曹洞宗はとにかく黙って座る宗派。
臨在宗は禅問答をする宗派。
どちらも哲学に近い事をやっている様子。
[匿名さん]
笑うのは誰か、何処が可笑しいのか。心は煩悩の火で燃えているのに、心は暗黒で覆われているのに、なぜ智慧の明かりをつけようとしないのか。 ダンマパダ
[匿名さん]
うちは曹洞宗
親戚は臨済宗
(社員)研修先が黄檗宗萬福寺
[匿名さん]
仏教では禅だけが残ることになる。
なんでか。
それは禅は方法であって内容がないからである。
その内容を埋めるものとは何か。
色即是空か。それとも無か。
その内容を対象化し、実体化するのが混迷となる。
それを除外すると何がのこるのか。
そこが問題であることになる。
[革命]
色即是空とは。
実体がないとか言う。
実体がないと言う対象とは何か。それは全てであることになっている。
そして全てが実体がないということとなると、そこに残るものは何か。
無であるのか。それを神というかも。
だから神は実体がないことになる。
以上は対象論であることになる。
ここからの脱却が宗教であることになる。それは成功するのか。
[革命]
禅には内容がない。ないないずくしである。
そこをどう説明するのか。
だから教外別伝とか言うことになる。
どうするのか。
以心伝心とか直指人心とか言う。
その心とは何か。
それはこころざし、志向であることになる。
それは何か。
それは無の立場に立つことである。
それは宇宙の外に出ることである。これは対象論であるが。宇宙の外には何があるのか。そこに神があることになる。そこに仏の自覚があることになる。
そこでは宇宙が捨象されることになる。それが無の自覚であることになる。
その無はどのように活動することになるのか。これが無の実体化であることになる。
[革命]
鈴木大拙の公案。
神が宇宙を創世したときに誰がそれを見ていたのか。
鈴木大拙の答え。それは私である。
宗教オタクの革命さんの答え。宇宙を創世したのは私である。
詭弁の天才と言われるかも。
これが無の実体化である。
各人の反論はいかに。
[革命]