲荷神社にもあり、当社のものと合わせて「東京三鳥居」ともいわれている[2]。

境内社
浅間神社(傍には富士塚の「品川富士」がある)

[匿名さん]

#372022/12/18 23:22
補足・板垣退助墓所
従一位勲一等伯爵板垣退助之墓
社殿の裏に所在するが、品川東海寺の塔頭・高源院境内で、関東大震災後に同寺が世田谷区烏山に移転し墓だけが残された。その後の周辺土地の変遷により、接道の関係から品川神社を通らねば墓所へ入れない為、品川神社にあると誤解されているが、実際には異なるため神社に板垣墓所の事を尋ねると機嫌を損なうので注意が必要。

竹馬の友後藤象二郎の墓(青山霊園)の墓石と瓜二つである。表面に戒名、裏面に俗名というパターンも同じである。
退助の長男板垣鉾太郎、祖父の爵位を継いだ板垣守正の墓は同所にはなく、静岡・富士霊園にある[3]。
例大祭
6月7日に近い金曜日から日曜日に行われる。
主な文化財
東京都指定無形民俗文化財
品川神社の太太神楽[4]
奉納:年4回 「元旦祭・春祭・例大祭・新嘗祭」(昭和47年(1972年) より品川神社太太神楽保存会が奉納)
宮司・小泉家に相伝されてきた神楽で、社記によると元亀年間(1570年代)の発生とあり、神職が奉仕する神前舞であること、龍笛を用いること、品川拍子という拍子が独特であるとして、昭和38年(1963年)に東京都技芸文化財指定、昭和51年(1976年)に東京都指定無形民俗文化財となる。
品川区指定文化財
石造鳥居(双龍鳥居)・水盤(慶安元年[5])
石造灯籠
神輿(葵神輿)
品川神社文書
品川富士(都内最大の高さ約15mの富士塚)
板垣退助墓
品川拍子
品川天王祭が行われる北品川・南品川・東品川の限定された地域において、笛と大拍子によって神輿の運行を指揮する独特の拍子であり、神輿はこの拍子(曲目)に合った担ぎ方をしなければならない。品川神社では、締め太鼓を神輿に取り付け、笛と太鼓による品川拍子で氏子中を渡御するのが慣例になっており、現在の拍子は、明治時代に小関地区の島田長太郎が品川神社太太神楽の太鼓の拍子に、江戸の囃子の笛の拍子を採り入れたのが元になっていると言われる。

[匿名さん]

#382022/12/18 23:23
天比理刀咩命
神祇 天津神
全名 天比理刀咩命
別名 天比理乃咩命
別称 洲ノ神(すさきのかみ)
父 天背男命
配偶者 天太玉命
子 天櫛耳命(孫:天富命)、天宇受売命
神社 洲崎神社、洲宮神社等
関連氏族 忌部氏(斎部氏)
テンプレートを表示
天比理刀咩命、天比理乃咩命(あめ/あま の ひりとめ/ひりのめ の みこと)は、神道の女神。天太玉命の后神で、忌部氏(後に斎部氏)の祖神の一柱とされる。

表記
表記には、文献により以下のように異同がある。

天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)
『延喜式』神名帳による。
天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)
神名帳よりも古い成立の『続日本後紀』、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』による。
この相違が起こったのは、元来正史にある天比理刀咩命と記すべきものを神名帳が誤って「刀」を「乃」と記載したためだとする説がある[1]。

神階
「洲崎神社#神階」を参照。
祀る主な神社
洲崎神社(千葉県館山市)
洲宮神社(千葉県館山市)
安房神社(千葉県館山市)
品川神社(東京都品川区)
洲崎大神(神奈川県横浜市神奈川区)
脚注
[脚注の使い方]
^ 君塚 1984.
参考文献
君塚文雄 著「洲崎神社・洲宮神社」、谷川健一 編 『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』白水社、1984年。ISBN 4560025118。
“忌部氏考”. おとくにフォトカルチャーラボ. 2020年1月22日閲覧。
外部リンク
后神天比理乃咩命神社 - 國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」
関連項目
日本の神の一覧
フトダマ
忌部氏
表話編歴
日本神話
表話編歴
神道

[匿名さん]

#392022/12/18 23:25
布刀玉命

神祇 天津神
全名 天太玉命
別名 太玉命[1]、太玉者[1]、天太玉命[2]、太玉神[3]、布刀玉命[4]、忌部神[1]、天太玉神[5]、天櫛玉神[6]
神格 占い、神事
父 高皇産霊尊
配偶者 天比理刀咩命[7]
子 天宇受売命[8]、大宮売神、豊磐間戸命、櫛磐間戸命[9]、
神社 天太玉命神社、安房神社、大麻比古神社等
関連氏族 忌部首(斎部氏)、穴師神主、日置部氏、工首、白堤首、小山連
テンプレートを表示
フトダマは、日本神話に登場する神。『古事記』では布刀玉命、『日本書紀』では太玉命、『古語拾遺』では天太玉命(あめのふとだまのみこと)、『新撰姓氏録』では天櫛玉命(あめのくしたまのみこと)[10]の別名も存在する。忌部氏(後に斎部氏)の祖の一柱とされる。

神話などでの記述
出自は『記紀』には書かれていないが、『古語拾遺』などでは高皇産霊尊(たかみむすび)の子と記されている。

岩戸隠れの際、思兼神が考えた天照大神を岩戸から出すための策で良いかどうかを占うため、天児屋命とともに太占(ふとまに)を行った。 そして、八尺瓊勾玉や八咫鏡などを下げた天の香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を捧げ持ち、アマテラスが岩戸から顔をのぞかせると、アメノコヤネとともにその前に鏡を差し出した。

天孫降臨の際には、瓊瓊杵尊に従って天降るよう命じられ、五伴緒の一人として随伴した。『日本書紀』の一書では、アメノコヤネと共にアマテラスを祀る神殿(伊勢神宮)の守護神になるよう命じられたとも書かれている。

解説
岩戸隠れにおいて『記紀』では太玉命よりも天児屋命の方が重要な役割をしている。斎部氏の斎部広成が書いた『古語拾遺』では、逆にフトダマの方が中心的な役割を果たしている。

[匿名さん]

#402022/12/18 23:26
アマテラスが自分でちょっと開けたのを力でやったのがタヂカラオだっけ?

戸隠神社
中社大鳥居
中社大鳥居
所在地 長野県長野市戸隠3690
位置 北緯36度45分55.94秒 東経138度3分43.28秒座標: 北緯36度45分55.94秒 東経138度3分43.28秒
主祭神 天手力雄命
神体 戸隠山
社格等 旧国幣小社
創建 不詳(九頭龍社)
伝孝元天皇5年(奥社)
天暦3年(949年)(宝光社)
寛治元年(1087年)(中社)
承徳2年(1098年)(火之御子社)
別名 戸隠権現
戸隠三社
戸隠三所権現

戸隠神社(とがくしじんじゃ)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺に、以下に記す五社を配する神社。旧社格は国幣小社。

[匿名さん]

#412022/12/18 23:26
構成各社と祭神

各社の主祭神は、地主神である九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)以外は「天照大神(あまてらすおおみかみ)が、弟である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の度重なる非行を嘆いて天岩戸(あまのいわと)に隠れたため、この世に暗黒と悪神がはびこった」とされる神話にまつわる神であるが、それぞれがいつ頃から現在の祭神を祀るようになったかは必ずしも明らかでない。しかし他の多くの神仏習合の神社とは異なり、祭神は江戸時代以前から変わっていない。

宝光社(ほうこうしゃ):現在地への鎮座は康平元年(1058年)、天暦3年(949年)に阿智祝部一族の徳武氏[2]が奥社の相殿として創建されたものである。祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)で、中社の祭神である天八意思兼命の子。学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神とされる。麓から登ってきて最初にあり、うっそうとした杉木立の階段を上って参拝する。旧宝光院。

火之御子社(ひのみこしゃ、日之御子社とも書く):創建は承徳2年(1098年)。祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。他に高皇産霊命(たかみむすびのみこと)、その娘である栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)、栲幡千々姫命の夫である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀る。天鈿女命は天照大神が隠れた天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくったとされる女神。舞楽や芸能、また火防の神とされ、宝光社の上1.5kmほどの場所にある。なお、他の4社が神仏混淆であった時代も当社だけは一貫して神社であって、かつての顕光寺とは関係がない。

[匿名さん]

#422022/12/18 23:27
中社(ちゅうしゃ):「戸隠山顕光寺流記」によると、寛治元年(1087年)に当時の別当が、「当山は三院たるべし」という夢告を受け、奥院(現在の奥社)と宝光院(現在の宝光社)の中間に位置するこの地に中院(現在の中社)を創建したと記されている。現在の祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。知恵の神ともされる。境内周辺には樹齢約900年の三本杉があり天然記念物に指定されている。火之御子社の上1.5kmほど。旧中院。

九頭龍社(くずりゅうしゃ):祭神は九頭龍大神。奥社のすぐ下にあり境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。地主神として崇められている。戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、その「龍窟」にあたる。本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」となる。古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。氏子の人によると戸隠の九頭龍大神は梨が好物だそうである。

奥社(おくしゃ):祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。中社から車で2.5kmほど車道を登った後、まっすぐ続く約2kmの参道(車両進入禁止)を登りきった場所にある。途中に赤い「随神門(山門)」があり、その奥は17世紀に植えられたとされる杉並木になっている。神仏分離以前は随神門より奥の参道左右に子坊が立ち並んでいた。旧奥院。廃仏毀釈までは聖観音菩薩(現在は長野県千曲市の長泉寺本尊、仁王尊像は長野市の寛慶寺)を祀っていた。戸隠三十三窟「本窟」「宝窟」と言われる中心となる窟が奥社本殿内部にあるが、非公開なので内部に何があるのかは秘密とされている。

現在の奥社、中社、宝光社の3院は天台系であり、これと激しく抗争して約500年前に滅亡したとされる西光寺など真言系の寺院が存在していた事も知られている。

[密教顕教県密?]

#432022/12/19 14:53
黄泉(よみ、おみ)とは、日本神話や聖書における死者の世界のこと。古事記では黄泉國(よみのくに、よもつくに)と表記される。

語源
黄泉とは、大和言葉の「ヨミ」に、漢語の「黄泉」の字を充てたものである。漢語で「黄泉」は「地下の泉」を意味し、それが転じて地下の死者の世界の意味となった。

他には

「山」説。黄泉が「坂の上」にあり、原義は山であるとする[1]。

[匿名さん]

#442022/12/19 14:54
記紀の伝承
『古事記』

島根県松江市東出雲町の黄泉比良坂
黄泉国には出入口が存在し、黄泉比良坂(よもつひらさか)といい、葦原中国とつながっているとされる。イザナギは死んだ妻・イザナミを追ってこの道を通り、黄泉国に入ったという。古事記には後に「根の堅州国」(ねのかたすくに)というものが出てくるがこれと黄泉国との関係については明言がなく、根の国と黄泉国が同じものなのかどうかは説が分かれる。黄泉比良坂の「坂本」という表現があり、これは坂の下・坂の上り口を表しているという説と、「坂」の字は当て字であり「さか」は境界の意味であるという説とがある。また古事記では、黄泉比良坂は、出雲国に存在する伊賦夜坂(いぶやざか)がそれであるとしており、現実の土地に擬されている。

そこで変わり果てたイザナミの姿を目撃したイザナギが、黄泉の国から逃げ帰る場面が以下のように表現されている。

逃來猶追到黄泉比良坂之坂本時[2]
(訳)逃げ来るを、猶ほ追ひて、黄泉比良坂の坂本に至りし時  
口語訳では「(イザナギが)逃げるのを、(イザナミは)まだ追いかけて、(イザナギが)黄泉比良坂の坂本に着いたとき」となる。この時、追いすがる妻やその手下の黄泉の醜女(しこめ)達を退けるため、黄泉路をふさいだ大石を、道反の大神(ちがえしのおおかみ)といった。道反の大神は岐神として、日本各地に祀られている。

そしてさらにその場にあった桃の木から実をもぎ取ってを投げつけることで黄泉の醜女を追い払っており、このときの功績によって桃は意富加牟豆美命(おおかむつみのみこと)という神名を賜り、「これからも(今私にしてくれたように)困った人を助けておくれ」と命じられた。

イザナミは逃げ帰るイザナギに対し、「1日に1000人殺す」と脅した一方、イザナギは「1日に1500の産屋を建てる」(1500人新しく生まれさせる)と応酬した。これによりイザナミは黄泉津大神と呼ばれる。

[匿名さん]

#452022/12/19 14:54
『日本書紀』
根の堅洲國は日本書紀では根の国という。書紀においても、古事記と同様、黄泉国と根の国は別々の箇所に登場し、両者の関係は不明瞭である。

しかし古事記がイザナミの葬られた地を出雲とするのに対し、日本書紀は熊野の有馬村の花の窟であるという(このことから黄泉国も熊野にあるとする考えもある)。

『日本書紀』一書第六の注には「或所謂泉津平阪 不復別有處所 但臨死氣絕之際 是之謂歟」(ヨモツヒラサカという特定の土地があるわけではなくて、死の瞬間をいうのであろうか)とある。これは実際には泉津平阪という土地は存在しない、という意味であるが、あくまでも「〜なのであろうか」という疑問文になっており、古伝承ではなく書紀の編集者の注釈である。これも出雲の実在の地とする古事記とは異なっている。

『出雲国風土記』
『出雲国風土記』出雲郡条の宇賀郷の項には黄泉の坂・黄泉の穴と呼ばれる洞窟の記載があり、「人不得 不知深浅也 夢至此磯窟之辺者必死」と記載されている。

即(すなは)ち、北の海浜(うみべた)に磯(いそ)あり。脳(なづき)の磯と名づく。高さ一丈(つゑ)ばかりなり。上に松生(お)ひ、芸(しげ)りて磯に至る。里人の朝夕(あしたゆふべ)に往来(ゆきかよ)へるが如く、又、木の枝は人の攀(よ)ぢ引けるが如し。磯より西の方(かた)に窟戸(いはやど)あり。高さと広さと各(おのもおのも)六尺(さか)ばかりなり。窟(いはや)の内に穴あり。人、入(い)ることを得ず。深き浅きを知らざるなり。夢に此の磯の窟の辺(ほとり)に至れば必ず死ぬ。故(かれ)、俗人(くにひと)、古(いにしへ)より今に至るまで、黄泉(よみ)の坂・黄泉(よみ)の穴と号(なづ)く。
この洞窟は出雲市猪目町にある「猪目洞窟」に比定されるのが通説である。猪目洞窟は昭和23年(1948年)に発掘され、弥生時代から古墳時代にかけての人骨や副葬品が発見された。

[匿名さん]

#462022/12/19 14:55
漢語としての「黄泉」
古代の中国人は、地下に死者の世界があると考え、そこを黄泉と呼んだ。黄は五行説で「土」を表象しているので、もともとは地下を指したもので、死後の世界という意味ではなかったが、後に死後の世界という意味が加わった。現代中国語でも死後の世界の意味で日常的に用いられている。

[腐葉土水増し太郎]

#472022/12/19 14:57
『聖書』中の訳語としての「黄泉」
詳細は「地獄 (キリスト教)」を参照
『新約聖書』中のギリシャ語「ハデス」、『旧約聖書』中のヘブライ語「シェオル」(en:Sheol)を漢文訳の『聖書』では「黄泉」と訳しており、日本語訳聖書においては、口語訳聖書では「黄泉」、新共同訳聖書では「陰府(よみ)」、新改訳聖書では「ハデス」と訳されている。類語であるギリシャ語の「ゲヘンナ」は地獄と訳されることが多く、訳し分けがなされている。他方、日本正教会訳聖書では、ゲヘンナを地獄(ルビ:ゲエンナ)、ハデスを地獄(ルビ:ぢごく)と、ルビを使って訳し分けている。

キリスト教内でも地獄に対する捉え方が教派・神学傾向などによって異なる。地獄と訳されることの多いゲヘンナと、黄泉と訳されることの多いハデスの間には厳然とした区別があるとする見解と[3]、区別は見出すもののそれほど大きな違いとは捉えない見解[4]など、両概念について様々な捉え方がある。

厳然とした区別があるとする見解の一例に拠れば、ゲヘンナは最後の審判の後に神を信じない者が罰せられる場所、ハデスは死から最後の審判、復活までの期間だけ死者を受け入れる中立的な場所であるとする。この見解によれば、ハデスは時間的に限定されたものであり、この世の終わりにおける人々の復活の際にはハデスは終焉する。他方、別の捉え方もあり、ハデスは不信仰な者の魂だけが行く場所であり、正しい者の魂は「永遠の住まい」にあってキリストと一つにされるとする[3]。

上述した見解例ほどには大きな違いを見出さない見解からは、ゲエンナ(ゲヘンナ)、アド(ハデース)のいずれも、聖書中にある「外の幽暗」(マタイ22:13)、「火の炉」(マタイ13:50)といった名称の数々と同様に、罪から抜け出さずにこの世を去った霊魂にとって、罪に定められ神の怒りに服する場所である事を表示するものであるとされる[4]。

[匿名さん]

#482022/12/29 15:52
性悪説(せいあくせつ)とは、紀元前3世紀ごろの中国の思想家荀子が孟子の性善説に反対して唱えた人間の本性に対する主張。「人の性は悪なり、その善なるものは偽(ぎ)なり」(『荀子』性悪篇より)から来ている。

ここで言う悪とは、「(人間は様々な意味で)弱い存在」という程度の意味であり、「悪=罪(犯罪あるいは悪事)」という意味では無い(「弱い存在」である人間が犯罪や悪事に手を染めずに一生を終える、という事もありうる)。また、偽とは、「人の為す行い」という程度の意味であり、「偽=嘘あるいは偽物」という意味ではない(後述のように、後天的な努力や習得によって初めて獲得する性格のものと捉えている)。

いわゆる「厳罰主義」や「厳罰化」のバックボーンとして性悪説が指摘される事がしばしばあるが、本来の性悪説に厳罰は含まれておらず(むしろ後述するように教育に力点を置いている)、性悪説を解釈する側の二義的な問題である。また、「人間を信用する/しない」という問題も性悪説自体には含まれておらず、やはり解釈する側の二義的な問題である。

また、キリスト教における原罪とも根本的に異なる概念である。

荀子は、人間の本性はこのように欲望的存在にすぎないが、後天的努力(すなわち学問を修めること)により公共善を知り、(人間の本性は根本的に変えられないとしても)礼儀を正すことができるとして、(性善説同様に)教育の重要性を説いた。


関連項目
倫理学のトピック一覧
保守主義 - 欧州(とくにイギリス)における保守主義は性悪説同様に人間を弱い存在(あるいは不完全な存在)とみなす事が多い。
反米愛国路線
性善説 - 対義語
人性論
ダークトライアド

[匿名さん]

#492022/12/29 15:53
性善説(せいぜんせつ)とは、人間の本性は善であり、悪は物欲の心がこの性を覆われることで生ずる後天的なものであると主張する説。孟子が唱えた説。逆に人間の本性を悪とする荀子が唱えた性悪説がある。孟子以後は儒教の中心的思想となった[1][2]。

陽明学の説
[icon]
この節の加筆が望まれています。
脚注
[脚注の使い方]
^ 第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,精選版 日本国語大辞典,旺文社世界史事典 三訂版,デジタル大辞泉,世界大百科事典. “性善説とは” (日本語). コトバンク. 2022年6月2日閲覧。
^ “性善説(せいぜんせつ)の意味 - goo国語辞書” (日本語). goo辞書. 2022年6月2日閲覧。
参考文献
金谷治『孟子』岩波新書、1966、ISBN 9784004130451
関連項目
性悪説
性三品説
人性論
熊性善説 - C・W・ニコルが提唱した説。自然保護活動団体を通じ徐々に広められ、拡大解釈で必要以上に熊への警戒心を解いてしまう危険も存在している。
外部リンク
京都大学附属図書館所蔵(谷村文庫)『孟子集注』
『孟子集注』は朱子が『孟子』に注釈を施したもの。朱子学が歴代王朝のイデオロギーとして認められ、科挙において経書解釈の根底に据えられてことで、学派を超えて広く読まれるようになった。それは日本や朝鮮にまでもたらされ、影響を与えた。リンク先のものは、江戸時代初期に刊行されたもので、山崎闇斎 (嘉)校点。中央に「性善」ということばが見える。

中心でコレだけしかないけど、シンプルで分かりやすいと。

[匿名さん]

#502023/03/26 02:07
倭国(わこく)とは、古代の中国の諸王朝やその周辺諸国が、当時中国の南東にあった政治勢力、国家を指して用いた呼称。倭国および倭国王の勢力範囲に関しては諸説ある。隋書倭国伝や北史倭国伝では、その国境は東西に五カ月で南北に三カ月とされる。倭人は紀元前2世紀頃から『漢書』地理志などの史料に現れている。7世紀後半に倭国と呼ばれていたヤマト王権は対外的な国号を日本に改めたが『後漢書』以来の倭国との関連は定かでない。中国正史の旧唐書、新唐書の間でも記述に差異がある。

[匿名さん]


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