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2024/05/10 16:41
爆サイ.com 甲信越版

🍙 新潟市雑談





NO.8123180

大変だー!新潟市の白山神社に
#12020/01/22 07:39
え?
今の時期なら珍しくはないと思うが

[匿名さん]

#22020/01/22 07:48
白鳥の鳴き声がしない。かなり飛来数が少ないとか?
TVではいつもなら瓢湖の映像が流れるのに全くない。

[匿名さん]

#32020/01/22 07:49
変なヤツがいっぱい居るから悪戯されないようにカメラを付けたら良い。

[匿名さん]

#42020/01/22 07:59
鷺じゃないんかい?

[匿名さん]

#52020/01/22 08:34
アヒルの見間違いでは?

[匿名さん]

#62020/01/22 08:40
久しぶりに行ったら猿居なくなってた

[匿名さん]

#72020/01/22 09:23
昔、鹿もいたよね

[匿名さん]

#82020/01/22 09:33
昔、ゾウいたよ

[匿名さん]

#92020/01/22 09:44
おみくじー

[匿名さん]

#102020/01/22 14:38
>>8まじか!??

[匿名さん]

#112020/01/22 14:39
>>6まじでか!??

[匿名さん]

#122020/01/23 00:06
俺!白山神社の事、ずっとしらやまって読んでたよ!

[匿名さん]

#132020/01/23 00:45
でかいオウムもいた。

[匿名さん]

#142021/10/08 19:36
蛇松明神
金運上昇、商売繁昌の神さまとして多くの信仰を集める蛇松明神。蛇は霊力に富む巳の神さまとされており、巳成金(みなるかね)の信仰から、1月の初巳の日や、毎月の巳の日に訪れる方も大勢いらっしゃいます。この日、蛇松さまに、蛇のウロコに見立てた蛇の絵馬を捧げれば、願いが成就すると言い伝えられております。

詳細はこちら

2黄龍神社
黄色の昇り龍すなわち金龍ともされて、金運・開運はもとより、何事にも強い力を持つとされる黄龍神社。古来より、病気や災いは鬼門から入ってくると考えられてきましたが、黄龍さまは、信濃川中州の白山神社を聖地として、新潟の鬼門ひいては日本の鬼門を守る、開運厄除・受難除けの守護神です。龍が手に持っている宝珠にさわるとどんな願いもかない、欲しいと思っている財や宝を得ることができると言われております。

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3松尾神社
松尾神社の祭神・中津島姫命(なかつしまひめのかみ/市杵島姫命=弁財天)は、琵琶を持つ七福神の姿でも知られるように音楽・芸術・芸能の神さま。話す(弁)職業の方、芸事や創造的な仕事に関わる方々から、古くより広く厚い信仰を集めております。
米どころ酒どころ新潟の酒業繁栄や醸造安全を含め、弁財天のご利益はいろいろありますが、美人の女神さまゆえ、女性の悩みを解決に導き、美人力の向上にも効力があるとされております。

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4大黒さま
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)大黒さまは福の神。あきないに関する方々に福を授ける、商売繁盛の神さまとして厚く信仰されています。
霊峰白山の大汝峰頂上にも大黒さまが、縁深くおまつりされております。福袋と打出の小槌を持ち、米俵に乗る福福しい姿から、子宝、子授けの神さまともされます。

詳細はこちら

[匿名さん]

#152021/10/08 19:37
5住吉神社
享保6年(1721)の大洪水の後、阿賀野川の流れが変わった影響で新潟湊の水深が浅くなり、入港船舶が減少してしまいました。そこで、港勢回復、商売繁盛の切実な願いから、大阪住吉大社より住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)息長足姫(神功皇后)を勧請し、おまつりしております。湊町新潟の繁栄と安全を祈り、住吉祭は新潟祭として新潟をあげて行われます。

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6御稲御倉
昭和28年、第59回式年遷宮で伊勢神宮に建立され、昭和49年に白山神社にいただいた御稲御倉です。御稲御倉神をおまつりし、大切なお供えの稲を納める社殿。五穀豊穣、農事安全など農業に関わることや商売繁盛に、ご利益があるとされています。

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7道祖神
外から襲いかかる疫神悪霊を祓ってくださる道祖神。睦まじく餅をつく男神、女神が石に刻まれているところから、安産、子授け、子育て、縁結び、夫婦円満に霊験があると言われる神さまです。日本の最北端に置かれた道祖神と伝わっております。

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[匿名さん]

#162021/10/08 19:37
8白山くくり石
神々の住まう神聖な場所として崇敬され、富士山、立山とならび「日本三名山」に数えられている白山。開山1300年を記念し、白山神社総本宮である白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)かた特別にいただいた御神石です。

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イラネって言ったらなんかなるってこと?

[匿名さん]

#172021/10/08 19:38
9むすびの銀杏
白山神社の御神木である「むすびの銀杏」は子授けの木。よりそって立つ2本の銀杏は夫婦とされ、いつのころからか、木をなでると、よいご縁がいただけて子宝に恵まれ、安産で元気に育つと言われるようになりました。「子宝の銀杏」「子授けの銀杏」とも呼ばれております。

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10歯の神様・医療安全の神さま
歯苦散(はくさん)の字があてられるように、「歯痛平癒」「医療安全」にご利益がある白山さま。赤ちゃんのお宮まいり、お食い初めの儀で使う歯がための石を奉納するなど、子どもの歯の健康を願う方から、歯の悩みを持つ方々まで、広い世代から多くの信仰を集めております。

詳細はこちら

[匿名さん]

#182021/10/08 19:38
勧請ってそーゆーことじゃねーってのあるっしょ?!

[匿名さん]

#192021/10/08 19:41
あれ?あがっていかないね。

歴史上言ったら、だいたい地元で作ってるんじゃない?

[匿名さん]

#202021/10/08 19:44
あと、2ヶ月半で今年もおわり
来年も、白山神社で初詣だ

[匿名さん]

#212021/10/08 21:18
ここで結婚式あげて、その後離婚しました!泥沼でした!でも離婚できて良かった!

[匿名さん]

#222021/10/08 21:22
妙高市にも白山神社ある💨
偶然ですな。
規模は小さいけどね!

[匿名さん]

#232021/10/08 21:33
アネキ?

[匿名さん]

#242021/10/08 21:33
>>21
結婚できないと離婚できないからね。
お疲れ様。

[匿名さん]

#252021/10/08 21:36
馬鹿はシロサギを見ると白鳥と思う

[匿名さん]

#262021/10/08 22:28
誰だ!?神聖な場の池にアヒルを放したの!?

[匿名さん]

#272021/10/08 23:11
ゴ、ゴメンなさい。

[匿名さん]

#282021/10/08 23:16
僕はお祭りで買った亀を放しました、ゴメンナサイ

[匿名さん]

#292021/10/08 23:18
しんごーしんごー

[ドドスコ]

#302021/10/08 23:23
シロサギの方が珍しいかもね。
とりあえず、アレだね。続くね。

[匿名さん]

#312021/10/08 23:31
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なんで体がこんなに
女の子たちを相手にしてあげるのが管理人のメイン仕事?まさに夢の職場
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[匿名さん]

#322021/10/09 00:35
なっ!なんだってーー⁉️

[匿名さん]

#332021/11/06 19:23
古町神明宮は、天照大御神と豊受大神を主神として祀る神社で、天正19年(1591)4月28日、上杉家より米4斗7升2合、社地2000坪の寄進と共に、直江山城守兼続より真筆の「高天ヶ原」の額並びに黒印書を賜り、御師次太夫が古町神明宮の神職として任命されましたという由緒を持ちます。
また、古町神明宮に合祀されている船江神社は、御祭神は猿田彦大神と大彦命です。船江神社は、1700年以上の歴史があり、『延喜式』神名帳(延長5年927年)に式内社としても名を連ねています。
この二つの神社は、安政5年(1858)社殿を再築した際に合祀され、「船江大神宮」の社号を賜りました。
このような長い歴史の中で、今も尚新潟で最も古い神社として尊崇されております。

続きを見る
御祭神
古町神明宮
●天照大神(あまてらすおおかみ)
伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)が、黄泉(よみ)の国の穢を祓うための禊(みそぎ)で、お生みになった三貴子(天照大神・月読神つきよみのかみ・建速須佐之男神たけはやすさのをのかみ)のお一人で、伊邪那岐大神は天照大神に「汝が命は高天原を知らせ」といわれました。すべての命をはぐくむ「日の神様」です。

●豊受大神(とようけのおおかみ)
伊勢神宮(外宮)のご祭神である豊受大神も御祭神です。お米をはじめとして私共に欠くことのできない「衣・食・住の守護神」です。

[カルピスハイ]

#342021/11/06 19:24
船江神社
●猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
古事記によると「天の八衛(やちまた)に居て、上は高天原を光(てら)し、下は葦原中国を光す神」として登場しています。これは天孫降臨のときに、天孫の一行にその行く手を教え導いた功績を賞め称えたものです。これから大きな意味では「国の行く先を示す神様」、身近な意味では道の守り神として「悪いものを防ぎ、よき道(方向)への導きの神様(開運・交通安全)」です。猿田彦大神の信仰は道祖神(どうそしん)、塞の神(さいのかみ 幸の神)の名でも行われています。
当神社では、神社縁起から産土神として「港の守り神」「船(進水・航海)の守り神」「漁業の神」「水の神」「防火・消防の神」の御神徳をいただいております。

●大彦命(おおひこのみこと)
祟神天皇が地方征討のため、四道(北陸・東海・西道・丹波)に派遣された四道将軍(しどうしょうぐん)のお一人として北陸道を平定された神様です。「北陸地方全域の産土神」であり、「交通安全」「諸事解決・平定」の神様です。

[カルピスサワー]

#352021/11/06 19:24
八幡宮(はちまんぐう)
九州宇佐八幡宮が本宮で、応神天皇を御祭神としてお祀りしています。
八幡信仰のひとつの面から、源氏の氏神であります応神天皇の武神としての「弓矢の神」 「鍛冶神」の御神徳による「武芸上達」、刀鍛冶・刀剣研磨に携わる人をはじめとして製鉄業関係者の「鋼の守護神」として信仰されています。
八幡信仰のもうひとつの面では、応神天皇・神功皇后は共に、大陸交渉に伴って、大陸の文化を我が国に輸入し、日本の文化興隆をはかられた御神徳により「学業成就」・「合格祈願」を、また応神天皇は神功皇后の御子で、両神は母と子の関係であり、母が子を抱きかかえて大切にし、自分の御子神(応神天皇)を自分の替わりとして、この世に下されたことからの「母子神(ははこがみ)信仰」が起こり、「家内安全」「家庭円満」「家名隆昇」「子宝神」と崇められています。


白鳥神社(はくちょうじんじゃ)
白鳥神社は、白鳥神社建立奉賛会によって、平成25年12月に建立されました。
古町神明宮ではアルビレックス関係のスポーツチームの必勝祈願祭を創設から承っております。今ではサッカーのアルビレックス新潟を皮切りに9つのチームが新潟を拠点に活動しています。そこでサポーターをはじめ新潟に暮らす方々の願いを一つに集め、さらに大きな力にしようと、すべての「アルビレックス」の成功と躍進を祈願するお社として、建立されました。大彦命(おおひこのみこと)・雨手力男神(あめのたぢからおのかみ)を御祭神としてお祀りしています。

[アンバサワー]

#362021/11/06 19:25
扇垂木(おうぎたるき)
社殿の大きな特徴として垂木があります。拝殿(はいでん)中央から垂木が放射線状にのびており、大変珍しい建築様式となっております。


拝殿内扁額紹介
拝殿内に以下の扁額が飾られています。(※一部非公開)
船絵馬(ふなえま)
一般的に絵馬は、馬の絵や十二支が描かれていますが、この船絵馬は船の縮尺模型が板の上に作られたものや、板の上に直接絵の具で描かれたものなどがあります。当神社には湊町新潟の、また神社縁起にふさわしい船絵馬が大切に保管されています。


半裁奉納絵馬


船絵馬(宝重丸)


船絵馬(永重丸)

和歌扁額
天領初代新潟奉行 川村修就真筆の和歌が、弊殿に掛けてあります。
※川村修就(かわむらながかた):長岡藩の領地であった新潟港が収公され天領となり、その初代新潟奉行として任命される。天保14年(1843年)~嘉永5年(1852年)まで新潟奉行の役目を務めた。


風俗図
●菅野縉斎(すがのしんさい):仙台藩絵師。
狩野派の絵師に学んだのち御用絵師として活躍しただけでなく、自ら開いた画塾には数百人の門弟がいたとされ、その画塾から有名な弟子も輩出している。


雨龍飛来図
●牧野忠精(まきのただきよ):越後長岡藩の第9代藩主。
老中を務めた、寛政の遺老の一人。治水など藩の民政にも力をいれた。


騎馬図
●五十嵐元誠(いがらしげんせい):江戸時代中期の新潟の絵師。
父(五十嵐浚明)から画法を学び、山水画を得意とする。のち江戸に出て技を磨いた。


鶏図
●五十嵐浚明(いがらししゅんめい):江戸時代中期の新潟の絵師。
漢詩人江戸で狩野良信に画を学ぶ。同郷の竹内式部から儒学の教えを受け、広く文人と関わり、書にも優れていた。


境内地紹介
芭蕉の句碑
松尾芭蕉の「泊船集 付録」におさめられた名句「海に降る 雨や恋しき うき身宿」を、安政4年(1857)に地元の俳句会「柳々舎」から献碑されたものです。



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[匿名さん]

#372021/11/06 19:26
神前結婚式(本殿挙式・結婚奉告祭)
1700年以上の歴史を誇る古町神明宮の神前でお二人の永遠の愛を誓う厳かな結婚式が行えます。生演奏の笙が奏でる日本古来の厳粛な雰囲気は、お二人の契りを一層深めます。お二人だけで神様に結婚を報告するだけの結婚奉告祭もございます。お気軽にご相談ください。
また、神社社頭での神前結婚式のほか各結婚式場・セレモニー会場にての祭式も承っております。各結婚式場にお申し出になるか、直接古町神明宮までお問い合わせください。


本殿挙式概要
初穂料:100,000円
人数:ご両家合わせて30名様 お二人様から、少人数での挙式もご利用下さい。
時間:約50分

本殿挙式式次第
一、新郎新婦並びに参列者一同参進
一、修祓の儀
一、祝詞奏上の儀
一、三婚の儀(三々九度の盃)
一、誓詞奏上の儀(誓いの言葉)
一、指輪交換の儀
一、新郎新婦玉串奉奠の儀
一、親族代表玉串奉奠の儀
一、親族固めの盃の儀
一、新郎新婦並びに参列者一同退下

結婚奉告祭概要
初穂料:20,000円
人数:ご新郎ご新婦様、他の人数はご相談下さい。
時間:約25分

結婚奉告祭式次第
一、修祓の儀
一、祝詞奏上の儀
一、誓詞奏上の儀
一、玉串奉奠の儀
一、御神酒拝戴

※写真撮影、式後の会食・披露宴会場、交通手段について
写真撮影、式後の会食・披露宴会場について、当神社では用意がありませんが、ご紹介が可能です。必要な方はお気軽にお申し出下さい。また式後の会食・披露宴会場までの交通手段につきましては、タクシー会社などお手配が可能です。お申しつけください。
※お申し込みから当日まで

(1)お気軽に見学にいらしてください。
施設を確認してからお申し込みください。
(2)お申し込み
お電話・ファックス・お申し込みフォームから可能です。
こちらからご連絡し打ち合わせのお時間を確定させていただきます。
(3)お打ち合わせ
式の簡単な予行練習、最終確認をさせていただきます。
お手配済みの美容師・介添・カメラマンなどがいらっしゃるようでしたらあらかじめ各々施設確認をお願いしています。
(4)当日
晴れの日です。心穏やかにお越し下さい。一同でお待ち申し上げております。

[匿名さん]

#382021/11/07 17:10
白山権現(はくさんごんげん)は白山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神であり、十一面観音菩薩を本地仏とする。白山大権現、白山妙理権現とも呼ばれた。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、全国の白山権現社で祀られた。

概要
717年(養老元年)修験者泰澄が加賀国(当時は越前国)白山の主峰、御前峰(ごぜんがみね)に登って瞑想していた時に、緑碧池(翠ヶ池)から十一面観音の垂迹である九頭龍王(くずりゅうおう)が出現して、自らを伊弉冊尊の化身で白山明神・妙理大菩薩と名乗って顕現したのが起源で、併せて白山修験場開創の由来と伝わる[1][2][3][4]。

孤峰(別山)では聖観音菩薩の垂迹である宰官身[5]の大行事権現が伊弉冊尊の神務輔佐の行事貫主として、大汝峰(おおなんじみね)では翁姿の大己貴命(大汝権現)が伊弉冊尊の神務輔弼として泰澄に顕われた[1][2]と伝わり、泰澄に顕われた三神(白山妙理権現、大行事権現、大汝権現)を併せて白山三所権現と称する。さらには白山修験が隆盛すると、白山妙理権現の眷属として五王子権現も祀られた。

旧称 本地
三所権現 白山妙理権現 十一面観音菩薩
大行事権現(垂迹は菊理媛神[1]) 聖観音菩薩
大汝権現(大己貴命) 阿弥陀如来
五王子権現 太郎王子 不動明王[6]
次郎王子 虚空蔵菩薩[6]
三郎王子 地蔵菩薩[6]
四郎王子(毘沙門天) 文殊菩薩[6]
五郎王子 弥勒菩薩[6]
782年(延暦元年)日吉八王子山の麓に白山権現が顕われたと伝わり[7]、858年(天安2年)比叡山延暦寺にも勧請されて山王七社の客人宮で祀られた。

[匿名さん]

#392021/11/07 17:10
神仏習合と分離
白山頂上本社と白山寺白山本宮は本地と垂迹の関係で、神道としては白山権現は伊弉冊尊であり、両神が即ち白山比咩神(しらやまひめのかみ)であった[8]。しかし、1480年(文明12年)白山寺白山本宮が加賀一向一揆の攻撃で焼失して三ノ宮に移転して同座したが、吉田神道の『大日本国一宮記』に「白山比咩神社、下社(本宮)伊弉冊尊、上社(三ノ宮)菊理媛、号白山権現」と記されたため、この記載にある上社を移転先の三ノ宮ではなく白山頂上本社と誤認して、菊理媛神を白山比咩神や白山権現とする異説が流布し始めるに至った[8]。

明治維新による神仏分離・廃仏毀釈によって、修験道に基づく白山権現は廃された。三馬場のうち、加賀国の白山寺白山本宮は廃寺となり、白山比咩神社に強制的に改組された。越前国の霊応山平泉寺も同様に廃寺となり、平泉寺白山神社に強制的に改組された。美濃国の白山中宮長滝寺は廃寺は免れたものの、長滝白山神社と天台宗の長瀧寺に強制的に分離された。

全国の白山権現社の多くは、菊理媛神を祭神とする神道の白山神社となっている。

白山権現を祀る寺院
少数ではあるが、廃仏毀釈を免れて現在でも白山権現を祀る寺院が存在する。

自生山那谷寺(石川県小松市)
深雪山上醍醐寺(京都府京都市)
書写山円教寺(兵庫県姫路市)
金獅峰大乗寺(石川県金沢市)
曹洞宗大本山永平寺においても一年に一度雲水(修行僧)による白山登山が行われ白山頂上において法要が行われている。また登山とはいうが、登山口より頂上まで雲水スタイルで修行僧が走り抜ける姿は一般の登山客を驚かせている。

真言
本地仏である十一面観音菩薩の真言を唱えることもある。
オン マカ キャロニキャ ソワカ(Oṃ mahā kāruṇika svāhā)
邦訳すれば、「オーン、大悲なる御方よ スヴァーハー」という意味になる。

その他
浄瑠璃や文楽で誓いの言葉として使われる「愛宕白山」は、愛宕権現と白山権現を指す。

[匿名さん]

#402021/11/07 17:11
那谷寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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那谷寺
Natadera.jpg
本堂(拝殿)(重要文化財)
所在地 石川県小松市那谷町ユ122
位置 北緯36度18分48.27秒 東経136度25分13.41秒座標: 北緯36度18分48.27秒 東経136度25分13.41秒
山号 自生山
宗派 高野山真言宗
寺格 別格本山
本尊 千手観世音菩薩
創建年 (伝)養老元年(717年)
開基 (伝)泰澄
札所等 北陸三十三ヵ所観音霊場 第12番
北陸白寿観音霊場 第11番
文化財 本堂、書院及び庫裏、三重塔、護摩堂、鐘楼(重要文化財)
庫裡庭園(名勝)ほか
法人番号 9220005003653 ウィキデータを編集
那谷寺の位置(石川県内)那谷寺
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那谷寺(なたでら)は、石川県小松市にある仏教寺院。高野山真言宗別格本山。

本尊の千手観世音菩薩像は33年ごとに開扉される秘仏とされ、最近では2017年の開創一千三百年大祭に合わせて公開(4月9日~10月31日)された[1]。

[匿名さん]

#412021/11/07 17:12
歴史
寺伝によれば、養老元年(717年)泰澄法師が、越前国江沼郡に千手観音を安置したのが始まりとされる。その後寛和2年(986年)花山法皇が行幸の折り岩窟で輝く観音三十三身の姿を感じ、求むる観音霊場三十三カ所はすべてこの山に凝縮されるとし、西国三十三観音の一番「那智」と三十三番「谷汲」の山号から一字ずつを取り「自主山厳屋寺」から「那谷寺」へと改名[2][3]。

南北朝時代に戦乱に巻き込まれ荒廃した。近世に入って加賀藩藩主前田利常が再建。この時の大工は気多大社拝殿を建てたのと同じ山上善右衛門である。

前田利常は、江沼郡の大半を支藩の大聖寺藩に分置したが、この那谷寺がある那谷村付近は自身の隠居領としたため、その死後も加賀藩領となった。(後に領地交換で大聖寺藩領となる)

元禄2年(新暦1689年)奥の細道の松尾芭蕉は弟子の河合曾良と山中温泉で別れ、数日前滞在した小松へ戻る道中参詣し、奇岩霊石がそそりたつ遊仙境の岩肌を臨み句を詠んでいる。

石山の 石より白し 秋の風 芭蕉 (境内には句碑もある。)

遊仙境



松尾芭蕉の句碑

文化財
重要文化財(国指定)
本堂(大悲閣) 3棟[4] - 岩窟内に造られた本殿、その手前の唐門、拝殿の3棟からなる。慶長2年(1597年)建立。
書院及び庫裏 1棟[5] - 慶安2年(1649年)頃建立。
三重塔[6] - 寛永19年(1642年)建立。
護摩堂[7] - 慶安2年(1649年)建立。
鐘楼[8] - 慶安2年(1649年)建立。
名勝(国指定)
庫裡庭園(琉美園)[9]
おくのほそ道の風景地(那谷寺境内(奇石))
登録有形文化財(国登録)
普門閣[10] - 弘化4年(1847年)ごろ建てられた春木家住宅主屋を昭和40年(1965年)に移築し宝物館、休息所などで使用。

本堂(大悲閣)



三重塔

[匿名さん]

#422021/11/07 17:12
宗教カテに移動しろよ

[匿名さん]

#432021/11/07 17:13
上醍醐

山頂に並ぶ開山堂と如意輪堂
長らく西国三十三所第11番札所が存在し、西国一険しい札所として知られた。上り口にはかつて女人結界があったことから女人堂が置かれ、そこから険しい山間に入る。平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現拝殿、准胝堂跡、五大堂などが立ち並ぶ。上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ている他、醍醐山山頂(標高450m)には、如意輪堂と開山堂が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院がある。

女人堂(成身院) - 江戸時代初期の再建。上醍醐への入山料の支払所がある。これより19丁(2.6km)約1時間の軽登山となる。
花見御殿跡 - 槍山と呼ばれるこの場所でも「醍醐の花見」が行われた。
音羽魔王大権現社
摂受庵 - 客殿と寺務所。
清瀧宮本殿- 空海が唐・長安の青龍寺から勧請した密教の守護神を祀った醍醐寺の鎮守社。創建は寛治2年(1088年)12月。
拝殿(国宝) - 室町時代の永享6年(1434年)再建。懸造りとなっている。
横尾大明神
醍醐水 - 聖宝が感得し、醍醐寺の名前の由来となったといわれる霊泉。
准胝堂跡 - 貞観18年(876年)、聖宝によって如意輪堂と共に創建された。西国三十三所第11番札所。1968年(昭和43年)に再建された堂は落雷により2008年(平成20年)8月24日に焼失した。再建までの間は西国札所は下醍醐の観音堂(大講堂)に仮に移されており、納経も下醍醐だけで行っている。
柏木稲荷大明神
薬師堂(国宝) - 醍醐天皇の勅願により、聖宝が延喜13年(913年)に天皇の御願堂として創建する。現存の堂は保安2年(1121年)の再建。入母屋造、檜皮葺き。正面5間、側面4間。側面の柱間4間のうち、中央の2間が狭く、前寄りと後寄りの各1間が広いのは珍しい。内部には薬師三尊像(国宝)、閻魔天像、帝釈天像、千手観音像(以上は重要文化財)などを安置していたが、現在は全て下醍醐の霊宝館に移されている。
五大堂 - 聖宝が鎮護国家の祈願道場として延喜13年(913年)に創建。慶長11年(1606年)に豊臣秀頼によって再建された。現在の堂は1940年(昭和15年)の再建。

[匿名さん]

#442021/11/07 17:13
聖宝像
観賢像
役小角像
鐘楼
如意輪堂(重要文化財) - 貞観18年(876年)、聖宝によって准胝堂と共に創建された。慶長11年(1606年)に豊臣秀頼により再建。懸造りとなっている。
開山堂(重要文化財) - 延喜11年(911年)に醍醐寺初代座主観賢によって創建。当初は御影堂と呼ばれていたが後に焼失。鎌倉時代に再建されるが荒廃し、慶長11年(1606年)に豊臣秀頼により再建。内陣の厨子には理源大師(聖宝)坐像などが安置されている。
縁結白山大権現
地蔵堂
白河天皇皇后賢子上醍醐陵 - 宮内庁の管理下にある。
奥の院・洞窟 - 開山堂の奥にある一の鳥居から二の鳥居、三の鳥居を経て約30分、左へ少し行くと浅い洞窟の奥の院、右へ進むと「東の覗き」で下は断崖絶壁となっている。

[匿名さん]

#452021/11/07 17:14
なんだか、だんだんややこしいことになってきたな。

[匿名さん]

#462021/11/07 17:14
女人禁制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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社会における女性
Venus symbol
社会
歴史
科学・技術
芸術・芸能・文化
宗教
スポーツ
国別
表話編歴
女人禁制(にょにん きんせい[1][2][3][4][5][6]、にょにん きんぜい[1][7])とは、女性に対する社会慣習の一種で、日本で見られるものの総称である。

特に、聖域(社寺、霊場、祭場など)への女性の立ち入りを禁止する慣習についてみられる[3][4]。この意味で隔絶された区域(結界[* 1])を女人結界(にょにん けっかい)といい[8][9]、「女人禁制」と同義で用いられる[5][8]。

この本義の女人禁制とは異なる事由から生じた、単なる女性の立ち入りや参加、参入などを禁ずる社会慣習をも指す(歌舞伎などに見られる)。

反対に、「男性の立ち入りを禁じる」ことを男子禁制(だんしきんせい)と呼ぶ(例として、沖縄(琉球王国)の御嶽に祈りを捧げたり祭祀を行うのは、琉球古来より女性祭司「ノロ」の専業であり、基本的に男子禁制である)。

[匿名さん]

#472021/11/07 17:14
男子禁制
女人禁制とは反対に「男性の立ち入りを禁じる」ことを男子禁制(だんしきんせい)と呼ぶ。

信仰
宗教、信仰における事例として、沖縄の御嶽に祈りを捧げたり祭祀を行うのは、沖縄古来より女性祭司「ノロ」の専業であり、基本的に男子禁制である。

ただし、現代においては、祭司の礼拝中を除き、立ち入りまで禁じられてはいない場合も多いがそれも観光向けの措置である(斎場御嶽など)。祭司に管理されている御嶽の核心となる聖域は囲いにより立ち入り禁止、男子禁制である。

また、そもそも御嶽は、囲いがなくとも宗教上、男女問わずみだりに立ち入ってはならない。そもそも私有地である場合も多く、村落固有の聖地であるため、礼式を守れば基本的に公衆が立ち入れる日本本土の神社とは質的に異なる。

沖縄の一般家庭に多い「ヒヌカン」も、一般的には男性が拝むのは禁忌であり、男子禁制である。

このような男子禁制は、そもそも母系制社会では女性が祭祀を司り、また女王として君臨する場合もある(卑弥呼、おなり神、ヒメヒコ制など)事に由来すると言われる。

後宮
国王などの後宮、例として江戸幕府の大奥や琉球・首里城や今帰仁城の御内原(うーちばる)も男子禁制であった。

後宮への王族以外の男子禁制は世界的に広くみられる。中国の王朝では宦官が徹底され、後宮を含む宮中全般の事務、庶雑務、給仕から警備、諜報活動、王族の教育係、火砲の管理まで宦官がこなした。

[匿名さん]

#482021/11/07 17:15
ヒヌカンは、沖縄県や鹿児島県奄美群島で信仰される火の神(かまど神)。ウカマヌカミ、ウカマガナシー、ウミチムンなどの別称がある[1][2]。

「琉球における信仰#ヒヌカン信仰」も参照
概要
ヒヌカンは世帯のあらゆることを司る家庭の守護神として信仰され、古くはかまどの後ろに3個の石として祀られたが、現在は台所の一角に香炉、水、塩、生花を供えて祀るのが一般的である。

祭祀はもっぱらその家の主婦が行い、何か願いごとがあれば最初にヒヌカンを拝むほか、家族の誕生、入学、結婚、離婚、死亡などの重要事項もすべて報告し、旧暦各月の1日と15日には、定期的に飯、酒、花、水、線香を供える。

ヒヌカンは旧暦12月24日には昇天し、家族の良いことと悪いことすべてを天の神に報告し、また年明けの1月4日には家に戻ってくると信じられている。

また、分家する際は本家のヒヌカンの灰を分けて新たにヒヌカンを仕立てる。

[匿名さん]

#492021/11/07 17:16
中世における神仏習合
上記の仏教と神道、道教などの異なるタブー観が、中世に習合し、山岳の寺院、修験道などを中心として、鎌倉時代頃に今の女人禁制、女人結界のベースとなる観念が成立したものと考えられている。

また、唯識論で説かれた「女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉」(『華厳経』を出典とする俗説あり)[要出典]や『法華経』の「又女人身猶有五障」[10]を、その本来の意味や文脈から離れ、「女性は穢れているので成仏できない、救われない」という意味に曲げて解釈し、引用する仏教文献も鎌倉時代頃から増えてくる。(原典にそういう意味はない)

これらをもって、女人禁制は鎌倉仏教の女性観に基づくと説明されることがある。ただし、上記のように法然、道元、日蓮といった鎌倉時代の宗祖達は概ね女人禁制に批判的だった。

[匿名さん]


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