瀧口
福島県以外の人が知っていたら、かなりの野球通。
安積(あさか、福島)→早大(日米野球代表)
[匿名さん]
斎藤義典投手(前橋工業)
1995年センバツベスト8
1996年夏ベスト4
第78大会左投手No.1
「スポニチベストナイン」投手部門第一位
全日本高校選抜のエースとして世界大会優勝
ドラフト近鉄5位指名を拒否
[匿名さん]
河本和昭投手(広陵高→亜大)
“初めての1位指名拒否をした選手
[匿名さん]
諏訪部 貴大(中越 →Honda)
ドラフト会議では3位以内ならプロ入りする意思があったが、中日6位指名という低い順位だった。そのことに不満を感じ、指名直後にHonda残留を示唆
[匿名さん]
↑凄いピッチャーだったけど拒否後、調子が上がらなくなりましたよね…残念!
だけどこの考え方かっこいい!
[匿名さん]
小林秀一
熊本県天草郡大矢野町(現:上天草市)出身。小学生の頃から野球を始め、投手として活躍。1967年、八代第一高等学校(現:秀岳館高等学校)に進学。親元を離れ、寮生活をしながら野球に取り組んだ。1年時はオーバースローであったが後にアンダースローに転向する。1969年、3年生の時には夏の甲子園県予選を勝ち抜き、中九州大会に進出。準決勝で前年の大分県代表だった津久見高の2年生エース浜浦徹に投げ勝ち、決勝に進む。決勝で大分商に敗退し甲子園出場は実現しなかったが、地元マスコミから“八代第一に小林あり”と呼ばれるほどの活躍を見せた。
1970年、野球の才能を買われて愛知学院大学へ進学。
巨人の1位指名を拒否
1973年のプロ野球ドラフト会議で、読売ジャイアンツから1位指名を受ける。大学同期の迫丸も同じく4位で指名を受け後に入団。迷っていたところ、入団交渉のため名古屋のホテルで会った同郷の川上哲治監督と対面した際に「(入社が内定している)熊谷組は本業の仕事があり次に野球だが、うちは野球で君を欲しいと思っている」と言われたが、仕事として野球を選んだわけではないと考えていた小林はこの言葉で迷いが消え、断る決心がついたという。2017年現在、巨人から1位指名されて拒否したのは小林のみ。
拒否した背景として、当時はプロ野球経験者が引退後アマチュア指導者に転進する場合、柳川事件などの過去の経緯によるプロアマ規定によって制約が大きく、特に高校生以上の学生野球や社会人野球の指導者になるのが困難だった事も影響している。また50代半ばに受けたインタビューで、プロアマ規定が緩和された今巨人に1位指名されたらどうするかとの問いには「入団していたと思う」と答えている
[匿名さん]
豊見城南(沖縄)玉城投手
1991年 沖縄大会決勝2年連続出場を狙う沖縄水産との決勝で、敗退
○沖縄水産6−2豊見城南●
勝った沖縄水産は、甲子園で準優勝
沖縄水産は、大野倫投手(巨人➡ダイエー)で、豊見城南の玉城投手は、現在ホンダ熊本野球部監督
[匿名さん]
新田高校門田投手
2年時の2004年夏は、甲子園準優勝した済美に愛媛大会決勝で、破れたが、準決勝では、松山商業を完封
秋季大会決勝で、破れたが、四国大会優勝し、神宮大会出場
翌年選抜出場
[匿名さん]
第77回選抜高校野球大会の優勝投手
愛工大名電斉賀洋平
(新日本石油に就職)
[匿名さん]
第85回記念選抜高等学校野球大会で、2本塁打の山田誠也(敦賀気比)3本塁打の髙田涼太(浦和学院)
[匿名さん]
九州国際で全国制覇した森尾。
チームメイトの山之内も凄かったな。
[匿名さん]