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次に『報告』に登場するのは、
〈1628〉(4時28分)
SNSアプリで、自衛隊側から《106号》の副操縦士へ通話通信を試みたというものだ。その結果は「応答せず」と『報告』にある。
SNS通話発信を行った後で『報告』に登場する記録は、
〈1633〉(4時33分)
《106号》が分屯基地と交信を行ったというものだ。
しかも、その後、
〈1640〉(4時40分)
この時刻になって初めて、分屯基地のレーダーから「ロスト」したとの記録が『報告』に出てくる。
だが、防衛省が発表している「ロスト」時間は、
「3時56分」
『報告』と40分以上も違う。
敢えて言うならば「空白の40分」である。
『報告』には発表とは“異質”な内容がまだ続く。
〈1640〉(4時40分)
陸自側は、「航空救難」を関係機関に最初に流した。
それを受けて航空自衛隊の那覇救難隊が救難機スコットを「ロスト」地点との情報を受けた座標へ向けて緊急離陸させるとともに、
〈1653〉(4時53分)
第8師団司令部に電話を入れ、《106号》の飛行状況の詳細を求めていた。
さらにその4分後、
〈1657〉(4時57分)
西部方面隊司令部から分屯基地に《106号》の状況を確認している。
その時の分屯基地の反応が『報告』にある。