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2024/04/23 19:39
爆サイ.com 関西版

神道・仏教





NO.5522203

結局「空海」は悪魔崇拝者だったんですよね?
#2722017/06/03 22:13
>>268
何もかも面倒くさい、考えたくないお前は生きる屍だろ
ボーっとして、無駄に長生きしてろカス

[匿名さん]

#2732017/06/03 23:47
>>272
誰が何もかも面倒くさいと言った?

考えたくないと言った?

残念ながら意識のズレたお前よりはマトモな生き方をしているぞ〜

お前は思い込みだけで生きているから何もかもがズレてるんだよ

しかし精神意識がズレたカスにカスと言われてしまったのが残念だ〜😵💧

[匿名さん]

#2742017/06/04 00:07
>>273
知らぬ相手に、この世から去れって言う神経が異常だと判らない?
お前は宗教スレなんかに来る資格自体が無いんだよ
他のおバカなスレで遊んでろよバーカ

[匿名さん]

#2752017/06/04 12:27
>>264

ありがとうございます。
仏教の顕教の教えが道徳的で素晴らしいのは知っております。
私もお釈迦様が生きていた時代の仏教は問題なく良かったと思いますよ。
しかし、問題は後世ですよ。

大日とか空海は本当に善人だと思いますか?
私は違うとみています。

[匿名さん]

#2762017/06/04 12:31
ちなみにですが、キリスト教だとわかりやすいんですが、キリスト教とカトリックは全く別物なんです。皆同じキリスト教だと思ってるみたいなんですけどね。
カトリックはれっきとした悪魔教です。キリストの死後、ローマ帝国が国境にしたキリスト教はキリストの教えとは異なる偽物でした。

こういったことが仏教でも行われている可能性は高いと思います。

[匿名さん]

#2772017/06/04 14:06
>>276

悪魔崇拝を日本で現実にやれば すぐニュースになりますよ。

理趣経が怪しいから?
灌頂の儀式が怪しいから?

そういう事を言ってるんですか?

訳の分からない、他を誹謗するブログの99%は間違いですよ。

[匿名さん]

#2782017/06/04 16:06
>>276
まるで空海が編纂した真言宗が仏陀の教えと文面の書き方が違っていたから全否定みたいに聞こえるんですが、それは乱暴な理屈じゃないでしょうか?

大体、あなたが言う悪魔崇拝の理論を適用すれば、今伝わっているキリスト教もユダヤ教もイスラム教も、仏教もゾロアスター教も道教も神道も、すべて悪魔崇拝ですよ。
むしろ悪魔崇拝でない宗教が一つも残りません。

それと、あなたは空海を槍玉に挙げていますが、特に日本の仏教にあなたが言う悪魔崇拝という考え方を適用するならば、肝心のイエス・キリストも仏陀も、モーゼもムハンマドの各宗教の開祖本人達も悪魔崇拝の開祖ということになります。

理由はごく単純なんですよ。
だって、仏教の原典なんてものがあったとして、それを書き写す際に時代が違えばどうしても意訳的なところが出てきますし、特に空海が読んだ経典はヒンズー語からチベット語に翻訳されたもので、既に違っていた可能性があるわけです。
それに「これが原典だ」と言われて、当時それを証明する術というのはなかったんですから、空海としては信じるしかありません。

それを時間をかけて写して、日本に持ち帰って日本語に翻訳し、日本人に伝えようとも、日本語の平仮名から確立していなかった時代、正確に翻訳しようと思うと、相当に苦心したんじゃないでしょうか。
それを意図的に改竄するなんて、いかに天才と呼ばれていたところで、出来るものではないと私は思いますよ。

[へたれP◆OTFkY2E3]

#2792017/06/04 22:49
>>277

>>理趣経が怪しいから?
灌頂の儀式が怪しいから?

そういう事を言ってるんですか?

もちろん、そういう立川流やチベット仏教に悪いうわさがあるのは知っています。
でも、それだけじゃないです。
実は、私の親族にとある宗教に入っておる人間がおりまして、その団体は「仏教」を自称しています。かなり信仰心がある人です。

でも、私は日本の新興宗教は「仏教」とは関係がない悪魔団体であると思ってるので脱会を進めています。私は無宗教です。
まあ、そういうことがあり、今仏教について調べている最中なんです。

わけのわからないことはないと思います。だって理趣経って実際問題証拠になるでしょう?
ほかにも、証拠が見つかり次第書き込むつもりです。
もちろん、反論は大歓迎です。

[匿名さん]

#2802017/06/04 22:56
>>277
ちなみにあなたはどこかの宗教団体の方でしょうか?

[匿名さん]

#2812017/06/04 23:06
>>278

いえいえ、それは誤解ですよ。w
文面の書き方とかそんなことで判断はしませんよ。

私が、調べてるのは、法華経や大日経に書かれてあることの意味とかです。あとは空海が何を信仰してたとかですね。そこから読み解くほかないでしょう?

また何かわかったら書き込みますね。

[匿名さん]

#2822017/06/05 01:02
>>281

>>だって、仏教の原典なんてものがあったとして、それを書き写す際に時代が違えばどうしても意訳的なところが出てきますし、特に空海が読んだ経典はヒンズー語からチベット語に翻訳されたもので、既に違っていた可能性があるわけです。
それに「これが原典だ」と言われて、当時それを証明する術というのはなかったんですから、空海としては信じるしかありません

そう考えれば釈迦の存在自体怪しくなりますね。w

だって釈迦って紀元前5世紀の人でしょう?なぜ経典が作成され始めたのが500年もあとなのかと思いませんか?でも、釈迦自体いなかったと考え出すと頭がおかしくなるのでやめときますけどねw
それ以外にも仏教は宗派がおおすぎて、しかもそれぞれ本尊が違うんですよね?真言宗の場合、大日如来がトップにいて、その他の仏は大日如来の化身であるというのも不思議です。とにかく複雑でわざと素人にわかりにくくする点が特徴です。

最後にこれは、言いにくいことなんですが空海には「水銀中毒者」かつ「同性愛者」であったという噂があります。これについてはどう思われますか?

[匿名さん]

#2832017/06/05 05:36
>>156

では貴方は156の湯川秀樹博士の見解より
訳の分からない個人ブログを信じると?

野球で言えば貴方はボールを打ったら三塁に走るんですか?

と質問して来るので困ってるんですよ。

理趣経を説明するのに相当な時間を費やします

また それを書いた所で貴方が納得するとは思えないですしね。

[匿名さん]

#2842017/06/05 13:17
>>282
>大日如来の化身

参考になったと思しきインド神話の神々が元々そういうものだからです。
シヴァとかインドラとか、化身が無数にいるんですよ。
ならそれが元になった大日如来にも、化身が多くいるのは当然というわけです。
我々現代の日本人には理解しにくいのかもしれませんが、チベットやインドの民衆には、むしろこの方が理解しやすかったんじゃないかと考えられます。
この辺は地域と時代の価値観の違いですね。

>空海が水銀中毒者で同性愛者

つまり、あなたは差別主義者ということでしょうか?
水銀中毒患者も同性愛者も、現代でも差別対象として不適切と言われています。
同性愛者は最近何かと話題に上るようになりましたし、水銀中毒患者は、結構最近まで大量に存在したと言われているんです。
それと、書の達人と言われた空海が水銀中毒って、自分であり得ないことを言っていることに気付かないんでしょうか?

>>281
何をもって善人とするか、悪人とするかについて、結局は悪魔の証明から始める話になってしまうんですよね。
空海自身がどう考えていたのかというのが最も重要なわけですが、本当に悪人なら馬鹿正直に後世に「自分は悪人です」なんて書くわけがありません。
歴史書を改竄して自分を聖人に仕立てようとした中国の皇帝の話もありますしね。
なので、善悪で当時の人間を判断するのは、私はナンセンスだと思っています。

それに、善悪の価値観なんて時代や権力者の都合で簡単に引っ繰り返りますから。
今の価値観が絶対ではない以上、今の価値観で古い人間の善悪を判断することに意味があるとは、私には思えないんですよ。
今から考えれば悪魔の所業でも、当時の人々が生き抜くには必要だった、なんてことも世界には山ほどあります。

[へたれP◆OTFkY2E3]

#2852017/06/05 14:55
理趣経

かの毘廬遮那(びるしゃな)に われ帰依す。
ほとけの道にけがれなし。

生まれ生まれて われ会うは、まれなる かの教え。

世々に唱えて忘れまじ。
大師の光 いや増さん。

本尊、諸仏 みなそわす。
先亡の霊も 覚りあり。

経題

その名正しく 唱うれば、
「大楽、金剛、不空にして ほとけの境地をしめす経」
また別の名を言うときは 、
「真実・智慧の極意の経」
大興善寺の翻訳僧、大広智・不空しるしたり。

序章

かくのごとくに われ聞けり。
あるとき世尊は、一切の、
ほとけの持てる 金剛の
不壊なる境地に 到(つ)きたまう。
かくて世尊は、
世のすべて
ほとけの持てる最上の
智慧と心を持ちたもう。
ほとけのすべての行いは、
等しき愛に基づいて
種々さまざまにひろがりぬ。
かくて世尊は、あますなく、
すべての人の 世における、
あまたの願いを 満ちたらし、
三世すべての 時にあり、
身口意 すべての行いに、
止まりたまう かたもなし。
世尊の御名は この故に、
「あまねく すべてを 照らすもの」=
「大日如来」と呼びまつる
このみほとけの あるところ、このみほとけの あるところ、
すべてのものを救う天=
他化自在と 呼びまつる。
ほとけは常に 行き交いて、
いみじき美をば 誉めたもう
宝石づくりの 宮居なり。
宝くさぐさ 入り混じり、
鈴や 大鈴 絹のはた、
そよ吹く風に 揺れ動き、

宝珠の花輪 飾りなど、
半月 満月の 形もて、
所狭しと 飾られぬ。
この美しき 宮殿に、
われらの師なる みほとけは、
八十億の 菩薩具し、
いとも静かに 座したもう。
中にも 菩薩のしるしたる、
金剛手をはじめとし、
観自在に 虚空蔵
金剛拳に 文殊師利。
サイ発心転法輪。

[匿名さん]

#2862017/06/05 14:59
虚空庫に サイ一切魔。
これら八大菩薩は、
等しく 一座の要なり。
われらの師なる みほとけは、
これら菩薩に囲まれて、
静かに 法を説き給う。
そのみ教えは 始め善く、
中善く 終わり善く、
ふん義 すこぶる巧みにて、
誤りなくして 清らなり。
理趣経:第一章

欲みな なべて清らなり。
〈大楽の教え〉

そのみ教えは、「ものみななべて清ら」という。

1、(男女の道にも喩えるべき)
  妙適(たえ)にも 良ろしき 心地こそ、
  清き菩薩の 境地なり。
2、(止まらぬこと)矢のごとき、
  欲の働く心地こそ、
  清き菩薩の 境地なり。
3、(男女互いの)触れ合いも、
  清き菩薩の 境地なり。
4、(男女互いに抱きあい)  離さず 縛がん その心、
  清き菩薩の 境地なり。
5、(男女抱きて満足し)
  すべてに自由、  すべてに主、  天にも登らん その心地、
  これまた菩薩の 境地なり。
6、(欲心もって異性を)見、
  これまた清き 菩薩の境地なり。
7、(男女互いに交わりて)
  適悦(よろしき)心地味わうも、
  清き菩薩の 境地なり。
8、(男女の)愛も それもまた、
  清き菩薩の 境地なり。9、(人の心に浮かびくる)
  自慢の心 それもまた、
  清き菩薩の 境地なり。
10、ものを飾りて喜ぶも、
   清き菩薩の 境地なり。
11、(世のすべてに満ち足りて)
   こころ喜ぶ そのことも、
   清き菩薩の 境地なり。
12、(世のすべてに満ち足りて)
   光り輝く その心、
   清き菩薩の 境地なり。
13、身体の楽も 異ならず、
   清き菩薩の 境地なり。
14、(目の当たりなる)ものの色
   それも菩薩の 境地なり 。

[匿名さん]

#2872017/06/05 15:03
15、(われらの日夜 耳にする)
   音も菩薩の 境地なり。
16、この世の香り、それもまた、
   清き菩薩の 境地なり。
17、(われらすべての口にする)
   味も菩薩の 境地なり。
われら今なお ここに問う。
欲、何ゆえに 清らなる。
ほとけわれらに 宣りたまう。
人の懐(いだ)ける 欲もまた、
世にあるすべてのものは皆、
その本性(もと)なべて清らなり。
かくて人々 聞けよかし、
智慧の眼を見開きて、
世にあるすべてを 眺むれば、
智慧の境地に至りつき、
われ、ひと、共に清まらん。
金剛手菩薩、聞けよかし、
すべてのものの 清らなる、
般若の教え 耳にせば、
障りすべては 消え去りて、
光の道場(にわ)に 入りぬらん。
障りすべては 何々ぞ。
(貪り・怒り・さまざまの)
煩悩(なやみ)もたらすその障り、法を耳にせぬ 障り、
悪業 止めえぬ 障り、
これらの 障り 重ぬとも、
ひとたび清き 道を得ば、
地獄に 落ちることも 無く、
罪に 陥ることも 無し。
(ただ聞くだけに止まらず)
良く身に保ち 日々唱え、
さらに心に 思惟(おも)いなば、
父母(ぶも)の生み出す この身もて、
ものの本性(もと)なる 平等(ひとしさ)と、
変わることなき 金剛の、
安けき 心地に 入りぬらん。
入りなん後の そのときは、
(何に縛られることも無く)
自由となりて 測りなき、
快楽(けらく)歓喜(かんぎ)に 満ちぬらん。
十六人の大菩薩、
それぞれ示す 十六・生(しょう)、
その道すべてを 進み行き、
それらすべての 果てにある、
金剛不壊なる 大日の、

[匿名さん]

#2882017/06/05 15:11
遍照の境地に入りぬらん。
ここに世尊なる金剛手、
一切諸仏の覚りたる、
マンダラ中に 住みたもう、
持金剛者の最勝なり。
この世の悪を 調伏(うちなび)け、
余すかたなく 一切(すべて)の 善きこと、
なべて成したまう。
この金剛手大菩薩、
「欲のすべて 清らなり」この教えをば 示めさんと、
お顔和らげ 微笑みて、
「金剛印」の印結び、
右手(めて)に 五鈷杵を動かして、
進む勢い示したり。
大(だい)なる 楽は 金剛の
不壊(ふえ)なる上に 空ならず、
この境地をば 示さんと、
聖音「フーン」と唱えたり。
理趣経:百字の偈

菩薩は すぐれし 智慧を持ち
なべて 生死の 尽きるまで
恒(つね)に 衆生の 利をはかり、
たえて 涅槃に おもむかず。
世にあるもの(方便)も その性(般若)も
智慧の 及ばぬ ものは無し。
ものの姿(有)も そのもの(法)も、
一切のものは みな清浄(きよし)。
欲が世間をととのえて、
とくとく成就せしめんと、
共に讃えて 呼びなせり。
(金剛手菩薩の讃にいう)
「よきかな 善きかな 大なるひと、
 よきかな 善きかな 大なる楽、
 よきかな 善きかな こよなき法、
 よきかな 善きかな 大なる智慧」
善くこの教え 説くときは、
経に 金剛の力あり。
この善き教えを 身にもてば
一切の魔障(さわり)せまりえず。
ほとけ・ぼさつの位を得、
成就うること かたからず。
すべてのほとけ また菩薩、
共に教えを 説き終わり、
聞くもの なべて 救わんと、
こころ喜ばぬ ものは 無し。

[匿名さん]

#2892017/06/05 15:37
今日は偶然にも仕事が早く終わったので理趣経の訳を載せました。

般若心経の説明でも書きましたが この世は空(くう)で有り一切が平等で根源は同じです。

密教では宇宙の全てを
大日如来としますので(この世は幻です、般若心経で前回説明しました)

生きとし生ける物 全てが大日如来の現れとみます。
草や木や水や全てです。

それで修行者は小乗仏教ならアラカン
大乗仏教なら菩薩を目指します

仏教の両輪 智慧と慈悲の完成です。

修行が進んで来ますと智慧が付きます

修行してイケイケドンドンで智慧が付いて
悟りをひらくと自分が宇宙と同じと気付きます。

(禅の悟りで説明しましたね)

しかし菩薩は智慧と慈悲の完成です。

人々を救って修行の意味(菩薩)が有ります。

智慧だけ付くと

現世に生きる人々が愚かに見えてしまいかねません。

ホームレスも犯罪者も ある縁でそうなりましたが
元々は同じ根源です。

だから理趣経は衆生を差別なく救う菩薩の為の

経典なのです。

智慧がつくほどに因果応報が分かります。

結局 自業自得なのですが 突き放しては救えませんから菩薩向けの高度な経典になってます。

一部 私見が入ってるかもしれません。

仏様 申し訳ありませんm(__)m

[匿名さん]

#2902017/06/05 23:36
>>289

真言密教の本質を一言で表してもらえますか?
例えば、キリスト教であれば「愛と平和」って感じで。

仏教ははっきり言って、頭に入ってこないです。説教されてるようで不快な感じもします。
まあ、日本的ではありますけどね。

ただ、私にはキリスト教のほうが分かりやすいです。

[匿名さん]

#2912017/06/06 00:53
>>289

>>仏教の両輪 智慧と慈悲の完成です

なるほど、知恵と慈悲ですか。これは分かりやすいですね、もっと早くこれを書いてくれればいいのにw

ところで、人間(自分)=宇宙=大日如来 とのことですが、大日如来の前には生き物はすべてが平等(同じ)って意味ですよね?大日如来ってどんな神様なんですか?そこを知りたいです。

あと、大日如来の経典も良かったら出してもらえませんか?

私が聞いた話では、法華経は「悪魔に許しを請うもの」と聞いております。これは違いますか?

[0]

#2922017/06/06 01:15
>>自分が宇宙と同じと気付きます

これの意味が分かりません
宇宙ってスケールでかすぎませんか?

[匿名さん]

#2932017/06/06 01:26
>>289

>>理趣経は衆生を差別なく救う菩薩の為の

経典なのです。

これはあなたの見解ではなく本当のことなんですね?
なぜ菩薩の救いが「性的なことを推奨すること」につながるんですか?

ホームレスだろうが犯罪者であろうが、平等に性的なことはやってよろしいって意味ですか?

どう差別なく救うのか意味が分からないです

[匿名さん]

#2942017/06/06 02:57
>>291

仏様は三身と言いまして

法身 報身 応身と三つに分けられます。

大日如来様は法身になります。
法身は姿 形が見えなくて法そのもの(宇宙そのもの)です。

なので衆生を救う時は
不動明王などに化身します。
密教の高僧は不動明王が見えて話を聞く事が出来ます。

報身は阿弥陀如来様や薬師如来様や観音菩薩様や地蔵菩薩様など 多くおられます。
この仏様も修行を積んだ高僧は把握出来ます。

応身は お釈迦様になります。
密教的には元々 仏様が法を説くために肉体を選んで生まれたと解釈します。

だから大日如来様は宇宙そのもので貴方も大日如来の一部です。

人は仏性(大日如来)と言って心の奥の奥の真ん中に仏性が有り
その回りを煩悩が覆い被さって心が出来ています。

我々の宗派は理趣経と観音経、般若心経と短めの御経と真言がメインです。
高野山真言宗系なので
他の宗派も大体同じと思います。

<私が聞いた話では、法華経は「悪魔に許しを請うもの」と聞いております。これは違いますか?>

全く違います。
マイナス100点の解釈です
あきれてものも言えません!
法華経も一切が平等で全ての人を救おうという
菩薩の経典です。

そういうソースからは離れるべきと思います。

[匿名さん]

#2952017/06/06 03:04
>>292

悟ると宇宙と一体になるようです。

高僧の話や高名な医者
登山中に体験した方もおられます。

7000000000人いますので10人位いても おかしくないと思います。

[匿名さん]

#2962017/06/06 03:19
>>290
同感。説教されてるようで貴方の話を聞いていたら仏教が嫌いになってきた。

[匿名さん]

#2972017/06/06 03:22
本人の出してるエネルギーが 粗い所以かも。説く人間により伝わるものさえ印象が変わる

[匿名さん]

#2982017/06/06 03:31
>>293

性的なことを推奨するのでは無くて

悟りを ある程度ひらいて
人を救おうと現実を見たときに

欲望のおもむくままに生きている人ばかりだと

しかし理趣経の教えを説けば

欲望を取り除き 地獄に堕ちる事もなく
光の世界に導くと。

元々、我々は大日如来の現れですから。

経典では

★世にあるすべてのものは皆、
その本性(もと)なべて清らなり。
かくて人々 聞けよかし、
智慧の眼を見開きて、
世にあるすべてを 眺むれば、
智慧の境地に至りつき、
われ、ひと、共に清まらん。
金剛手菩薩、聞けよかし、
すべてのものの 清らなる、
般若の教え 耳にせば、
障りすべて(煩悩全て)は 消え去りて、
光の道場(にわ)に 入りぬらん★

だから

世の中 全ての欲望の元の元は清浄なり

差別なく般若理趣経の教えを説いて

欲望を取り除こう!

という事ですかね。

これは私の解釈で仏説ではありません。

3回読めば欲望を肯定して無いのが分かるはずです。

[匿名さん]

#2992017/06/06 05:41
あと チベット仏教の高僧の法話が有りますので
夕方に載せます。

いかに欲望を滅却するのが大事か説いてます。

やっぱり凄いです。

[匿名さん]

#3002017/06/06 12:12
でも、所詮中国文化の沢山入った中国仏教ですね

[匿名さん]

#3012017/06/06 12:14
>>300

チベットはインドから直接入ったから中国は関係無いですよ♪

[匿名さん]

#3022017/06/06 18:00
チベット仏教 高僧 法話


人生における過ちと不満は、自らの激しい煩悩による。
(煩悩=社会的価値観の縛り)

煩悩の原因は統制されない心にあり、鋭い注意力によって、再び正しい状態に戻さなければならない。

特に欲情を起す対象を観想し、五つからなる構成体に識別せよ。

(五蘊=色:物質および肉体、受:感受作用、想:表象作用、行:意思・記憶、識:認識作用・意識)

まずは身体より分析することから始めよ。

肉、血、骨髄、脂肪、内蔵、四肢、感覚器官、大便、小便、寄生虫、体毛、爪など、身体の不浄なる部分を識別せよ。

これらの部分を構成要素や感覚領域にまで、分類し類別せよ。

次にこれらをこれ以上分割することが出来ない、微粒子にまで分解し、分析せよ。

執着が起ころうが起こるまいが、ただ不浄のものに過ぎないとこの身体を見よ。

身体は汚い組織、管と汚物の塊。またぶくぶくした泡の如しと念ずるべし。

この洞察の流れが止んだとき、受・想・行・識の、それぞれの本質に対しても、細かく分解し、分析せよ。

泡や蜃気楼、芭蕉、魔法の幻影の如しと、対象を見るとき、それらに対する欲望は起こらないであろう。

つまり欲望が消え去るまで、洞察の流れを保っておくこと。

欲望が消え去れば、その対象への考察をやめ、ほかの像へ次々と移り、それを試すこと。

[匿名さん]

#3032017/06/06 18:01
このようにして、誤認された知覚のすべては、実態のない構成体であるとわかる。

(五蘊・皆・空=すべての存在に実体がない)

これらの実体のない構成体に着目し、ただ瞬時に消滅するものとして、立ち起こる現象を見ることが、

正しい黙照といえる。
(黙照=照見 自己をありのままに見る。)

生じたものはついには滅する。

過去だけでなく現在と未来の世界も。

必然的に消滅することに、気づくべきである。

条件付けられた存在こそが、苦しみの原因であると知れ。

(条件は誰かの言った言葉で縛られた思い、こうすべきだ・・・云々)


いかなる生き物も突然に、孤独に死ぬために生まれてくる。

(死神を背負っていない人間はいない)

世間のいかなる形態(色)も、移ろい行く(空)ことを理解したとき、存在の織りなす無常を見る。

(諸行無常)

つまり、いかなる形態が存在しようと、黙照という心の力によって、存在の無常が感得される。

いかなる欲望の対象が形成されようとも、稲妻の光、泡、雲のように、揺らめくものと観、

その欲望が消え去るまで、この洞察の流れを保っておくこと。

[匿名さん]

#3042017/06/06 18:02
その後、この多くの部分よりなる集合体に対し、

苦しみの実相、あるいは、必ず、次の苦しみとなるであろう快楽が、

はかない、刹那的状態にあることを見よ。

人類すべての苦しみと、その基盤である心身の仕組みが、いかに大きいかを黙照せよ。

(無:眼・耳・鼻・舌・身・意識)

心身は本質的な欠陥を有するがゆえに、複雑に絡みあう苦しみの堕落から、逃れられる可能性は、針一本の隙間さえない。

ゆえに心身は苦しみの源、不浄なる道、燃え盛る地獄、共食いの島であるといわれる。

(諸法無我)

これが消え去るまで、この洞察に出来る限りとどまるよう。

苦しみを捉える最後の洞察としては、

「われ」をあらしめていると思うものに対しても、はかない塊として、この集合体を分析し、自己を空性なるものとして捉えよ。

滝や雨が降るように、また空き家のように、観て、それが消え去るまで、この確心の状態にとどまれ。

この認識が薄らぐときには、先のように段階的に試みよ。

[匿名さん]

#3052017/06/06 18:07
前の修行を忘れてしまったときには、一つの対象についてさまざまな分析をするように。

何度も繰り返しこの意味を考察するために、

時には他者の心身構造を観、時には自身の心身構造を調べ、

時にはすべての条件付けられた存在を考察せよ。

(条件付け=言葉で切り取られた)

このようにして、すべての執着は滅する。要するに、すべての思考を捨て去り、

多、無常、苦、空性の考察という、この四つの分析修習の輪を、常に転ずるべし。

多少分析らしいことが巧みになっても、さまざまな対象をはっきりと知るまでは

猛威をふるう草原の炎の如く、絶え間ない、分析修習の完成に努めること。

あらゆる前生の間に、歪められはっきりとせず、

散漫としたこの「われ」は、白昼夢と誤解の傾向によって創られたこの妄想は落ち着きによって、再び元に戻されなければならない。

散漫な気が衰えて、計らいが静まり、いかなる煩悩も心の中に起こらなくなるとき、

心の静寂の中でくつろぐ。

精神活動が再発したら、前のような分析を続けよ。

常に対象を明確に思い起こし、曇りなく知る認識力を保ち続けよ。

忘れやすくなり、煩悩が起こるときこそ、敵に対する剣として、分析を試みよ。

[匿名さん]

#3062017/06/06 18:08
暗闇の中に差し込む光のように、注意深い考察の修行は、

有害な欲情の痕跡さえ、跡形もなく滅し去る。

不完全性を理解し、条件付けられた存在の真相を、深く見るほどに、

絶対的な安らぎと、はるか彼方まで透き通るほどの清浄さを、知ることであろう。


自他の心身や、条件付けられた存在の、多、無常、苦、空性を、

絶え間なき反復を通して、認識せよ。
労することなく、心は完全なる理解力によって満たされる。

視覚は幻であると知れば、欲望の源は静められる。

欲望という破壊者より解き放たれ、心は静まり、晴れやかとなる。

自己を制した清らかさに触れるとき、平和な静寂の三昧が成し遂げられる。

(三昧=サマーディー:心が統一され安定した状態)

三昧は鋭い洞察力を、呼び起こす。

これは三乗に共通する道の入り口である。

(三乗=小乗仏教・大乗仏教・密教:金剛乗)

相互依存性として起こり、幻の如く見えるすべての事象は、
(相互依存=因縁生起=実体はない=ご縁により生起する)

本来、不生。

本質は空。

実体的基盤は何も存在しない。

それは一、もしくは多などという、相対性から離れている。
(非言語概念世界=空性)

[匿名さん]

#3072017/06/06 18:10
如来蔵である、相対性のない絶対的領域。

それを覚るならば、生と死の辺際を越えて、大いなる無住処涅槃に到達する。

最勝なる清浄と至福は、大いなる無為と呼ばれる。

それは大いなる「われ」の特性であり、無上の波羅蜜、奥深き核心である。

(波羅蜜=智慧の完成)

マハーヨーガ、アヌヨーガ、アティヨーガのタントラにおいて、先天的に備わる大楽の境地は、

自然(じねん)に生じる知恵によって開かれる。

ここにおいて、すべての教えが極まる。

仏陀の具現である、上師(ラマ)の導きに従い、ゾクチェンの自然なる解脱の伝統において、

大乗の顕教と密教の両方に、共通する前行として修行する。

この妙観察なる最勝道により、条件付けの当惑から退くことが出来る。

最初に分析の功徳によって、欲情反応はもはや起こらなくなる。

次に、心身の空性を確信することにより、三界に対するすべての欲望は滅せられる。

徐々に、すべての迷いの痕跡は、空性の静寂の中に消え去り、何ものをも望むことなく、

「われ」や「我がもの」というすべての執着から、遠く離れ去る。

何ものにも固執することなく、慈悲を抱き、恐れることなく、

法界の大空を飛ぶ鳥の如く、人生を飛翔する仏子は、法雲地へとたどり着く。

[匿名さん]

#3082017/06/06 18:22
尊い伝統の教えでは、止観の前行である、心の分析浄化は、

(止観=止:意識を呼吸に置く冥想、観:全身を観る冥想法)

三乗の道において、きわめて重要なものである、と説かれている。

(三乗=小乗・大乗・金剛乗:密教)

心の分析浄化の考察を、繰り返すほどに、煩悩は小さくなり、

ほんのわずかな欲望にも、気づくことが出来るようになる。

徹底的考察は平静さを容易にする。火によって錬金された黄金が、柔らかく順応性に富むように、

欲望から解き放たれた心も、そのようなものとなる。

無数の聖なる経典には、神々の数千年に及ぶ、

三宝へのあらゆる供養の功徳も、指をはじく一瞬ほどに得た、

(三宝=仏:覚りの智慧 法:教え 僧:修行者)

(功徳=仏法僧に供物を捧げることによって得たメリット。)

無常、空性、無我の分析による功徳には及ばない、と説かれている。
(四法印=諸行無常・諸法無我・一切行苦・涅槃寂静)

仏陀曰く、

大乗の教えをまとめた詩頌の吟唱は、八万四千の法門を覚ることに等しい。

この教えの意味をよく反復していくと、百千万の経典も、要訣はみな同じであることに気づく。

それゆえ行者は、修行に専念することにより、奥深く広大な智慧の蔵を、労することなく手に入れ、

速やかに解脱に導かれていく。

この論釈の善と、出離がもたらす甘露の力を持って、
(出離=出家して仏門に入ること)

末法の世で苦しむ一切の衆生が、安らぎの境地に達せられますように。

[匿名さん]

#3092017/06/06 18:42
>>295
身体を持ち現世を生きているのは約60億以上だが
身体を持たない魂は数に入れないのかい?

[匿名さん]

#3102017/06/06 18:59
〔龍の血を継ぐものよ…〕って意味わかりますか?

[匿名さん]

#3112017/06/06 19:09
五戒の破壊、宗教の規定した善悪の破壊、つまり″一切清浄″が明記された最初の経典である。
 
仏教、儒教、キリスト経などの宗教が善悪を規定しなくてはならない背景、それが成立する時代には、絶対権力者による無秩序な残忍な処刑の横行があり、それにより民衆の反発を受けて権力者自体も殺されるという悪循環があった。
 
そして″五戒″(殺さない、姦通しない、盗まない、嘘をつかない、酒を飲まない)を守る事は、程よく国を納める事や民の平安を築くために必要であった。
 
そもそも″仏陀の悟り″とは、一切平等と縁起であり、人間が地球の循環(食事と排泄、呼吸)が生きる目的であり、地球循環を支える他の生物と変わらない、そして人間がいなくても変わりがいる存在、『万人万物の働きは、平等で地球循環を支えるために生きている』という″気づき″である。これは、地球が惑星である事も明らかでない時代には画期的な発見で、誰もが理解できる時代ではなかった。

[匿名さん]

#3122017/06/06 19:09
秘密集会タントラは、仏教成立から千年以上経過して成立した。成立時期とは、時代背景も価値観も全く変わった。
 
すると今度は、″五戒″を基礎とし、様々な戒律が規定され、宗教的な善悪がはっきりとした反面、善悪が固定概念を産み、″善人″と″悪人″という差別を産み、″一切平等″という″悟り″から離れてしまう事になった。
 
新しい時代の″悟り″のために″宗教的な善悪を破壊する目的で″秘密集会タントラ″は成立する。
 
そして、″悟り″のための手段が″五甘露(人糞、人尿、精液、経血、人肉)を食す事″である。これは、錬金術とも共通する部分で、賢者の石は人糞の塩と人尿の塩で精製できるとされている。
 
″五甘露を食す″事は、人間の本能による最大の嫌悪であり、最大のタブーである。その行為は、根強く意識に埋め込まれた宗教的善悪の固定観念すらもいとも簡単に破壊してしまう。
 
これの経典は、密教の入り口にしか過ぎない。何故なら、自然には善悪は存在しない。つまり、″五戒″は本能ではなく、単なる刷り込みに過ぎない。自然の善悪感は、″欲″と″畏怖″である。

[匿名さん]

#3132017/06/06 19:10
本能としての善悪の破壊こそ、次なるステージである。それが母タントラ経典へと続く。本能を破壊する事は無限の創造を可能にする。神を超えるとでもいおうか。
 
東洋では、時輪タントラ成立を最後に密教は滅びる。しかし、西洋でタントラは錬金術から科学へと発展し、現在に至る。
 
西洋のタントラは、医療に集約され、それは神を超える思想を受け継ぐ。つまり、不老不死を実現させようと日々進歩している。

[匿名さん]

#3142017/06/06 19:10
一言で言えば、これまでの善悪の観念を壊すために、徹底的に「悪」を行って悟りを開きましょう、というわけです。
 
で、本能的欲求をむさぼり、「糞・尿・精液・経血・肉体」を飲食し、さらには十二歳と十六歳と二十五歳の女性とセックスをしなさい、というわけです。

[匿名さん]

#3152017/06/06 19:22
貴方は自分でしか理解していないことを並べ立てて知らぬ者に伝えることで

自己満足の世界に浸っているだけなのです

仏教を学ぶ以前に倫理観を学びなさい

今の貴方にとってその方が賢明でしょう

[匿名さん]

#3162017/06/06 19:47
>>315

論破されて悔しいですか?

ヘビみたいに しつこいですね。

[匿名さん]

#3172017/06/06 19:56
私は、「悟り」に至るには、人それぞれのやり方というものがあると思うんです。
少なくとも、宗教そのものに拒否反応を示す人間に無理矢理教え込むものではないと考えています。

ただ、間違えてはいけないのは、ここのスレッドは基本的に仏教について語ることが多くなるスレッドなので、拒否反応を示す人は、無理に全部を読む必要はないと思います。

これだけの資料を集めて、読める文章として現代語に翻訳するだけでも大変ですよ。

>>315
仏門にて修行している人間とは思えない言葉ですね。
少なくとも、倫理観を学ぶのはあなたの方だと私は思います。

[へたれP◆OTFkY2E3]

#3182017/06/06 20:01
>>279

取り合えず理趣経の説明とチベット仏教の高僧の法話で 誤解が解けたと思います。

チベット仏教の高僧は凄いですね
お釈迦様の説法のようです。

いかに個人ブログがメチャクチャか分かって頂けたと思います。

[匿名さん]

#3192017/06/06 20:08
>>316
えっ論破?意味不明

[匿名さん]

#3202017/06/06 20:09
>>317
貴方の思考が笑えます

[匿名さん]

#3212017/06/06 20:10
>>317
不思議な人だ

カキコミガできる者に対して人間と思えないとは情けない人です

じゃあ人間で無いなら何だと思います

[匿名さん]


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